★それは、野に咲く花のように★

「……『弟』さんと素敵な一日を過ごせるよう、願っているわ。それじゃあね、ゆうな」


 そう言って電話を切ると、私はふっと、静まり返った自分の部屋を見渡した。



 壁に貼ってある、モデル時代の真伽まとぎケイのポスター。

 机の上に並べてある、かつて私が演劇に興じていた頃の台本。


 そんな景色を眺めながら、私は改めて思う。


 ああ。私は本当に――紫ノ宮しのみやらんむだなって。




 ――――演技をするのは、昔から得意だった。


 だからこそ、演技でたくさんの人に夢を与えたいと、願うようになった。

 そして真伽ケイの生き様に憧れて……人生のすべてを『芝居』に賭すことを誓った。


 声優・紫ノ宮らんむとして。演技も、歌も、パフォーマンスも……すべてを極めて。

 頂点にのぼりつめると、誓ったんだ。



 けれど同時に……演技は、弱い自分の象徴でもある。


 舞台を降りて、自分の本心を晒すことを、私は今でも恐れている。



 だからいつからか――現実も、舞台だと思うようにした。


『笑顔』の仮面をかぶって、ニコニコと周りに愛想を振りまいて……そういう人間の『ふり』をして、生きる道を選んだ。


 その結果、大切な人すら傷つけたのだから――我ながら、愚かとしか言いようがない。



 けれど。時計の針は、もう戻らない。



『夢』を纏った、この紫ノ宮らんむの姿で――私は舞台に、咲き乱れる。


 そういう生き方しか、私は知らないから。




「……ああ。そろそろ、収録に行かないと」



 既に準備は終えているので、私はスマホをカバンに入れると、そのまま部屋を出て階段をおりた。

 一階には、私の親が経営している喫茶店。



「おお、来夢らいむちゃん。どこか出掛けんのかい?」


 カウンター席に座っている常連客の一人が、私を見て話し掛けてきた。

 だから私は『笑顔』の仮面をかぶって――にこやかに答える。


「そうなんですー。あたしって、これでも忙しいんですよ?」



 店から出ると、やたらと強い陽光。

 店のそばには、黄色いゼラニウムの花。



 ――こんなところで、まともに手入れもされていないだろうに、ゼラニウムは勇ましく咲き誇っている。



 そんな、野に咲く花のように。

 私も強く咲き誇りたいと、心の底からそう思う。




 …………ああ。そういえば、ここで彼女と初めて会ったんだったな。



 和泉いずみゆうなではなく――綿苗わたなえ結花ゆうかと。

 紫ノ宮らんむではなく――野々花ののはな来夢として。



 ゆうなのおかげで、『弟』――遊一ゆういちが元気に過ごせていることが分かったから、あの日は柄にもなく……嬉しかった。


 こんな私だけど、佐方さかた遊一という男の子を好きだと思っていた気持ちは、本物だ。

 遊一が自分に告白してくれたとき、嬉しいと感じたのも、本当のことだ。



 けれど、それでも――私は『芝居』を選んだ。



 自分の感情も。自分に好意を向けてくれた彼の気持ちも。すべてを捨てて。


 そうして私が傷つけてしまった遊一が、誰かと幸せになれたのであれば……それに越したことはない。


 それに――和泉ゆうなにとっても、遊一と出逢えたことは良い転機だったと、勝手ながら思っている。


 事務所で知り合ったばかりの頃のゆうなは、常に『恋する死神』というファンにうつつを抜かしていて、心配で仕方がなかったから。



 ファンは確かに、素晴らしい存在だ。

 けれど同時に、ファンと結びつきすぎれば――声優にとって命取りにもなりかねない。




 だから……ゆうながもしも、『恋する死神』にいつまでも熱を上げていたとしたら。


 私はきっと――彼女を許さなかっただろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る