エピローグ

エピローグ

「わたし……今日の出勤が終わったら、アルバイト辞めるんだ」



 小さな声で呟いて、わたしは大学の食堂に突っ伏した。


 っていうか、今日の出勤すら億劫だわ。どうせ所定の労働時間より超過するに決まってるんだし。


 今日のシフトは閉店まで。そして、明日は一限に必修の授業。絶対、寝不足だわ。

 わたしの肌荒れが悪化したら、どうしてくれんだよ……マジで。



「はいはい。ほのりんの辞めたい辞めたい病は、相変わらずだねぇ★」



 そんな絶望に打ちひしがれているわたしに向かって、呑気な声を発してくる彼女。


 いや――彼、か?


 大学生になってからの雪姫ゆきひめは、以前にも増して女子力高めな私服ばっかり着てるから、性別とかよく分かんねーや。なんかいつの間にか『雪姫ファンクラブ』なんて作られて、次期ミスコン最有力候補なんて言われてるくらいだし。



 まぁ……もはや男だろうと女だろうと、どっちでもいいけどね。


 もう家族並の長い付き合いになった、わたしの幼なじみ。



 そんな雪姫とわたしは、今年の四月から晴れて同じ国立大学に進学して、よくこうして顔を合わせてる。



「あのさ……相変わらずって何よ? 人のことを、なんでもかんでも辞めたいって言うクズ人間みたいに言わないでくれる?」


「あながち間違ってないでしょ? ほのりんは魔法少女も辞めたがってたし、アルバイトも辞めたがってる。あのサボり魔の薙ちゃんだって、バイク店の仕事を辞めようとしたことなんてないんだよ? なのにほのりんは、四月からはじめたばっかりのアルバイトを、五月にもう辞めたい……つまり! ほのりんは薙ちゃんよりも、だめ人間ってこと!!」


「双方に失礼だな、あんた!? 違うっての……だってわたし、大学辞めたいとか言わないでしょ!? わたしが辞めたくなるのには、それなりの理由があんの!!」


「ふーん……それで? 一か月でアルバイトを辞めたくなった理由は、なぁに?」


「ブラック企業だから」



 大学生になったわたしが最初に就いたアルバイトは、女子大生らしく飲食店!


 しかも、よくあるファミレスとかじゃない。オーガニックを売りにしてる、なんか女子力高めなカフェ!!



 だけど……その女子に好まれそうなお店の雰囲気とは反対に、内情は地獄のよう。



 店長がオーガニックにこだわるあまり、飲み物を用意するのに一時間くらい掛けさせられるし。コーヒーを作るたびに「おいしくなぁれ……おいしくなぁれ……」って、呪文のように唱えさせられるし。


 素敵なカフェっていうよりは、やばめの宗教団体って言われた方が納得するレベル。



「なるほどねぇ……確かに、ちょーっとよくないかもね、そのお店」


「でしょ!? とにかく素材の味がー、ってうるさくて、すぐぶち切れるし! 仕込みに死ぬほど時間を掛けさせられるから、超過勤務は当たり前だし! 労働基準法違反だろ!!」


「じゃあ、辞めちゃったら? ほら、大学の近くのファミレスとかこの間も求人出してたし、すぐ他のアルバイトも見つかるだろうしっ」


「ああ……あそこは駄目よ。噂だけど、あのファミレスの店長――セクハラで有名らしいの。キッチンでずっと、『女子大生と同じ空気、おいしー!!』って叫んでるらしいわ」


「えっと……それ、セクハラっていうより、病院紹介した方がいい系のお話じゃない?」



 雪姫が頬に手を当てて、可愛く苦笑する。


 そして、女子力高めなタピオカティーなんて飲みながら。



「まぁ、困ったら永久就職しちゃいなよっ★ ほら。ここに、就職先がありますよー?」



 嬉しそうに自分のことを、くいくいっと指差す雪姫。


 なんか大学に入ってから、こういうアピールが過剰になった気がするな、こいつ。



「はぁ……ま、本気で困ったら考えさせてもらうわよ」


「おぉ!? 言ったね、ほのりんっ!! 今の言葉、きちんとボイスレコーダーに録音させてもらったからねっ!?」


「なんでボイスレコーダー起動してんだよ!? ふざけんな、ばーか!」



 ったく。なんなんだよ、こいつは。


 こんな冴えない眼鏡女から結婚の言質なんか取って、何が楽しいんだか。


 なんの冗談だか知らないけど……気恥ずかしくってドキドキしちゃうから、やめてほしい。マジで。



 ――そんな、日常的なやり取りをしていると。


 ふいに、わたしのスマホに、ニュースアプリの速報がポップアップ表示された。



『南関東魔法少女 殲滅魔天せんめつまてんディアブルアンジェ――第2の敵組織を華麗に撃破!』



 ……元気そうだな。あいつら。


 確か魔女連合サバトに続いて、世界を消滅させかねない危険度MAXな連中と、四月から戦ってるって聞いてたけど――よくもまぁ、一か月で壊滅まで追い込んだもんだ。


 さすがは自慢の後輩ちゃんたちだよ、本当にね。



「――あ。薙ちゃんから電話だ。もしもーし? ……うん、今ほのりんと一緒っ」


 わたしが後輩たちの活躍に思いを馳せていると、雪姫に薙子なぎこから電話がかかってきたらしい。


 そして雪姫が「はいっ」と、わたしにスマホを差し出してくる。



「はぁ……もしもし?」


『よぉ。相変わらず冴えない声をしてるな、お前は。もう少し、あれだ。女子大生っぽいキャピキャピ感はないのか?』


「キャピキャピって言葉が、そもそも死語だよ。いくつだ、お前は」


『相変わらず毒気の強い奴だな。まぁ、いい――今日か明日、暇か? 久しぶりに連休だから、三人で飯でもどうかと思ったんだが』


「あー……明日がいいな。今日はほら、ちょっと『アルスマギカ』だから」


『ああ。例のバイトか。まぁ、死なない程度に頑張れ。じゃ、また明日な』



 そんな感じで、薙子との通話を終えると。


 わたしはググッと伸びをして、鞄を肩に掛けて立ち上がった。



「あ、勝手に決めちゃったけど、雪姫は明日空いてた?」


「うん! ゆっきーは、二人と遊べるんなら、いつだって融通利かせちゃうよっ★」


「はいはい。それじゃ、ちょっと『アルスマギカ』行ってくるわ」


「あははっ。あれだけ文句言ってたのに、サボらず行くあたり、ほのりんらしいよねぇ」


「うっせぇ。今日が最後だ。今日の勤務を最後に……わたしはこんなブラックバイト、絶対辞めてやるんだからね!」




 ――『アルスマギカ』は、どこにでもある。



 魔法少女を馬車馬のように働かせる、魔法連盟アルスマギカだけじゃなくって。


 このオーガニックカフェを気取った、ブラック労働を強いてくるカフェだって『アルスマギカ』だし。


 受験なんてシステムを構築してるせいで、子どもがしんどくなるまで勉強しなきゃいけない社会も『アルスマギカ』だと思う。


 学校で集団いじめをする連中と、それをスルーする教師は、当然『アルスマギカ』だし。


 海の向こうで内戦が続いてる国は――毎日が『アルスマギカ』だ。



 そう……世界は『アルスマギカ』に満ちてる。



 だから人はいつだって、何かを辞めて逃げ出したくなったり、なんか生きてるのが辛くなったりするんだと思う。


 そりゃそうだよ。だって、世界が『アルスマギカ』なんだもん。



 だったら、辞めたいって思ったっていいじゃん。

 辛すぎるって、泣いたっていいじゃん。


 だって――わたしたちは人間なんだから。


 弱くたっていい。頑張りすぎなくていい。ときどき、逃げ出したっていい。



 でも……そんな『アルスマギカ』な人生だとしても。



 光があれば影があるように。


 闇の中にだって、ちっぽけだとしても――光はあるから。


 楽しい瞬間とか、嬉しい出逢いとか、ちょびっとだけでも笑えるときは、絶対あるはずだから。



 そんな『魔法』を信じて……生きていこう。




 ――なーんて。


 大学の校門前で雪姫と別れた後、ぼんやりと偉そうな妄想をしてたわたしだけど。



「はぁ……バイト、行きたくないなぁ」



 ついぼやいちゃったりもする。だって人間だもの。


 ま、頑張るけどね。取りあえず今日は。


 それで、今日を最後にアルバイトなんて辞めて、明日は――雪姫と薙子と、楽しいバイト辞職パーティーをしてやるんだから。



 そんなことを考えつつ……わたしはふっと、青く広がる空を見上げた。



 ふりふりのピンクのコスチュームを身に纏って。


 こんな青空の下で、わたしは八年以上、恥ずかしげもなく戦いに明け暮れてたんだよな。


 本当に嫌だったし。もう一回やれって言われても、絶対にごめんだけど。



 引退してからたまーに思い出すときは――なんでか分かんないけど、自然と笑いがこみ上げてきちゃうんだよね。





 だから――悪くなかったんだと思うよ。


 魔法少女として頑張ってた、あの日も。



 多分……きっとね。





 魔法少女ほのりは今すぐ辞めたい。

 ~今すぐ辞めたいアルスマギカ~


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