【4話】それならいいよね京華。


 4.




 気持ちの整理をつけなくては、京華に謝らなくては、そう思い一人薄暗い部屋でアロマキャンドルを灯す。


 部屋に満ちた匂いが鼻から脳へと刺激を送る。安らぐことはなく、それはただの気休めにもなりはしない。


 私は彼女になんてひどいことをしたのだろう。気持ちの整理を付けたいのは私なんかじゃなくて京華のはずなのに……困らせたくなかった。傷付けたくはなかった。それなのに……それなのに……。


 私がしたことは京華のことなんか考えていないただのエゴだ。


 あの時の私はどうかしていた。頭の中が白く白くなにも考えることができなかった。


 あの夜、京華がテントへ戻った後、私もそこに戻れるわけもなく。先生たちが寝泊まりする施設内へと足を運んだ。先生たちは夜分遅くにも関わらず理由も聞かずに置いてくれた。泣き疲れた私は眠りに就いて、次の日は木陰の隅で誰とも関わることなく一日を終えた。


 一泊二日のキャンプも終わり、帰りのバスの中にはなぜか京華の姿がなかった。


 京華の為にたくさんお菓子用意したのに、それも全て無駄になっちゃった……。自業自得とはいえつらかった。


 バスを降りてすぐに彼女を探したけど何処にもいなくて、途方に暮れた。もうこのまま一生会えないんじゃないかと思ってしまった。


 眠れない夜は明けた。時間は待っていてはくれない。今日こそちゃんと話そう。


 京華の側にいられない人生なんて、私にとって価値の無いものだ。


 キスした私も悪いけど、可愛いすぎる京華がいけないんだ。


 これから先、一生誰のことも好きになれなくてもいい。


 誰も私を愛してくれなくてもいい。


 だからせめて一生友達として彼女の側に居たい。


 それならいいよね京華。




 月曜日の登校。一人で校門前まで辿り着く。


 あまり話しているのを見かけない人達が仲良さそうに歩いている。キャンプで距離が縮まり友達になったんだろう。クラスの雰囲気も幾分明るくなっているように感じる。


 それが私には疎ましく思えて、そう思ってしまう自分に嫌気が差した。


 京華に会ったらどういう態度を取られるだろう。無視されることだって嫌われることだって覚悟している……しているのだけれど心が折れないか不安だ。


 教室に入るといつもとは違う感覚。何かが足りない。空虚に感じる。


「おはようございます。月望さん」


 同級生に対して丁寧におじぎをし挨拶をするののかちゃん。いつもと変わりない。


「おはよう、ののかちゃん。キャンプでは心配かけてごめんね」


「いえいえ、そういう日もありますよ。元気出してください」


 みんなは私が京華とケンカでもしたと思っているのかな。ただのケンカだったら良かったのに、そうだったら謝って仲直りすればいいだけの話。そうじゃないから上手くいかない。


 京華は私の気持ちに気付いてしまったのではないか。キスまでしといて気付かないほど彼女は鈍感ではないはずだ。


「おはよ、月望ちゃん。キャンプで何があったかは聞かないけどさ、京華に会ったらちゃんと話し合うんだよ?」


 彩葉ちゃんも気にかけているのか、席を立ちわざわざ私のところまで来てくれた。


「うん。ところで京華はまだ来てないのかな?」


 口ぶりからしても教室内を見渡しても京華の姿が見えない。


「そうだね。もうそろそろ時間だし、そろそろ来るよ」


 京華が来たら私はどうしよう。真っ先に謝るのは決めているけど、どう謝るのかとか、どこで謝るかとか考えていない。みんなのいる前で話せることじゃないし。教室は駄目だよね。


 クラスのみんなが席に着き先生を待つ間にも空席が一つだけあった。私の悪い予感が的中しなければいいんだけど……。


 戸を開く音が聞こえる。淡い希望を抱き扉を見やると担任の先生だ。出席簿を小脇にかかえている。


「今日は戸矢さんだけお休みかしら。他にいない人います?」


 背中にぞぞぞっと悪寒が走り、ひどく寒気がした。勢い良く吐き気がこみ上げる。


「他の人は全員います。それより京華さんはなぜお休みを?」


 学級委員を務める彩葉ちゃんが訊ねる。


「うーん。金曜日のキャンプ二日目も具合悪かったみたいでしたし。体調がまだ戻らないのかしら」


 先生はそう答えるとショートホームルームを始める。近くに迫った三者面談のことなど伝達事項を淡々と述べる。


 そんなことはどうでもよかった。私が知りたいのは彼女のこと。


 休んだ原因がなんなのか嫌でも分かる。私のせいだ。私の責任だ。


 この苦しみが消えて癒えることはないのかもしれない。それでも今はただ平静を装った。


 ホームルームが終わり、クラスは会話で賑わいだした。その中で一人うつむく私の元に二人が近づいてくるのが分かった。


「京華も明日には学校に顔を出すよ。そのとき話せば、ね?」


「そうですよ。気を落とさないでください。月望さんの責任ではないですよ。本当に体調が悪いだけなんだと思います」


 彼女たちの励ましが心苦しく感じ、今にも教室から逃げ出したい気持ちに駆られた。




 授業も終わり、校庭からは運動部の掛け声が聞こえ、三階からは吹奏楽部の楽器の音が響き活気に満ちていた。部活動に所属しない私は足早に家路に就こうとカバンを持ち上げる。


 今にも雨が振りそうな暗雲が立ち込める。これは憂鬱な私の心情を空が映しているのかな。


 自転車をこぎ家を目指す途中、雨粒がぱちぱちと頬を掠める。これは結構降ってきそうだ。


 このまま家に帰っても、心が押し潰されそうだし雨宿りも兼ねてどこかに寄り道でもしよう。


 ふと、書店が目に止まる。最近本も読んでないし、ちょっと寄ってみよう。


 このお店に初めて入ってみたけど親しみを感じた。本屋さんの匂いはどこも似ている気がする。この紙とインクの独特な匂い。


 特に目当ての物があるわけでもなく、店内を彷徨っていると不思議と引き寄せられるようにある漫画コーナーまでたどり着いた。


 そこには可愛い女の子が二人頬を寄せ合った言わば百合本が置いてあった。


 この場に居てどこか恥ずかしい気持ちもあったけど、居るはずもない京華が近くに居るよう気がして自然とその場に留まった。


 漫画を手にとってみる。立ち読みや汚れ防止のための透明なフィルム、確かシュリンクっていったかな。それがあるため中身は読めそうにない。


 それでも表紙や裏表紙を見ているだけでドキドキとした。ゲームのパッケージ裏とかと同じでどういう内容なのか想像をかき立てられたりする。


 色んな表紙を夢中で眺めているととんとんと不意に肩を叩かれた。京華かもしれない。そう思い淡い希望を抱いて振り返るとそこに居たのは、長身の青島さん。


 別にいけないことをしているわけではないのに、冷や汗が。


「めずらしい。遠近さんも漫画とか買うんだ?」


 がっかりして落とした肩を上げ直す。学校を休んだ京華がこんなところに居るわけないよね。


「……うん、少しはね」


「ほうほう。あっ、新刊出てたんだー」


 さっきまで私が手に取り眺めていた百合本を青島さんが手に取った。この人ももしかして百合好きなの?


「青島さんも百合本とか読むの?」


「読むよー。ってことは遠近さんも?」


「いや、私は全然……」


「そうなんだ」


 やっぱり女の子が百合本を読むのなんてそんなにおかしいことじゃないんだ。よくよく考えたら男性とかは百合本読まないだろうし……うーん……たぶん読まないよね? どちらかと言うと女性向けのはず。


 会話が止まっていた。なに喋ったらいいんだろ。青島さんのことなんて全然知らないし。京華と友達なのは知っているんだけど。


「遠近さん京華と仲良いから百合好きなのかと思ってた」


「え?」


 どういう意味だろう。青島さんは京華の秘密をを知っているの? なんで青島さんだけ。


「あの……京華が……その……知っているんですか?」


「ん? あ、ああ。あの子みんなには隠してるみたいだよね。そんなに恥ずかしいことじゃないと思うんだけどなー」


「なんで、青島さんは知っているんですか?」


 私の質問に青島さんはメガネのブリッチをくいっと中指で上げ応える。


「自分が百合本を読んでたら京華が話しかけてきてさ、それから百合本とかの話するようになったんだ」


「そうなんだ……」


 共通の趣味があるっていいな。私と京華の間にはないかもしれない。一緒にカラオケとかボウリングに行ったりはするけどそれは私の趣味ではないし。京華の趣味というわけでもないはずだ。


 京華と私はなにで繋がっていたんだろう。


 私から誰かを誘って遊びに行くことなんてあまりない。いつも誰かからの誘いを待っている受け身の姿勢。こういう私みたいな人っていつか誰からも誘われなくなるのかな。


「自分は用事が済んだからもう行くね」


「うん。また明日学校で」


「ばいばい。明日には京華、学校に来るといいね」


 そう言って彼女は本屋を後にした。私も帰ろうと思ったけどこのまま帰ったらまだ青島さんがいるかもしれないし、冷やかしで買えるのもお店に悪いな。


 さっき眺めていたときに表紙が可愛く気に入った百合本を買って帰ることにした。


 外はまだ雨が降っていたけど、少しおさまったみたい。本が濡れないように大切にカバンにしまい自転車に跨った。風邪を引かないようにしないと、明日は京華にちゃんと謝るんだから。




 明くる日、気合を入れて登校したが教室内は昨日と同じ空気が漂っていた。


 考えなくても分かる。京華は今日も学校を休んだのだと。


 これから学校に来ないつもりなの京華。私にはもう会ってくれないの。


 お昼休みの時間になり三人での昼食となる。京華がいないとこんなに寂しい時間になるんだ。


 交わす言葉もなく黙々とご飯を口へと運ぶ。ののかちゃんも居心地が悪そうだ。


 突然、彩葉ちゃんが箸を置く。何を言われるのか不安感が募る。


「あの日、京華となにがあったの?」


 その言葉は紛れも無く私への質問だろう。私たちに連絡もなく二日も連続で休んでいるのだから無理もない問いだ。


「特別なにもないよ。ケンカしただけ……」


 そうとしか言えない。ここで私がキスしたから来なくなったなどと言えるはずがなかった。


 私の煮え切らない態度にいつもは優しい彩葉ちゃんが僅かだが苛立ちを見せていた。


「最近温度差が激しいですし、風邪でも引いたんじゃないですか? 明日はきっと来ますよ!」


 空気を察したののかちゃんがフォローしてくれた。ごめんね、全部私のせい。


「そうだね。大丈夫、明日はきっと来るよ!」


「うん……」


 結局また励まされてしまった。胸が締め付けられる。痛くて苦しくて京華に会いたくて。


 今までどおりの日常は送れないと覚悟した。


 このまま京華が来なかった私はどうなっちゃうんだろうな。正気じゃいられないのは確かだ。


 一人でささっと昼食を食べ終えた私は授業に出る気力もなく、小一時間ほど保健室で休んだ後に早退をした。


 振り返って離れつつある校舎を見やる。まだみんな授業を受けているんだよね。


 不思議な感覚だった。早退なんて今までしたことがない。


 それだけ私は真面目に生きてきたのだろうか、勉強だって頑張ってきたし。


 自分が本当に真面目なのなら、同性に恋なんてしないんじゃないのかな。




 人気のない公園のベンチに座り込んだ。


 このまま家に帰ったら家族に色々聞かれるだろうし、時間を潰そう。


 近所にある公園なのにすごく懐かしい。毎日目に映る光景なのに入るのは久しぶりだ。


 わざわざ避けていたわけではない。ただ単に来る機会がなかったんだ。


 幼稚園とか小学校低学年ぐらいまではこの公園でよく遊んでたっけ、今思うとなぜ遊べてたんだろう。


 今では友達なんて片手で事足りる。そんな私でも男子とも女子とも別け隔てなく遊んでいた時期と記憶が少なからずある。


 あの頃の私と今の私はなにが変わってしまったのか気付けない。


 私が変わったんじゃなくて、状況や場の雰囲気が変わったのかな。中学、高校と年を重ねるにつれ男子と女子の間には性別の壁という大きな壁が出来た。


 街並みもあの頃からずいぶんと変わった。


 公園の遊具もいくつか撤去されている。前は回るジャングルジムみたいなのとか、赤いロープでできた登れるタワーもあったはずなのに。


 子供みたいにはしゃいでいるところを誰かに見られるわけにもいかないし、どうするかな。


 ふと、カバンの中に昨日買った百合本があったのを思い出す。


 ブックカバーを着けてないので見られたら恥ずかしい。カバンで隠しながら読もう。


 どうせ家で読んでいても妹が部屋に勝手に入ってきて集中できそうにないし、ここのが落ち着きそうだ。


 一度読み始まったら進める手は止まらない。ぐいぐいと本の世界に引き込まれる。


 どうやら純粋そうな女の子が今まで築いてきた友情が恋心だと知ってしまうという王道な話らしい。自分と重なるところがあってむず痒い。


 この本京華は持っていたりするのかな。考え始めると疑問がふつふつと湧き上がって終わりがない。


 作者さんはなぜこの作品を書こうと思ったのだろう。絵の線が細く美しいところを見ると作者は女性だろうか。


 この問いについては答えが調べられそうなので、スマホでペンネームを検索する。


 ネットにはやはり女性と書いてあった。なるほどなるほど。


 ここでまた新たな疑問が、百合漫画の作者さんは女性が多いのだろうか。


 早速調べると女性の作家さんは多いらしい。


 そこでまた疑問が戻る。この作品はなぜ生まれたのだろう。


 作者さんが女性を好きだから?


 作品を読むに女性同士の恋愛は美しいみたいなニュアンスだ。


 儚さや切なさ、背徳感が美しいと感じ惹かれ焦がれ描くのだろうか?


 その答えは私には分からない。ただこの本に描かれる二人は結ばれてハッピーエンドで終わった。悲恋好きではなかったみたいだ。


 それにしてもせっかく面白かったのに一巻で終わってしまうとはもったいない。付き合った後からが恋愛で重要なところなんじゃないのかな。


 けど、一番苦しくて輝く時期は誰かを好きになって想いを伝えるところ。だからここで話は終わって……


 ――いや、違う。


 本当に辛いのはこの先なんだ。二人が想いを伝え合って結ばれた先こそが一番苦しいんだ。


 この二人は結婚できないままこの先生きて。両親には一生黙っているつもりなのか。


 誰にも認められずに、親不孝者とでも呼ばれてしまうのだろうか。


 人生が続く限りハッピーエンドなんてものはないかもしれない。終わってはいないのだから。


 私のこの想いは本当に墓場まで持って行くしかないな。


 京華を不幸になんてできない。




 玄関には鍵がかかっていた。


 公園で時間を潰してたとはいえ、いつもよりずっと早い時間だ。


 辺りが暗くなり心細くなって百合本も読み終わってしまったなら帰るしかない。


 まだ誰も帰ってきていないのかな。


 鍵を開け中に入ると二人分の小さい靴がある。リビングからは人のいる気配がした。


 リビングに入ると、陽見ちゃんと歩華ちゃんがこちらに気付いたようだ。


「おねえちゃんおかえりー。今日は早かったですねー」


「うん、まあね。歩華ちゃんいらっしゃい」


「おかえりなさい、月望さん。お邪魔しています……」


 いつも物静かな歩華ちゃんだが、それにしても今日は声に元気がない。


 京華と私に何かあったのは気付いているっていうことかな。


「私は部屋にいるから」


 顔を合わせづらい。歩華ちゃんに何か言われるのではないかと恐怖すらあった。


 部屋に入る。制服も脱がずシワになるのも気にせずベッドに体を沈ませた。


 目を瞑れば瞼の裏に京華が居る。


 初めて会った日。初めて休日に遊んだとき。高校の入学式で同じクラスになり互いに笑いあったとき。雨に濡れた艶かしく美しい髪。恥ずかしい台詞。愛らしい寝顔。


 触れ合った唇。


 泣かないって決めたのに。感情は止めどなく溢れる。


 何もかも投げ出して逃げ出したい。そうしたらもっと苦しくなるなんてこと判ってる。


 過去に戻りたい。京華に恋心を抱く前まで戻れたら、そうしたら誰も苦しまずに済むのに。


 暗い部屋に一筋の光が射し込んだ。誰かが扉を開けたのだと気付き、視線を向ける。


「月望さんにお話があります」


 私の返答を待たずに歩華ちゃんが部屋へと入ってきた。


「部屋暗いので電気つけますね」


 ぱちっという音と共に、部屋は明るくなる。眩しくて咄嗟に目を手で覆う。


「こんな早い時間から寝るつもりだったわけではないですよね?」


「別に違うけど……」


「ならいいです」


 ベッドに腰を掛けた歩華ちゃんは、ゆっくりと口を開いた。


「なんで月望さんは姉さんのとこに行ってあげないんですか?」


 想定外の質問に対応できない。京華が来なくなったのは私のせいだと責められると踏んでいたのに。


「行ってあげるもなにも、京華はそれを望んでない……」


「どうして、そう思うんですか?」


「私、京華に嫌われちゃったよ。取り返しのつかないことをした」


 私の言葉に歩華ちゃんは震えながら拳を強く握りしめていた。


「姉さんが月望さんを嫌いになることなんてないです!」


「そんなことないよ! 絶対私、嫌われた……」


 そう言った瞬間、両肩を掴まれた。項垂れていた頭を歩華ちゃんに向けるとしっかりと目を見据えている。


「月望ちゃん!! 嫌われてなんかないから、姉さんに一度会って下さい!!」


 語気を強め鋭く言い放たれ、諭される。今の私に年上の威厳などない。


 年下にこれほど言われてどうもしない私ではない。歩華ちゃんも何か理由や根拠に基いて言ってくれているはずだ。


「……分かった。私ちゃんと京華と向き合うよ」


「良かったです……月望、さん……」


「その、さん付けはいらないよ。私たち友達でしょ?」


 緊張がほぐれたのか、小学生らしい愛らしい表情に戻った。


 それでも彼女は、微笑みながら。


「年上の先輩には、さん付けです。そこら辺はっきりしとかないと」


 どこまでも律儀な彼女には頭が上がらない。


「リビングに一人残した陽見ちゃんが退屈してますから、戻ります。頑張ってください」


 そう言い残し、歩華ちゃんは私の部屋を後にした。


 これ以上誰にも心配など掛けたくない。


 このまま京華も学校を休んではいられないはず、私のためにじゃなくて、京華のために学校に来てもらわないと。


 電話をかけてみよう。


 震える手をスマホへと伸ばす。純粋に彼女の声が聞きたい。声を聞かせてよ京華。


 高鳴る鼓動を必死に抑える。胸が心が千切れそう。


 少しでも話さればこの状況もきっと変わる。


 そう思ってたのに、私の心は届かない。京華が電話に出ることはなかった。


 やっぱり、拒絶されてるんだな私。


 また泣かないって決めてたのに、自然と涙が零れ落ちた。


 歩華ちゃん、ごめん。約束したのに。


 私どうすればいいんだろう。京華とちゃんと向き合わなくちゃいけないのに。




 〇




 どんなに願っても次の日もやってきてしまう。


 学校に行かなくては。私まで休んではいけない。


 焦りってばかりでは駄目だと自分に言い聞かせ、自転車を停めて空を見上げた。


 晴れ渡るライトブルーに薄くぼんやりとした月が見えた。


 夜じゃなくても確かにそこにいて、いつでも誰かに見られている。


 月曜日も火曜日も京華が学校に来ることはなかった。そしてとうとう水曜日。


 今日も京華は学校へは来ないんだろうか。


 京華が私のことを気持ち悪がっているというのは察しがついた。だったら、私が不登校になりそれが噂になれば彼女は学校に来るのかな。だけど、それは歩華ちゃんとの約束に反することになる。


 私にはやはり選択肢が一つしかない。京華としっかり話しをしないと。


 学校に着くと、即座に教室へと走った。動悸と息切れを我慢しながら、心臓にムチを打つ。


 教室内に京華の姿はなかった。分かっていたことだけど、やっぱりどうしてもつらくて。目頭が熱くなる。泣かないように目元を押さえる。


 早く学校に来てしまったし、まだ時間はある。


 歩華ちゃんとの約束を反故にはできない。今日こそちゃんと話さないといけないのに、京華が来なければそれもできないままだ。


 時間が経つにつれ席が埋まっていく。彩葉ちゃんとののかちゃんも一緒に登校してきた。


「……おはようございます。月望さん。今日は早いですね」


「うん、なんだか目が冴えちゃって、落ち着いていられないんだ……」


「そうですよね……」


 私のせいでみんなを悲しませている。流石にただのケンカなどではないと、二人も気付いているようだ。


 肩を叩かれ、振り向くと彩葉ちゃんの顔が眼前に迫ってきていた。


「月望ちゃんはさぁ京華と仲直りしたくないの? このままだともしかしたらずっと会えないままかもしれないんだよ!?」


 目力に気圧されながらも、それに応えるように私も彼女の瞳を見つめた。私の為に言ってくれているんだ。


「それは分かってる……分かってるけどさ、京華は学校に来てくれない! 私に会ってくれないんだよ!」


「……え、えーとここじゃ皆さんに迷惑がかかりますので、移動しませんか?」


 そんなに大声で言ったつもりはなかったのに、周囲からは不審な目で見られていた。配慮が足らなかったかもしれない。


 奇異の目を避け屋上へと場所を移した。吹き付ける風が心の奥底まで冷やすように頬へと打ち付ける。


「ごめんね。あんまり強く言うつもりはなかったんだ……だけどこのままだと月望ちゃんにとっても京華にとっても不幸な結果になるから」


 ここまで言ってくれる友達ができたなんて私は幸せものだな。高校に入るまでは想像しなかったよ。


「うん、だけど京華は学校に来てくれない……」


「待ってるだけじゃ駄目だよ。自分から会いに行けばいいんだよ」


「だけどそれだと京華の気持ちはどうなるの? 京華は私に会いたくないと思ってるかも」


 京華の気持ちが分かるのは京華自身であり、他の誰でもない。


 彩葉ちゃんも家族である歩華ちゃんだって……。


「ウチには分かるよ、京華の気持ち」


「あの日なにがあったかも知らないくせに知ったような口聞かないでよ!」


 あんまり強い言葉は使いたくなかったけど、友達だからこそはっきりと伝えたかった。真正面からぶつかりたかった。


「うん、そうだね。あの日なにがあったかなんてウチには分からない。でも、これだけは分かるんだよね。京華は月望ちゃんのことを嫌いになんかならないって」


 歩華ちゃんと同じことを言われた。どうして、そう思えるの。


「……わたしもそう思います。京華は月望さんのこと嫌いにならないです」


 ののかちゃんまで一体どういうこと。


「今日学校終わったらさ、京華の家行ってきなよ」


「けど…………」


 みんなに言われるなんて、そんなに京華は私のこと大事な友達だと思ってくれてたのかな。


 私だってもう一度大好きな京華に会いたい。会いたいよ……。


「……月望さんは京華さんのこと嫌いになれますか?」


「えっ、そんなの決まってるよ嫌いになんかなれっこない。私は京華がいないと……」


「そうですよね。それは京華さんも同じ気持ちなはずです」


「そっか同じ気持ち……。こんなに背中を押されて動かないわけにはいかないよね」


 大きく息を吸った。肺にめいいっぱい空気を取り込む。そして静かにゆっくりと吐き出す。


 ――決めた。京華に会いに行く!!


「私、行くよ!」


「えっ、月望ちゃん授業は!?」


「ごめん、先生には適当に言っといて!」


 階段を駆け下りる。一度決めたら体が勝手に動き始めた。


 居ても立ってもいられないというのはこういうことか。


 教室では授業がもう始まっているようだ。音を立てないよう、小走りで抜けて昇降口までやってきた。


 京華のいない人生なんて楽しくない。


 京華がいない人生なんて人生なんかじゃない。


 彼女に出会う前までの私って一体なにをしてたんだっけ。今はもう思い出せそうにもない。


 今まで恋をしてこなかった私が、初めて恋したものは女の子だったけど、別に女の子とかは関係ない。


 もし、京華が男だったとしても恋をしていた。京華だからこそ恋をしたんだ。


 百合本を見つけて勘違いしたのが、この恋のきっかけだったかもしれない。


 でも、いつかは惹かれて好きになってたと思う。遅かれ早かれこうなってた。なんとなくそんな気がする。


 このまま時が経っても忘れられない。手遅れになる前にしっかりと話さなくちゃ。




 京華の家の玄関先までたどり着いた。


 体はもう疲弊しきっていて、休むことを余儀なくされた。


 この休んでいる間にも私は色々なことに考えを巡らされ、巡らした。


 京華を困らせたくないから、この想いはなにがあっても伝えないということ。


 キャンプのときにキスをしてしまったこと。あれはなんというか不可抗力というか、京華が 本当に可愛すぎるからいけないわけで……あの時の言い訳はどうしよう。


 そのまんま、可愛くてついしちゃったで通すしかない。それに女性同士でキスすることって 仲良い友達同士ならあると聞いたことがある。百合本を読んでしまったからこういう発想に至っちゃったのかな。


 けど、あのときの私たちは真剣に見つめ合ってただならぬ空気を醸しだしていた。


 悪ふざけでやったなんて言ったら逆にショックを与えてしまうかもしれない。京華も真剣に悩んでいるのか学校には来てくれないのだから。


 やはり、可愛くてついキスしてしまった。他意はない。で行こう。それで行くしかない。


 よし、行こう! ――と決意をしたところで人影が見えた。こちらに近づいてくる。


 誰だろう。男の人みたいだけど。


「君は遠近月望さんかな?」


「えっ、あっはい」


 会ったことがない人だった。スーツ姿で威厳のある風格。


「こんな時間になにをしているのかな?」


 誰だろう。補導とかされないよね。


「あ、あの私、休んでいる京華に会いに来たんです。お見舞いというか、話したかったというか……」


「そうか、わざわざ娘に会いに来てくれたんだね。でも学校はちゃんと行かなくちゃ駄目ではないかね」


 口ぶりからして、京華のお父さん!? 県議会議員を務めている堅い人だっていつか聞いてた……。


「は、はい、すいません。それでも京華に会いたかったんです」


「父として純粋に礼を言うよ、ありがとう。さぁここで立ち話もなんだから上がってくれたまえ」


「はい、おじゃまします……」


 京華のお父さんに連れられて私はまた久々に京華の家の玄関を跨いだ。


 お泊り会以来に入ったけど、やっぱり圧倒される荘厳な内装だ。豪邸と言って差し支えない。


 二階の京華の部屋の前まで案内された。京華のお父さんは邪魔にならないよう書斎に戻るという。私は一言礼を言い、お父さんが遠退くのを待って。


 ――決意を固めて京華の居る部屋の前から問いかけた。


「久しぶりだね。京華……」


 返事はなく。無言で返された。京華のお父さんが言うには部屋に居ると言っていたので部屋の中にいないということは間違いなくないだろう。


「ごめんね、私来ちゃった……京華にあの日のこと謝りたくてさ……」


 またしても返事はなく、静寂が重くのしかかった。


 私は泣きたくなるのを必死にこらえて言葉を紡ごうと考えを巡らせた。


 大丈夫。歩華ちゃんも彩葉ちゃんもののかちゃんも、ああ言ってくれた。


 京華は私のことを嫌いになんかなっていない。嫌いになんかなっていない。


「あのときのことで悩んで休んでいるんだよね……」


 私は想いを伝えない。また彼女とパフェを食べに行ったり、お泊り会をしたり、前みたいに楽しい日々を送りたいから。


「あの、ちょうど顔が目の前にあってさ、ついキスしたくなっちゃったんだ。他意はないの……ただ可愛かったから……その、自然と体が動いちゃって……」


「そうなんだ…………」


 やっと、やっと京華の返事が返ってきた。久しぶりに京華の声が聴けた!


 良かった。泣きたくなるくらい嬉しかった。けど、泣いたらちゃんと謝れないから今はまだ泣かない。ちゃんと仲直りできたら、そっと自分の部屋で一人で泣けばいい。


「そうなの……だから前みたいに仲良くしたい。学校で一緒にお昼食べようよ……」


 ――私の言葉を聞いて、京華は泣いていた。


 どうして? 感極まってしまったということだろうか。


 けど、扉は開かれない。私は扉越しの廊下で京華の言葉を待った。


 何分経ったのだろう。幾星霜を経たように感じられた、


 私が言いたいことは言い切った。後は京華の言葉を待つしかない。


 ガタッと物音が聞こえる。京華が立ち上がりこの扉を開けてくれるのだと信じた。


「嫌だよ、あたしは……」


「え」


 理解が追いつかなかった。なにを言われたか思い出せない。


 思い出そうとしても体が拒絶した。


 知っているのに忘れたかった。


「あたしね、月望ちゃんのことが好きなの……」


 声が震えていて把握できなかったのだろうか、自分の都合の良いように頭が捻じ変えたのか、私には好きと言われた気がしたけど、聞き返すのが怖くて。


「うう……こんなのおかしいよね。変に思われても仕方ないよね。あたしは月望ちゃんがずっと好きだったの」


「え、ちょっと待ってどういうこと……」


 またもや理解が全然追いつこうとしない。


 京華が私のことを好き?


「あのキャンプの日。キスされたときすっごく嬉しかったの。もしかしたら、あたしの方からしちゃったんじゃないかって錯覚だってした。けど紛れも無く月望ちゃんがしてくれたんだって思うと……」


 彼女は一拍置いて言葉を続けた。


「嬉しくもあり、悲しかった。だって、あたしたちは付き合えない。両想いなっちゃいけないの。あたしは怖かった。だけどこのまま一生……一生月望ちゃんの側に居たいぐらい好き。重いと思われるかもしれないけど、本当にそう思ってる。だからね、月望ちゃん。本音を吐いてよ……あたしのことどう思ってるの!?」


 私と同じ苦しみを京華は背負っていたんだ。


「私は……私は京華のことが好き!!」


 言えた。やっと言えた。絶対言えないって思ってたのに言えてしまった。


 こんなに嬉しいことがあったなんて。


「嬉しいよ! 月望ちゃん!!」


 バタッと扉が大きく開いた。ギリギリにそれを躱したところで京華が抱きついてきた。


「ひ、久しぶりだね京華ぁ」


「うん! 久しぶり。やっぱり駄目だ。あたし月望ちゃんのこと大好きだ」


 その後しばらくして、私たちはどうにか落ち着きを取り戻し京華の部屋でお茶を飲み始めた。


 確かに両想いになってこの愛が死ぬまで続くのだとしたら、不幸になる人もいるかもしれない。親にだって迷惑を掛ける。それでも私はやっぱり京華と一緒に居たい。


「あたしね、中学の頃から好きだった。初めて出逢ったときは別にこんなこと考えたこともなかったのに。だけどね、月望ちゃんが教室で一人ぼっちで居てさ何とかしたいなって気持ちが強くなって……いつの間にか気にかけてた」


 そう言うと京華はあの例の本棚へ手を伸ばした。


 手に取ったのは、あの日に読んだ百合本だった。


 ぺらぺらとページを捲る彼女は感慨深そうな顔をして。


「本当はファンタジーとしての百合が好きなわけじゃない。百合本を集めていたのも……その……あたしと月望ちゃんを重ねて読んでいたんだよね」


 顔を赤らめてるんだろうな。私に見られないように俯いているようだけど、耳まで真っ赤だ。


「これがいけない気持ちだっていうのは分かってる。でもね、こうやって両想いになっちゃたらもう歯止めなんて効かないよ」


「うん、そうだね。私ももう京華と離れたくなんかない」


 ありのままに心情を吐露した。


「あたしのお父さん議員さんでしょ? 家が結構厳しくてさ、こういう想いは絶対隠さないといけないって想ってたんだけど、最近になってその想いが除々に増してきてたんだ」


 憂いを帯びた眼差しに私の心は締め付けられた。


 気持ちが高ぶって、どうしようもなくキスをしたくなった。


「京華、こっちを向いて」


 振り返る京華の口元に狙いを定めて。


 唇を重ねる。


「びっくりした……心臓止まるかと思った……」


「ごめん、練習は終わりね、次は本番のキスなんだから!」


 私と京華の間を阻むものはなにもなく、唇は塞がれた。


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