2
東京の町並は、様相が一変していた。
空は真っ暗で夜よりも深い闇に覆われている。
ビルは半分から折れ、えぐり取られ、骨組みだけを残しているものまである。
道路は所々陥没し、あちこちから火の手が上がっていて、戦車が転がっている。
まるで、戦争でも起こったみたい。
呆然としていると、空で何かが光った。
それは炎上しながら落ちてくる。
天音は急いでその場から逃げ出した。
しかし――間に合わない!?
だったら!
空高く舞い上がるイメージ。高速で移動するイメージも追加だ。
「『飛翔風』!」
足下に風が集まると同時に、それが爆発するように天音を空へと舞い上がらせた。
大きな破裂音と爆風が空へと逃れた天音をも吹き飛ばす。
天音がいたところに落ちてきたのは、戦闘機だった。
一体、日本は何と戦っているのか。
なんとか体勢を整えて辺りの様子を空から窺う。
東京の街並みはどこもかしこも破壊され、それこそロックの世界の廃墟を窺わせるような状況だった。
ここは天音の世界の隣だったと言うことは、やがては天音の世界もこうなると言うことだろうか。
「『風の翼』」
背に風の翼を纏い、緩やかに飛行しながら崩れかかったビルの屋上へ降り立った。
闇に覆われた不吉な空を見上げていると、何かが空を飛んでいくのが見えた。
戦闘機ではない。
ジェットエンジンの音なんてまるで聞こえてこない。
そもそも大きさが違う。
この屋上からでも遠くて豆粒のようにしか見えないが……今のは、人間だったんじゃ……。
その正体は、すぐにわかった。
目の前のビルはまだ比較的無事で、そこには大きなモニターがあった。
モニターにはテレビの緊急放送が流れている。
ヘリコプターから撮影しているのだろうか。
時折画面が乱れながらも、はっきりと彼女の姿を捉えていた。
特徴的な赤い髪のポニーテール。ピンクのリボンにピンクのフリフリドレス。
杖にまたがって鬼気迫る表情を見せていた。
『ご覧ください! 日本の皆さん! そして、地球に住む全ての方々。彼女はまだ諦めてはいません! 我らの魔法少女――シャイニーグリムは戦っています! ですから皆さんも――』
『それ以上近づいちゃダメよ! 逃げて――』
シャイニーグリムの向こうには何か黒い人影が見える。
そこで放送は途切れた。
モニターには砂嵐が流れている。
ここは、魔法少女が存在する世界だった。
あの禍々しい人影は、カラス人間の仲間だろうか。
確か、ディープダークとかって言ってた気がする。
この空が暗いのも、東京が破壊されているのも、全てあの人影がやったこと……?
聞くまでもないか。
つまり、この世界の扉が歪んでいたのは、この世界がなくなろうとしているから。
人間が滅ぼした惑星ムートですら、世界はなくなったわけではなかった。
ディープダークとかいう連中はこの世界そのものを消滅させる気なのか。
それで、自分たちが存在しなくなっても、構わないのだろうか。
……どうする?
このまま見なかったことにして元の世界に帰る?
この世界がなくなるのなら、ここで今見ていることだってなかったことに出来る。
咎める者はこの世界ごとなくなるんだ。
……世界を、救いたいと思って自分の世界を飛び出したのに、この世界は見捨てられるのか。
だって、今までの世界は自分の持てる知識と力で救うことが出来るとわかっていた。
こんな状況で、あんなわけのわからないもの相手に何が出来ると言える。
この世界を救う者がいないわけじゃない。
この世界には魔法少女がいる。
きっと彼女がテレビの主人公みたいに悪い奴をやっつけてくれる。
「きゃああああああ!」
小さな人影が飛んできて隣のビルに激突した。
その衝撃で、ビルの窓ガラスは粉々になり、地上に雨のように降らせる。
『伝説の魔法少女が、この程度だったとはな』
頭に鳴り響くような声。
さっきテレビにチラッとだけ映っていた人影。
その人が空をゆっくりと歩いていた。
軍服のような黒衣を身に纏い、灰色の髪に青白い肌。
遠目でも、それが普通の人間じゃないとわかる。
『我が名はソロネシア! 闇の国ディープダークの王! 世界の全てを闇に染め、この世界に終焉をもたらすものだ!』
頭が割れそうなほど揺さぶられる。冷や汗なんかじゃない。もっと絶望的な何かが、天音の心を襲っていた。
「……勝手に終わらせないでくれる? 私はまだ生きてるんだから!」
ガラガラと瓦礫を押し退けて、煙を上げるビルの真ん中から魔法少女シャイニーグリムが姿を現した。
『ハハハッ! それはそうだ。俺はまだ準備運動の真っ最中だからな。これで終わりなら拍子抜けさ』
「戯れ言を! だったら、準備運動で終わらせてあげるわ!」
シャイニーグリムはビルから飛び上がる。その手に持つ杖が光り輝き――。
「シャイニングロッド、ステージワン!」
杖は弓矢へと姿を変える。
「闇を撃ち抜く一筋の光、シャイニングアロー!!」
それはいつか、あのばい菌の化け物を一撃で葬った必殺技。
それを今度は連続で五発撃ち込む。
光の矢はソロネシアの両手両足、そして頭を確実に捉えていた。
光が爆発し、天音は目を瞑った。
全弾命中!
それはただ見ていた天音にもわかるくらいの衝撃と手応えだった。
しかし、目を開けるとさっきと変わらぬ姿でソロネシアは悠然と立っていた。
避けられなかったのではない。
避ける必要がなかっただけだ。
『なかなか面白い見世物だったな。ま、それ以上の価値は無いが』
「言ってくれるわね。それなら、これで!」
地上へ降りたシャイニーグリムは杖を両手に構える。
「シャイニグロッド、ステージスリー!」
杖の先が二股に分かれて槍のような形になる。その真ん中には杖の宝石が浮いていた。
あれは、あの特大の一撃。
光が二股に分かれた杖の先に集まる。
その輝きは、まるで地上の太陽のように辺りを照らす。
『ほぉう』
それを見て、ソロネシアは初めて両手で構えをとった。
「まだ……もっとたくさんの光を……!」
さらに光が集まっていく。
「これが私の全力……! 未来に届け一条の光! シャイニング……バスター!!」
解き放たれた光が東京を照らし、空を覆う黒い雲を突き破る。
雲の隙間から太陽が少しだけ顔を出した。
それで、今は昼間だったのだと気がついた。
……これで、終わった。
やっぱりこの世界を救うのは天音ではなかったのだ。
片膝をついて肩で息をするシャイニーグリムを労おうと、天音は彼女の元へ向かった。
「やったわね」
「……あなたは……! 確か、マルファスを倒したときに助けた……」
「そうだ、あいり。急にどこかへ消えちまった人間だ」
光の妖精――ティンクルが敵意むき出しで天音を見据える。相変わらず名前を隠す気はないみたい。
そういえば、普通の人間にはティンクルの姿は見えないようだし、隠す必要がないのか。
「ティンクル、その人を連れて、逃げて」
「え? どうして? こいつが敵か味方かまだよくわからないんだぜ」
ティンクルが抗議していたが、天音の耳にはそれ以上入ってこなかった。
それよりも、今あいりちゃんはなんて言った?
逃げろって言わなかった?
どうして?
まさか、あの一撃をまともに受けて無事なはずはないじゃないか。
あいりちゃんはもう天音を見てはいない。
その視線はずっと空へ向けられていた。
『……かつて、俺を封印したのは伝説の魔法少女シャイニーグリムと名乗った。お前がその伝説を受け継ぐものだとしたら、もう誰も俺を止められん!』
吐き気を催すような暗く冷たい声。
天音も空を見上げると、ソロネシアは生きていた。
太陽は再び闇に閉ざされ、辺りは夜のようになってしまう。
『今の見世物のお礼代わりだ。取っておけ』
ソロネシアが手から闇を放つ。
一つ一つの指から放たれた五本の闇がそれぞれが生きているような動きで、街と大地を引き裂く。
「危ない!」
呆然としていた天音をあいりちゃんが突き飛ばす。天音が立っていた辺りが闇に削り取られていた。
「ティンクル! その人は任せたよ!」
「お、おう。こいつを安全なところへ連れて行ったら、僕も合流する」
そう言ってあいりちゃんは杖にまたがり空へ飛ぶ。
あいりちゃんは旋回しながら光の球のようなものをソロネシアに撃つが、まったく効いていない。
逆に、同じように闇の球が撃ち返されてあいりちゃんを確実に捉える。
撃ち落とされそうになっても、それでもなんとか体勢を整えて、攻撃に移る。
しかし……。
「おい、いつまで見てるんだよ。また流れ弾に当たっちまうぞ」
「ねえ、あのままじゃあいりちゃんは勝てないんじゃない?」
あいりちゃんの攻撃はまったく効いていない、ソロネシアの攻撃は徐々にではあるが確実にあいりちゃんの体力を削っている。
いや、あれだけの力を持っているソロネシアがあいりちゃんを倒せないはずはない。
あいつは、遊んでいるんだ。
「だったら……だったら、どうしろって言うんだ? みんなを見捨てて逃げろって言うのかよ!」
ティンクルは泣きながらそう叫んだ。
そうか、ティンクルだってわかっているんだ。
この絶望的な状況。圧倒的な力の差。
「――あ!」
ソロネシアが一際大きな闇を抱えてそれをあいりちゃんに投げる。
「まずい! 僕はあいりを助けに行く! お前はちゃんと隠れてろよ!」
そう言って、ティンクルはあいりちゃんのところへ飛んでいった。
あいりちゃんは杖を操って空を翔る。
巨大な闇に押しつぶされないように、なんとか逃げようとしているが……それはあいりちゃんを追いかけるようにして動いていた。
「うあああああああぁぁぁぁ……!」
耳を塞ぎたくなるような叫び声。それは、あいりちゃんの絶望の叫び声だったのかも知れない。
闇はあいりちゃんを巻き込んで地上を削り取る。
その爆風は離れていた天音をも吹き飛ばすほどだった。
――こっちもまずい!
「『風の盾』よ」
全身を風で守るイメージで魔法の言葉を放つ。
天音も爆風でビルに叩きつけられたが、上手く風がクッションになってくれて無傷だった。
問題は、あいりちゃんだ。
無事なのだろうか。
「『風の翼』」
天音は急ぎ、闇が爆発したところへ向かった。
大地が円形に削り取られたその中心にあいりちゃんは倒れていた。側にティンクルも倒れている。
「あいりちゃん!」
生きているのか、それとももう……。
嫌な考えを振り切るようにあいりちゃんの元へ駆け寄る。
近寄ると、あまりに見るも無惨な姿に絶句した。
ポニーテールをまとめるピンクのリボンはなくなっていて、あの可愛らしいフリフリの衣装は至る所が破けてボロボロ。そこから見える傷は、とても戦えるような状態ではなかった。
それなのに――。
震える手で杖を掴み、体を引きずるようにして立ち上がる。
「お、思い出したわ。あなたは照日天音さんて言ったわよね」
「え? あ、うん」
「は、早く逃げて……。こ、ここにいたら、私に巻き込まれちゃう……。悪いけど、あの時と違って、あ……天音さんを助けながら、戦うの……無理だわ」
「ちょっ……ちょっと待って。あなたまだ、戦うつもりなの!? どうして!? 無理だよ!? その体じゃ……」
「私は、魔法少女だからね。みんなの希望、未来を導く光だから。私が諦めたら、みんなの未来がなくなっちゃう。それは、絶対に嫌なんだ」
「ん……あ、あいり? 大丈夫?」
ティンクルも目覚めてあいりちゃんを支えた。
「ティンクルのお陰で、なんとかね」
「ごめん。僕の力じゃあいつの力を完全に防ぐことは出来なかったみたい」
「それじゃ、行こうか」
「ああ」
「天音さん。本当にもう、逃げた方が良いわ。あなたはこの世界の人間じゃないんだし」
「――え? あいりちゃん、気がついて……?」
あいりちゃんは返事をせずにティンクルと共に再び空へ向かった。
最後まで無関係の天音に気を遣っていた。
あいりちゃんは全て理解していたんだ。
きっと、ソロネシアの恐怖に怯えている天音の心にも。
天音が逃げるのは簡単だった。『異世界跳躍』の能力なら、ソロネシアだって追いかけることは出来ない。
でも、本当にそれでいいのか。
後悔、しない?
危険であることは間違いない。
何を考えているのか。
無謀だ。
魔法少女だって太刀打ち出来ないヤツを相手に、多少の魔法が使える程度の天音が役に立つわけはない。
だけど……。
一つの世界がなくなろうとしていて、それに気がついてしまって、見過ごせるなら……なんのための『異世界跳躍』なのか。
根拠はない。
ただ……決して諦めないあいりちゃんの瞳と決意は、見捨てられない!
「『風の翼』よ!」
天音はありちゃんの後を追って空へ飛んだ。
あいりちゃんはさっきと同じように旋回しながら攻撃を繰り出していた。
ソロネシアの反撃も同じようだったが、あいりちゃんの周りでちょこまか動く光がことごとく闇の球を叩き落とす。
ティンクルが防いでいるのか。
『小賢しい!』
闇の矢が、あいりちゃんにではなく、ティンクルを狙った。
「うわっ!」
ターゲットが変わったことに驚いたのか、ティンクルは闇の矢を落とすことも避けることも出来ずに肩の辺りを貫かれた。
『次はお前だ!』
さらに放たれた闇の矢。
ここからなら、なんとか間に合うかも。
イメージは火の玉――いや、炎の球。人の大きさくらいで、高速で飛ばす。
「行けえ! 『火炎球』!」
天音の手から放たれた炎の塊が、空を翔る。
それはソロネシアを掠め、あいりちゃんを背中から貫こうとした闇の矢に当たって炸裂した。
『なに!?』
「――!?」
ソロネシアとあいりちゃんは天音を見て同時に驚いていた。
あいりちゃんが杖を操り、天音の側に来る。
どうやら、ティンクルも無事みたいだった。
あいりちゃんの杖の先に掴まっていた。
「天音さん……あなたは……」
「君も、魔法少女だったのか!?」
ティンクルが問い詰める。
天音は首を横に振って否定した。
「違うわ。ちょっと魔法が使える。通りすがりの異世界人よ」
「……一緒に、戦ってくれるの?」
あいりちゃんの言葉は弱々しくて小さくて、年相応の中学生らしく見えた。
「あいりちゃんはみんなの未来を守りたいって言ってたよね。私は、あなたの未来を守りたい!」
そう言いきって、ソロネシアを見据えた。
『何のつもりだ?』
こうして側で見てみると、顔は悪くなかった。
細く切れ長の瞳は憂いを帯びていて、甘いマスクは悪魔的な美しさと形容するに相応しい。
背は二メートルくらいはある。でも、大柄の男という感じではない。足が長くてスリムな体型だからだろうか。
人間だったら、女の子にモテそうだ。
「それは、こっちのセリフよ! あなたは世界を消してどうするつもりなの!? あなた自身だって消えてしまうかも知れないのよ!」
『だからどうだと言うのだ。俺が邪悪な存在でしかないこの世界などなくなってしまえばいい』
「そんなに自分が嫌いなら、勝手に死ねばいいでしょ。世界を巻き込む理由なんてない!」
『わかっていないな。俺が死んでも、また別の俺が現れるだけだ。ここはそういう世界なのだ』
「……それって、まさか……」
今は、目の前の敵――ソロネシアに集中しなければならないのにソロネシアの言葉の意味を本当の意味で理解しているのは天音だけのような気がした。
こいつは世界が失われると言うことの意味を正しく理解している。
それは、この世界から人間が滅びるだけでなく、他の生き物や植物、空や大地や海がなくなることをいっているのではない。
物理的な話ではなく、それはもう二度とこの世界の扉が開かれることはなくなるという意味。
天音の直感は間違いではなかった。
止めなければならない。世界は失わせたりしない。
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