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「……ど、どうされたのですか!?」

 淡々と説明していたロックが天音の目から溢れる涙を見て驚いた。

「わからないわ。わからないけど、止められないのよ」

 同情とは違う。悲しみでもない。

 ただただロックの歩んできた壮絶な時間が天音の心を揺さぶった。

「……申し訳ありません。つまらない話でしたね」

「そうでもないわ。ロックのことが少しだけわかった。あなたが人間臭いのはきっと、あなたのプログラミングにリミッターが付いてるからなのね。それを取りつけてくれた人、生きていたら話してみたかったわ」

 天音には友達は少ない。

 心を許せるのは暦ちゃんくらいだった。

 それなのに、ロックを人間的にしてくれたその人には会ってみたいと思った。

「そうですね。私に名前を付けたと知ったら、彼も驚いてくれたでしょう」

「ところで、それよりも古い歴史のデータはないの?」

「ありますよ。当時の歴史の教科書が適切でしょう」

 ロックがそう言うと、突然目の前の薄型モニターに電源が入り、教科書の表紙が表示された。

「タッチパネルの操作はご存じでしょうか?」

「説明の必要はないわ」

 モニターを指でなぞると画面の中の教科書が一枚ずつ開かれていく。

 しかし、どのページにも天音が知る歴史は存在しなかった。

 少なくとも天音の世界の未来ではない。

 科学文明が進んだ姿は未来の地球を現しているかのようだが、違うとわかって少しだけホッとしていた。

「天音さん。私にもあなたの話を聞かせていただいてもよろしいですか?」

「それは、人間なのにどうして地上で生きることができたのかってこと?」

「ええ」

「わからないけど、一つだけはっきり言っておくわ。私はこの世界の人間じゃないの。別の世界――いわゆる異世界からやってきてしまった」

「異世界――!?」

 ロックにはその言葉に何か思い当たる節があるのか、考え事を始めてしまった。

 ロボットだから、考え事と言うよりデータを検索でもしているのかも知れない。

 ってことは、何かしら情報がある?

「ロック、何かわかるの?」

「……少しお待ちください。私の持つデータだけでは明確な答えが出せません。このコンピューターのデータもリンクさせて調べているのです」

「ん……そう。ありがとう」

 はやる気持ちを抑えてただじっと待つ。

 話しかけることで余計なメモリーを使わせたくないからただ黙って待つけど、ほんの数分がこれほど長く感じたことはなかった。

「……ヒットしました。まだ仮定の域を出てはいませんが、恐らく天音さんは『異世界跳躍(いせかいちょうやく)』と呼ばれる能力を使ったようです」

「『異世界跳躍』?」

「それで少し納得できました。この世界の生き物にとって有害でも、あなたの世界でも同じとは限らない。異世界の人間だから、この世界でも生きられるのですね」

 そういうものなのだろうか。

 でも、『異世界跳躍』という能力に関しては仮定ではなく、真実であると悟った。

 それはその能力を実際に使ったからそう感じたのか。

「って、ちょっと待って。そのキーワードがデータから出てきたってことは……」

「お察しの通りです。この世界ではそれに関係する研究も行われていたようです」

 それは、かつてない希望だった。

 ここは地球よりも遙かに科学文明が進んでいる。

 いや、進みすぎて滅びてしまったのかも知れないが。

 しかし、科学文明が発達した世界で『異世界跳躍』について研究が行われていたと言うことは、その情報を使って元の世界へ帰れるかも知れない。

 あるいは、『異世界跳躍』のための機械があるとか。

「それでは、参りましょうか」

「どこに?」

「異世界についての研究施設にです」

 さすがに優秀なロボットは仕事が早い。

 天音が次に望むであろうことを予測して準備している。

 こんなロボットにお世話されていたら、確かに楽園のような世界だろうな。


 ロックが連れてきたのはビル街の北東の端。

 丸いドームのような建物。といってもそれはもう面影だけで、屋根の部分は吹き飛ばされてほとんど野ざらしだった。

「こちらから入りましょう」

 壊れた壁の隙間をロックが広げる。

 本来の入り口の辺りは瓦礫の山に塞がれてとても入る隙間すらないらしい。

 中は野球場くらいの広さ。

 その中央には巨大な機械が置いてあった。

 それは特撮とかSFなんかで見かけるレーザー銃のような形をしているが、台座に固定されていて、大きさはバス四台分くらいあった。

 それを囲むように壁伝いにいくつもの部屋がある。

 どの部屋もあの透明な窓が嵌められていて、どの部屋からでもこの機械が見えるし、逆にこの広場から全ての部屋の様子が見える。

「天音さん、この部屋にはまだ資料が残っています」

 いつの間にかロックは近くの窓のない部屋に入り込んで物色していた。

 ロックに探してもらった資料を見せてもらうが、困ったことになった。

 文字は、読める。しかし、書いてある内容があまりにちんぷんかんぷんだった。

 物理学の話が出てきたときは、軽く目眩を覚えた。

 暦ちゃんなら理解できるかも知れないけど、成績はごく普通の高校二年生でしかない天音には理解不能だった。

「ごめん、せっかく手伝ってくれてるのに私には理解できない」

「……ワープ技術というのはご存じですか?」

「難しいことはわからないけど、まあ何となくアニメで見たことは……」

「イメージ的にはそれに近いようです。空間から空間へ瞬時に跳び越える。その技術開発の過程で異なる空間――つまり、異世界へワープできるのではないか、と」

「……その方法とかは書かれていないの?」

「そこまでは……何しろ、このデータも千年以上前の物ですし。その頃の研究というのは仕事ではなく趣味として行われていたものなので、あまり成果を重視されていなかったのです」

「そういえば、滅びる直前の人類は仕事から解放されていたんだっけね」

 ロックが見つけてくれた資料はたくさんあった。その全てを熱心に見ているが、天音は最初の資料をチラッと見ただけで諦めた。

 それよりも気になるのはあの真ん中に陣取っている巨大な機械。

「ねえ、ところであれは何をするための機械なの?」

「あれは亜空間を精製するための装置です。この世界のワープ技術は亜空間を使うことを前提としていたので」

「それじゃあ!」

 あの装置を使って『異世界跳躍』ができるのではないかと思ったが、ロックは首を横に振って否定した。

「残念ですが、ワープ技術は研究段階だったのです。完成には至っていません。それに、もし技術的に可能だったとしても……この壊れた施設で行うことは不可能でしょう」

「……ロックにも直せそうにないってこと?」

 あれだけのビルを地下シェルターに作ったのだ。できないはずがない。

「データは、何とか漁れば見つかりそうですが……精密機械ですし、素材があるかどうか。もし素材が見つかったとしても修理が終わるまで何年かかるか申し上げられません」

 結論は、ここの機械や装置を使って元の世界に帰ることはできない。ということ。

 天音の算段は甘かった。

「……一度、帰ろうか。何か疲れちゃった」

 期待していた分、ガッカリした。体力的にと言うより、精神的な疲労感だった。

「そうですね。少しだけ待ってください。ここの資料をデータとして記録しておきます」

 壊れかけのコンピューターを漁り、ロックはしばらく動きを止めた。

 データの転送でもしているのだろうか。

 天音は近くの机の上に座り、灰色の空を見上げた。

 命が存在できない汚染された死の世界。

 ロックは天音が異世界の人間だからこの世界でも生きられると言った。

 だから、あのリンデート王国の世界でも天音にだけ疫病がうつらなかったのだろうか。

 そう考えると、似ている症状でも風邪ではなかったのかも知れない。天音の世界の風邪薬では治せないのではないだろうか。

 ……本当は自分の世界に帰ればそれで満足しなきゃいけないんだと思う。

 それだってまだ見通しすら立たない。

 でも、疫病に苦しむクルスさんや死んでしまったクヴィスタの顔が頭から離れない。

「終わりました」

「……え? あ、そう」

「……どうかしましたか? 少し気分が沈んでいるように見えます」

「気分って……ロックにはそれを見分けることもできるの?」

「表面的な体調だけでは人間の健康は管理できませんから」

「そう……」

「とにかく、もうここに用事はありません。天音さんの言った通り家に帰りましょう。夜になると風が冷たくなります」

 天音は立ち上がり、ロックの後に続いて丸いドームのような建物から出た。

「歩くことに疲れたら言ってください。私が天音さんをお運びいたします」

「ありがとう。でも、いいわ。ちゃんと自分の足で歩きたい」

 何でもかんでもロボットが世話してくれる。

 楽だけど、それでこの世界の人たちは生きている実感を得られたのだろうか。

 天音は元の世界は退屈だと思っていた。好きなことだけやって生きていけたらと、どんなにか思ったことだろう。

 しかし、苦労しない世界では、それを乗り越える喜びもない。

 この世界で人間が滅びたのは必然だったのではないか。


「天音さん、食事をしませんか?」

 地下シェルターに戻るなりロックがそう言った。

 言われてみれば確かにお腹は空いている。ただ……。

「この世界って動物だけじゃなくて植物さえ育たないんでしょ? 食事って、何を食べろって言うのよ」

「非常食用の缶詰がたくさんあります」

「……それって、千年以上前の物でしょ? 腐ってるでしょ。さすがにこの世界で食あたりになって死ぬのは嫌なんだけど」

「たった千年前ですよ。腐っているわけありません。私が管理していたので保存状態は良好です。私が活動している限り、非常食が腐るようなことはありませんよ」

 自信たっぷりに胸を張った。

「それでは、持って参りますので、家で待っていてください」

 そう言うと走って地下シェルターの奥へと向かってしまった。

 天音はあのビルの中に入る。

 そこは天音の世界のホテルの作りのようになっていた。

 一階の入り口はホールのようになっていて、受付カウンターまである。きらびやかなシャンデリアはとてもロックが一人で作ったとは思えない。

 左右に伸びる廊下はリンデート王国の城を連想させるが、装飾はどれも未来的だった。

 奥にはエレベーターと階段がある。

 ……そういえば、ここの電力ってどうなってるんだろう。

 ま、考えても仕方ないか。そもそも科学技術が地球とは違うんだし。

 第一、ロックの動力源だってよくわからない。

 天音は面倒だったので一階のホールから一番近い部屋に入った。

 部屋の中は意外にもシンプルな作りだった。

 壁際にベッドが二台あって窓の近くにはテーブルとソファー。

 隣の部屋はどうやらユニットバスになっているようだった。

 奥のガラス戸(といっても材質は例のプラスチックのような何かなのだが)からは外が一望できる。

 そこに立って外――つまりは地下シェルターを見渡していると、ロックが缶詰を抱えて戻ってくるのが見えた。

 ロックも天音に気付いたのか、ビルの入り口ではなくガラス戸に向かってきた。

「お待たせしました」

「ありがとう」

「用意しますので、どうぞ座ってお待ちください」

 ロックは缶詰を持ったまま、どこかへ行ってしまった。

 缶詰に食事の用意も何もないだろうにと思って待っていると、なんだかいい匂いがしてくる。

 程なくして、お皿に盛り付けられた料理をロックが運んできた。

「どうぞ、お召し上がりください」

 肉料理に見えるけど、見たこともない料理だった。

「これ、どうやって?」

「ただの缶詰では味気ないと、昔よく言われたので。レシピデータから料理をしてみたのですが、お気に召しませんでしたか?」

「ううん。そんなことない。やっぱりあなたの主はいい人だわ」

 腐っているかどうかなんてこの美味しい匂いの前では問題にすらならなかった。

 天音は久しぶりのまともな食事をあっという間に平らげた。

 そして、ユニットバスでシャワーを浴び、その間にロックが洗濯してくれた制服を着る。

 ここの洗濯乾燥機はものの五分で仕上げてしまった。

 天音はベッドに横になるが、ロックはガラス戸の前で立ったままだった。

「……ロックは寝ないの?」

「スリープモードのことですか? 今は使えないのです」

「……どうして? どこか壊れちゃってるとか」

「いえ。もうすぐ結論が出せると思います」

「言っている意味がよくわからないんだけど」

「天音さん。実はずっとあなたの能力について過去のデータやワープ技術に関するデータ、そして異世界という概念から計算させていただいたのです」

「どういうこと?」

 天音はさすがにベッドから体を起こした。

「結論から申し上げましょう。天音さんの『異世界跳躍』は偶然起こった現象ではないと推測されます」

「偶然じゃない……?」

「つまり、天音さん固有の能力として起こった事象です」

「私が、自分で……? でも、どうして? そんなことができる人間なんて……」

「この世界ではワープ技術実験の一つで、人の意識は空間を越えることができると実証されています。天音さんの強い意識が肉体と共に異世界を越えてしまったのかも知れません。詳しい原理はわかりかねますが」

 それが本当なら、天音は自分の能力として『異世界跳躍』できると言うことか。

「実は、もう一つ気になることがあったのです」

「何?」

「天音さんの――といいますか。あなたの世界のヒトゲノムはこの世界のヒトゲノムと変わりがありませんでした。つまり、科学的には天音さんはこの世界では生きられない。『異世界跳躍』という能力はこの世界の科学力をもってしても解明できない何かがあるのかも知れません」

 言葉がわかるのもそう言うことなのだろうか。

 しかし、今考えるべきことは最初にロックが言ったこと。

「話を戻すけど……私は自分の意思で『異世界跳躍』できるってこと?」

「元々、天音さんは何か道具を使って『異世界跳躍』したわけではありません。論理的に考えるならそういうことになります」

 言われてみれば確かに、天音は初めて『異世界跳躍』した時、車に轢かれて死ぬかも知れないと思ったとき、死にたくないと強く思った。

 二度目の『異世界跳躍』もクヴィスタが死に、クルスさんが疫病に罹ったことに絶望して、その世界から強く逃げ出したいと思わなかっただろうか。

 強い意思でもって可能なら。死ぬほどの危機や死ぬほどの絶望は強い意思を抱くためのスイッチに過ぎない。ということか。

「ねえ、私が異世界の人間だからこの世界では生きられると言ったわよね。それなら、逆にこの世界で私が病気に罹ったら、この世界の薬では治せないと言うこと?」

「……症状がこの世界の病気と酷似しているなら、薬は効くかも知れません。ヒトゲノムは同じなわけですから」

 希望が出てきた。

 リンデート王国を襲っている疫病は風邪の症状とほとんど同じ。

 それならやっぱり、天音の世界の風邪薬で治せるかも知れない。

「ありがとう。ロック。あなたのお陰で何となくわかってきた気がする」

「……帰るのですね」

 イメージは、自分の部屋。

 地球の日本の東京の――二階建ての建売住宅。階段を上って廊下を進み、二部屋目が天音の部屋だった。

 六畳一間でフローリングの部屋。壁際にベッドがあって、窓側には机。その右隣には本棚。左隣にはラックがあってそこにはテレビとミニコンポが置いてある。

 意識を強くそこへ向かわせる。

 すると――妙な浮遊感が全身を襲う。

 これまで二度経験したときと同じ、奇妙な感覚に意識が飛ばされそうになる。

「ロック。私はあなたのことは忘れないわ。この世界のことも。だからきっと、いつでも戻ってこれると思う」

「……私のエネルギー炉は半永久式なので、いつでもお待ちしております」

 天音は最後に笑顔をロックに向けた。

 ――そこで、まるでテレビの電源を切ったときのようにぷつりと意識が途切れた。

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