第80話 狙撃のすすめ
「前方に一体、オーガが残っていることに気づいた」
遠くを見つめながら、俺は隣に佇むミゼへ言う。
「依頼内容はオーガ三体の討伐だが……恐らく依頼主が数え間違えたのだろう。討伐の証拠であるオーガの角を回収するためには、付近に潜む四体目のオーガも倒さなくてはならない。――その討伐を、ミゼに任せたい」
「私に……」
小さく声を漏らしたミゼは、暫く顔を伏せたが、やがて決意した表情で答えた。
「やって、みます」
混乱するよりも早く。詳しい説明を求めるよりも早く。ミゼは首を縦に振った。
よほど強く、役に立ちたいと思っていたのかもしれない。話が早くて助かる。
「《狙撃》に求められるのは魔法制御力だ。……魔法制御力は、他の魔法出力や魔法即応力と違って、練習すればするほど身につく技能でもある。つまり、知識や経験が物を言う能力と言っても過言ではない。
そして、ミゼには――人並み外れた知識と経験がある」
特殊な
この力があるおかげで、ミゼは魔法制御力に関しては桁外れのものを持っている。
「先程の《錬金》を見た限り、ミゼの魔法制御力はかなり高い。《狙撃》を使いこなすための能力は既に持っている筈だ」
「あの、武器はどうすれば……」
「今回は俺の『狙撃杖』を貸す」
左手首から黒い腕輪を外し、それをミゼに渡した。
「腕輪を手首につけた後、そこに魔力を通してみろ」
「は、はい」
ミゼが俺と同じように、左手首に腕輪を装着する。
次の瞬間、ミゼの手元に真っ黒な『狙撃杖』が現れた。
「ひゃっ!?」
「
恐らくミゼが再びギルドで魔法力を測定すれば、魔法制御力はAランクを叩き出す筈だ。
BF28を使用する場合、魔法制御力がAランクであることは最低限の条件となる。完璧に使いこなすことは難しいだろうが、即席の戦力としては十分と言えるだろう。
「BF28……トゥー・エイト?」
ミゼが何かに気づいた様子を見せる。
そして何故か、妙に焦りだした。
「あ、えと、その……い、いいですよね! 自分の武器に、自分の名前をつけるのって、浪漫があると言いますか――」
「――違う。俺がつけた名前ではない」
まだミゼには、俺のコードネームが「28」であったことは伝えていない。
クリスは今の俺の名である「トゥエイト」が、かつてのコードネームを彷彿とさせるため、あまり気に入っていない様子を見せていた。実際、語感が似ているためその気持ちも分からなくもない。後の日常生活に影響する気もするので、コードネームに関することはミゼに言わないでおくことにした。
「先にBF28の使い方を教えるか。……少し貸してくれ」
ミゼからBF28を受け取り、俯せになる。
「構えはこれだ。両足は軽く開き、両肩は水平にする」
「先程のトゥエイトさんとは違う構えなんですね」
「膝撃ちは中距離での戦闘を想定したものだ。咄嗟に逃げたり隠れたりと、臨機応変に動けるのが長所だが……射線の安定を優先するなら、今回教えた伏せ撃ちの方が向いている。試しにやってみろ」
BF28をミゼに渡し、構えを取らせる。
何度か修正を経て、伏せ撃ちの構えが整った。
「呼吸は苦しくないか?」
「大丈夫です」
「よし、じゃあ杖の上にある『遠視晶』を覗いてみろ」
指示された通り、ミゼが片目で『遠視晶』を覗く。
「……よく、見えません」
「杖に魔力を込めると、ピントが合う」
「……合いました」
「左手で杖の中心部を支えてみろ。内部に組み込まれた術式が、ミゼの魔力を感知する筈だ」
「……ゆっくりと、魔力が杖の手前に、誘導されているように感じます」
「正常に機能している証拠だ。その感覚を忘れないでくれ」
センスのない者ならこの感覚を拾えない。
ミゼには『狙撃杖』に対する適性もあるようだ。
「次は弾の装填だが……一度、杖を腕輪に戻してくれ。底の方に魔力を通せばいい」
言われた通り、ミゼはBF28の底に手を添えて魔力を流す。
すると漆黒の杖は、一瞬で腕輪となってミゼの左腕に装着された。
「ミゼ、《魔弾》は使えるか?」
「はい」
「なら《魔弾》を発動する要領で、掌に弾を作ってみてくれ」
右の掌を上に向けたミゼが、瞼を閉じて集中する。
暫くすると、その掌の上に薄らと灰色の弾丸が顕現した。
「こう、ですか……?」
「それを更に硬く、小さくできるか? ……こんな感じだ」
手本を見せるべく、ミゼの前で掌を開き、その上に魔力の弾丸を生み出す。
ミゼの掌にある弾と違って、俺の掌にある弾は色も輪郭もはっきりとしていた。
「……魔力って、こんなに圧縮できるものなんですか」
「ミゼにもできる筈だ。渦を巻きながら、中心へ収束していくイメージを持つといい」
「分かりました」
狙撃という戦法のいいところは、準備に時間をかけられることだ。
多少、弾の生成にまごついても問題ない。
「こ、こんな感じ、でしょうか……?」
「……及第点だな。八百メートル以内の狙撃なら十分保つだろう」
ミゼが作った弾を観察しながら言う。
「よし、今説明した動作を最初からやり直すぞ。まずは杖を出して、構えてくれ」
「はい!」
ミゼは先程と同じように、腕輪に魔力を通してBF28を手元に出した。
伏せ撃ちの体勢になった後、『遠視晶』を覗き、ピントを合わせる。
「試しに、あの木を狙ってみろ」
「……はい」
呼吸を整え、集中しながらミゼは返事をする。
「狙いをつける時は両目を開け」
片目を閉じながら『遠視晶』を覗いていたミゼが、両目を開く。
「ピントが合えば、左手を杖の中心に添えて、弾丸を生成しろ。生成する場所は杖が教えてくれる」
杖の内部に刻まれた術式が、ミゼの魔力を誘導する。
その先に、魔力による弾丸が生み出された。
「できました」
「よし……ここからが重要だ」
これまでは、BF28という魔法具の使い方に関する説明をした。
ここからは狙撃の方法だ。
「まずは、深く呼吸しろ。吸った酸素が全身の末端まで巡るイメージだ」
ミゼがゆっくりと肺に酸素を溜め込み、時間をかけてそれを吐き出した。
「引き金にそっと指を添えろ」
ミゼの細い指が、引き金に添えられる。
「肺に溜めた酸素を、半分ほど吐き出したところで呼吸を止める」
呼吸の度に揺れ動いていたミゼの身体が、ピタリと止まる。
「呼吸を止めたら、心臓の鼓動が聞こえる筈だ」
これはミゼにしか聞こえない。
ミゼは今、自分にしか分からない世界にいる。
「鼓動と鼓動の合間。肉体が、最も静謐な状態であるその瞬間に――――引き金を引け」
最後の指示を終えて、数秒が経過した後。
タン、と。ミゼが持つBF28から音がした。
「……どう、ですか?」
「確認してみろ」
ミゼが『遠視晶』を覗いて、標的にしていた木の様子を確認する。
「命中……してませんね」
「まあ、最初はそんなものだ。このまま何度か練習しよう」
その後。ミゼは何度か狙撃の練習をした。
動かない的が相手とは言え、三度目で命中させ、五度目以降は百発百中となった。
「そろそろ本番だ。オーガを撃つぞ」
「も、もうですか?」
「依頼内容はオーガ三体の討伐だ。四体目は最悪、倒せなくても追い払えばいい」
ミゼが討伐してくれたら理想だが、そうでなくても追い払えれば十分である。オーガが逃げることなくこちらに襲い掛かってきても、俺が対処すればいいだけの話だ。
ミゼが俯せになって構える。
「あの、先に弾を生成して、それから狙いを定めることはできないですか?」
「仕組み上、不可能だ。弾の生成を始めると『遠視晶』のピントが固定されてしまう」
「でも、これ……弾を生成する時に、少し狙いがズレてしまうような気がして……」
「ああ……それがBF28の使いにくいところだ」
王政国防情報局の兵士が、この武器を引き継げなかった理由でもある。
「弾の生成と同時に、《狙撃》の発動に必要な魔力も吸収されるんだ。弾の生成に集中できないからと言って変に抵抗すると、今度は杖の姿勢制御が崩れてしまう」
「成る程……」
「さっきの練習では上手くやれていたんだ。焦らなければ問題ない」
ミゼが呼吸を整え、狙撃の準備を済ませる。
無言で《靭身》を発動した。この魔法は視力も強化してくれるため、遠方の敵を目視することができる。
幸いオーガは今、動きを止めている。
ミゼも好機と悟ったのか、素早く狙いを定めた。焦らず、落ち着いて、丁寧に……伊達に王女ではない、強靱な精神力で、己を律しながら狙撃の準備を整える。
杖の先端から放たれた弾は――遠くにいるオーガを貫いた。
「た、倒しました!」
「念のため、ちゃんと死んでいるか確認しろ。判断に迷ったら頭に一発撃て」
すぐに騒いでしまった自分を戒めるかのように、ミゼは唇を引き結んで確認を行う。
「……大丈夫です。頭に命中しています」
「よし」
期待通りの成果に、胸を撫で下ろす。
「思ったよりも上手くいったな。……今後、もしかするとミゼには援護を頼むかもしれない」
「は、はい! 全力を尽くします!」
ミゼは満面の笑みを浮かべながら言った。
これまで、戦闘面で役に立てなかったことを後ろめたく感じていたのだろう。喜ぶミゼの後ろに、ブンブンと揺れる尻尾を幻視する。
「できれば、もうひとつ『狙撃杖』を用意したいな」
「あ……そうですね」
ミゼが手元のBF28を見つめて頷く。
「なんとなく分かると思うが、その『狙撃杖』は俺の魔法力に合わせた特注品だ。今のミゼなら、止まっている的には当てられるだろうが……動いている的に当てるとなると、魔法即応力が足りない。初弾の準備も長いから、今回のような好条件に恵まれないと、実戦でも使いにくいだろう」
俺は生まれつき魔法即応力が高く、更に努力で魔法制御力を向上させた。
この二つの魔法力に合わせて作られたのがBF28だ。
「『狙撃杖』の中には、動く的が相手でも自動で狙いを定めてくれるものがある。それを購入した方がいい」
「そうですね。……これはお返しします」
そう言って、ミゼが伏せ撃ちの体勢から立ち上がろうとした時――。
「――待て」
視界の片隅に人影が映り、ミゼを止める。
「そのまま水平に、三時の方向へ身体を向けろ。……何が見える?」
視力を強化するために《靭身》を使っているとは言え、肉眼では人影の正体が掴めない。
ミゼが『遠視晶』を覗き、人影の正体を探った。
「……私たちを追っている、敵です」
思わず舌打ちした。
また面倒なタイミングできたものだ。
「敵は俺たちに気づいているか?」
「いえ……そのような様子はありません」
なら、作戦を考える時間はある。
二時間の移動直後ではあるが、村で休憩したこともあって体力にはまだ余裕がある。俺たちが取れる選択肢は多い。
「トゥエイトさん……」
どうするべきか思案していると、ミゼが震えた声を発した。
「……撃ちますか?」
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