第10話 「オレのこと呼んでるときは、わかるし」


 『三木センパイ』こと三木浅葱さんは、映研では有名人だ。


 なんといっても、とにかくイケメンだ。街で見かけたら二度見してしまうくらいの容姿。学内でもトップクラスじゃないかといわれている。さらに人当たりがよく紳士的。そしてなにより医学部生。

 医学部というのは特殊で、6年制であることや研修があったりして忙しい学部だ。一般教養以外はほぼ学部専門の授業しかとらない。食堂すら医学部内にあり、ほぼ他学部と関わる機会がないといっていい。

 多忙な学部だから、全学共通のサークルやインカレに所属する医学部生は少ない。医学部生だけで構成された部活やサークルがあるので、多くの医学部生はそちらにいく。

 三木センパイも映研のメンバーではあるけれど、ほぼ名前だけだ。入学当時の映研の代表と気が合ったらしく、籍だけおいている。まだ在学中なのでOBというわけでもなく、一年に数回こういった飲み会に顔をだす程度。

 つまり、同じキャンパスに通っていても医学部は他学部からしたら遠い存在だ。


 それでも『医学部』というのはどの大学でも、おそらく一目置かれている学部だろう。とくに女生徒から。

 未来の医者、というのがいいのか医学部生と知り合える機会を狙っている女生徒というのはいる。

 そんな中で、イケメンというだけでもモテるだろうに、加えて医学部という肩書。性格も物腰柔らかで紳士的な三木センパイという存在は、率直な言い方をすれば『優良物件』というわけだ。

 目立つ容姿にめったに出会えないことが相まって『伝説の三木センパイ』なんて呼ばれている。


「青葉くんはバイトで途中からって言ってましたよ」

「そうなん? 今日行くって連絡したのさっきやからなぁ。今回の合宿、あいつも行くんやろ。こき使ってや。あ、煙草吸ってええ?」


 ガチ班の監督と喋りながら胸元から取り出した煙草に火をつける様子は自然体だ。部屋のあちこちから女生徒からちらちらと視線をもらっているのに一向に気にしていない様子なのは慣れているからだろうか。

 斜め後ろの席で行われている会話は耳をひそめなくても聞こえてくる。思わず様子を見てしまったのは、煙草を吸うことへの意外さだった。くすんだ銀色のオイルライターはよほど使いこまれているのがわかる。そういえば青葉先輩もめったに吸わないけれど煙草と、オイルライターを持っていることを思い出す。

 煙草を吸っている様子を見ながら、あまり青葉先輩とは似ていないな、と思う。先輩を好青年というなら三木センパイは簡単に声をかけられないような美形だ。眼鏡をかけてて長髪だからなおさら二人の雰囲気は違う。

 ああでも指が長いのは似ているかな。先輩のほうがもう少し骨ばっているけれど。そんな風に観察していたせいか三木センパイが僕の視線に気づく。

 ハッとしじっと見つめていた非礼に慌てるより先に、三木センパイは微笑んだ。


「君、会うのはじめてやな?」

「え、あ、はい。二年の嵐山、です」

「嵐山……ああー、君がコーヨーくん?」


 ぽん、と芝居がかって両手をあわせた三木センパイに、こちらが意表をつかれる。あの『三木センパイ』になんで名前を知られているのか。


「青葉から聞いたわ、仲ええ後輩がおるって。こっちおいでや」

「え? あ、えーっと……失礼します」


 ひょいひょいと軽く手招きされるが、一部の女性メンバーから思いっきり睨まれてすぐにうなずけなかった。しかしガチ班メンバーも「こっちこいよ」と気軽に言うし、にこにこ笑う三木センパイに対して否を告げられるほどの強気は僕にはない。


「嵐山コーヨーくん……でええの?」

「コーヨーはあだ名で、名前は光るに太平洋の洋で、ミツヒロです」

「え、コーヨーってコーヨーが名前でしょ?」

「監督、違いますよ。合宿名簿にもちゃんと光洋って書きましたよ」

「ああー、なんか名簿に知らない名前があると思ったらアレってコーヨーだったのかあ。そういえば青葉くんが勘違いしてコーヨーって呼んでから、そのまんまだったっけ」


 よほど主要なメンバーじゃない限りフルネームを覚えられることが少ないサークルといえど、僕の場合はコーヨーが本名だと勘違いされているからややこしい。

 ガチ班の先輩たちが「そういやそうだった」と相槌をうって、それに三木センパイが苦笑する。


「なんや、僕の従兄弟のせいやん。コーヨーくん大丈夫? あいつに他にも困らされてない?」

「青葉先輩にはすごくよくしてもらってます」

「ほんまに? いじめられたらすぐ言ってな?」

「いやそんな、三木……さんに何か言うようなこと、ほんとにないですよ」


 呼び方に思わず悩んでしまった。小さすぎるこだわりかもしれないけど。無難ではあるだろう。

 一瞬三木センパイはきょとんとした顔をしたがすぐにふっと笑う。

 あ、いまの笑い方、ちょっとだけ青葉先輩と似てる。


「そっか。まあ、あいつも抜けてるところあるから、よろしゅうな」


 後輩が先輩の従兄弟からよろしくされてもどう返せばいいのかわからない。三木センパイなりの冗談かもしれないとわかりつつ、否定しようとしたそのとき。

 ようやく待ち望んだ声が入り口から聞こえた。


「おつかれさまー……って、わ、浅葱にぃ、ホントにきてるし」


 ぱっと反射的に入口を見る。

 青葉先輩、と声をかけようとして固まった。

 バイトが終わったらすぐ来るとは聞いていた。そして先輩のバイトは塾講師だ。ああ、でも、さすがにそこまでは考えが及ばなかった。

 白のワイシャツに、紺色のネクタイ。黒のスラックス。さらに、少し乱れているけど、珍しく前髪をかるく上にあげてまとめている。

 ジャケットは着ていないけれど、初めて目にする青葉先輩のスーツ姿、というのが衝撃で言葉が詰まる。

 や、ただいつもよりフォーマルな格好をしているというだけだし、僕はコスプレとかそういうのに興味はないはずで。いやでも普段見ない青葉先輩の恰好に見惚れてしまうのは仕方ないんじゃないか。あ、急いでここへきたからか、なんとなくワイシャツが透けている気がする。待って、それはダメじゃないか。

 とどめのように乱れた前髪をかき上げる仕草に完全に言葉をうしなう。

 かっこいい。

 心の底から、素直に、そう思った。

 そんな風に見惚れていたら、コチラに歩いてきた先輩がちらりと僕のことを見て、ふっと笑う。そしてそのまま、長い指で首元のネクタイをくいっと緩める。

 今その格好でそんな風に笑われたら、そんな仕草をされたら、ちょっと正常な思考が取り戻せない。ボロがでそうでもう逃げたい。だけど先輩の格好を目に焼き付けたい。揺れる心に葛藤しているうちに、青葉先輩はさっさと僕の――三木センパイたちと同じテーブルにたどり着き、さらりと僕の向かいに座った。


「おう、おつかれさんやな青葉。まあまあ駆けつけ一杯」

「浅葱にぃが用意した酒とか怖くて飲めねえよ。別の酒とかも混ぜてるだろ。コーヨー、そっちにあるビールもらってもいい?」

「あ、はい」


 先輩は未使用の近くのグラスを持って、僕の横にある瓶ビールを指さす。グラスを斜めに傾けてくれているのが優しいな、なんて思いつつ、泡と金色の比率が綺麗になるように細心の注意を払いながらとくとくとグラスに注いでいく。これが真上から入れることになったら泡ばかりになってしまうのだ。

 「ん」と先輩が満足したように言うころには綺麗に8対2の比率で金色と白のビールがグラスを満たしていて、ほっとする。ちらっと先輩をうかがうと、満足そうに、そして嬉しそうに目を細めていて、またドキッとする。


「なんやお前、後輩をコキ使って。コーヨーくん、こいつにほんまに横暴なことされてへん?」

「浅葱にぃ、オレのことなんだと思ってんの。オレがいない間に変なこと吹き込んでないよな?」

「え、や、ない、です。その、どっちも。青葉先輩はいつもやさしいです。三木、さん」


 二人の『三木』は、片方は特に気にした様子もなく入れたばかりのビールを飲んで、もう一人は「ふうん」と面白そうに笑った。


「青葉も三木やからややこしいやろ。浅葱って呼んでもええよ」

「そんなおそれおおいことできません」

「おそれおおいってなに。おもろいな」


 けたけたと笑う姿はそのモデル顔からは思い浮かばないような姿だが、不思議としっくりくる。しかし三木センパイを名前呼びなんてした日には、次の日から女子生徒からいったいどういうことだと質問攻めを食らうだろう。それは避けたい。


「浅葱にぃがコーヨー困らすなよ」

「えぇー? だってまぎらわしくない? お前は?」

「別に。コーヨーがオレのこと呼んでるときは、わかるし」


 さらりと付け加えられた言葉に、顔が赤くなりませんように、と必死に祈る。

 その言葉は仲いい先輩と後輩の範囲内なのか、どうなのか。ギリギリはいるだろうか。


「ふーん。ほんま仲ええんやな。こいつ、一人っ子なうえに、近い年の親戚が僕しかおらんから甘ったれに育ってなぁ」

「甘ったれってなんだよ」

「昔は『あさぎおにいちゃーん』ってかわいく呼んでくれたんやけどなぁ」

「呼んだことないし、捏造すんな」


 ぶっきらぼうに三木センパイを小突く青葉先輩は普段よりもよっぽくだけていて。『浅葱にぃ』と呼ぶのも納得するくらい、本当に兄弟のように親しく育ったんだろうな、と予想できた。

 「ハイハイ」とじゃれた犬を扱うように頭をぐしゃぐしゃに撫でる三木センパイに、青葉先輩は思いっきり顔をしかめる。それも仲がいいからできることなのだろう。

 ちょっとだけうらやましい、という気持ちが浮かんだけど。気のせいにすることにした。


「まぁま、楽しく飲もうや。あ、せや、コーヨーくん連絡先あとで教えたって」

「え?」

「今度、青葉の秘蔵のちっちゃいころの画像送ったるなー」

「ちょ、浅葱にぃやめろよ」


 それでも連絡先を交換することを止める気はないようで、僕は『伝説の三木センパイ』と連絡先交換なんてこと、していいのかだいぶ悩んだ。

 けれども三木センパイがガチ班を巻き込んで「ではー今回の合宿の成功とー、僕の眼鏡に乾杯!」と謎のコールをして、みんなグダグダに巻き込んで飲んでいった。



「それでぇ、初デートだったんですよ、だけどぉ、ちょっとカントの話をですね、しはじめたら熱がはいっちゃって、三時間カントについて語ったんですよ。イヤ確かにあとからまずいかなって思ったんですけど、でも好きなのってついつい話しちゃうじゃないですかぁ……そしたらフラれて……」

「いや君、それはしゃあないやん?」

「向こうも西洋哲学に興味があるならアリかも……いやどうかな」


 ガチ班の上級生が最近フラれたということでやけ酒のように飲んでいる。しかしフラれた理由が理由だけに圧倒的な同情と「それはない」というツッコミが送られている。


「だって向こうが、普段なんの勉強してるって聞いてきたからぁ……」

「せやなあ、3分くらいでカントの魅力を伝えられたらよかったかもしんないけどなあ」

「じゃあ三木センパイだったらデートはこうするとか、手本を教えてくださいよぉ」

「んー、せやな。相手の行きたいとこ聞くかな」

「ちくしょーっ、イケメンは回答もイケメンなんだよッ。じゃあコーヨー、お前はどうだ」

「僕ですか?」


 適当に相槌をうっていただけだったので、いきなり話が回ってきてうろたえる。

 いつもなら適当で無難な答えを返すところだ。飲み会の席でこういう話はよくあるし、まだ話題としてはかるいほうだ。

 バイト終わりでお腹が減っていたのか、ひたすらチャーハンと焼き鳥を口に運んでいた青葉先輩が、チラリとこちらを見る。一瞬見ただけですぐに食事に戻ったけど、その一瞬の視線だけでいつもならすっと出る答えがスムーズに出なかった。


「あー……どうでしょう、話上手とかじゃないですし、一緒に映画見たりとか、話さなくていいの選んじゃうかもしれないです」


 先輩の部屋で二人で映画を観ていたときのことを思い出す。

 泣かされて、あやされて。近づかれて。それで。

 思わず目の前の先輩の唇に目がいきそうになるのを、お酒を飲んで誤魔化した。


「まあアリだな。じゃあ青葉、お前はどうだ」

「オレですか? そうですね」


 青葉先輩が箸を止めて考えるそぶりをする。

 青葉先輩はこちらを見ていない。顔は酔った上級生のほうに向けている。

 髪で隠れている僕と違って、先輩の右耳の小さな赤い石はいつだって見える。青のイメージが強い先輩の珍しい、深紅の石を見ると周囲は驚く。それでも落ち着いた雰囲気がいいと、よく褒められている。

 その剥き出しの石に、先輩の指先が触った。

 

「うーん、オレは一緒にいられたら嬉しいんで」


 僕と違って先輩は、自分のピアスを触る癖なんて、ない。

 ただつけているだけで、それをわざわざ触るなんてことはしない。

 青葉先輩は相変わらず僕のほうを見ていない。でも、僕はその仕草に、僕がつけているピアスの片割れを触るその指先から眼を離せない。


「相手が楽しんでくれて、二人でいられるならなんでもいいかな」


 力任せに握りこむような形じゃなくて、優しく丁寧に、親指でピアスの裏をくすぐって、曲げた右の人差し指で石の感触を確かめる仕草。

 それは、キスするとき、僕の左耳のピアスを触るときと同じ触り方で。

 急速に酔いが回ったように、熱くなる。


「まあ、カントを三時間も話すのはさすがにしないと思います」

「なんだよー、どんな話したらいいんだよ」

「二人の好きなこととか、何したいとか、話せばいいんじゃないんですか」

「慣れてるやつの発言だよそんなの」


 酔っ払った先輩の絡みに笑いながら、先輩はお酒に手を伸ばそうとして。

 その時、ほんのわずかに僕のほうを見て。

 かすかに唇の端をあげた。


「なんや青葉、お前ずいぶんとかっこええことゆうようになったな?」

「うるせ、浅葱にぃ。大体浅葱にぃもそんなこと言ってるけど、一日眼鏡屋いったりガチの廃墟探索とかに連れてったするだろ」

「相手の行きたいとこ聞いて、僕の行きたいとこも話して決めただけやし? だけどそうか、ふーん、ほー」

「……なんだよ」

「いやいや、カワイイ従兄弟の成長が嬉しいだけやって」


 にやにや笑う三木センパイをわずらわしそうにしながら先輩はビールを飲む。

 その間も先輩は感触を確かめるように右耳のピアスを触っていて。

 触られているわけじゃないのに、左耳がひたすら落ち着かなかった。

 

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