45話 実験と悪だくみ


「そうか。砦の建設には許可が必要だったか……」


 今、僕は3人の監査官と父上、義母さんの6人でテーブルを囲み、監査結果を報告している。その場に監査官を3人とも入れているのは、オーニィ監査官がそう望んだからだ。


 曰く、密談は疑心暗鬼に繋がるから良くないらしい。


 アモン監査官については、冒頭で深々と頭を下げて謝罪したため、父上は不問にする事にしたようだ。父上がアモン監査官を斬りかけた事件は目撃者が多数おり、それで誤魔化せるとは思えないが、我が家的には解決したという事なのだろう。


「明日、コンストラクタ家の皆さんには王都に向かっていただきます。砦の件については、王都で陛下に裁可を仰ぐ事になるでしょう」


 ナーグ監査官は事務的な口調で説明している。だが、その裁可とやらで僕ら一族の首が飛んでしまう可能性もない話ではない。他にも領地から一族全員が居なくなる事で、領地が隣国に攻め込まれたり、住民の反乱が起きる可能性もある。さらっと言っているが、やっぱりちょっと怖い。


 自領の村に引きこもった父上の気持ちが、今ならものすごく理解できる。


「そうか。わかった。陛下ならば悪いようにはなさらないだろう。ありのまま釈明するとしよう」


 父上はそう言って、視線を壁に立て掛けられた槍に向けた。


 そこにはくの字に曲がったミスリルの槍が立て掛けられている。


「ところで、その槍は何だ?」


 おかしい。高価な武器を壊したはずなのに、父上は怒っていないようだ。


「ごめんなさい。砦に赤熊が出たので、防衛のために使いました。でも赤熊の力が強くて曲がりました……」


 だが、言い訳めいた口調になるのはいかんともしがたい。


「ミスリルは霊力に反応して頑丈になる。ちゃんと武器の強化はしていたのか?」


 初耳である。霊力というのは、仙術を使う時は体内に圧縮して溜め込み、神術を使う時は外部に放出するもので、それぞれの術の力の元になっているものだ。


 神術士の天敵が仙術士だと言われているのも、体内に霊力を圧縮する影響で、神術がほとんど効かなくなるためと義母さんは言っていた。


 その霊力でミスリルが強化できるなんて、全然知らなかった。


「やり方を知りません」


 正直に答えるが、やっぱり怒った様子はない。


「まぁいい。それで、ちゃんと一撃で倒したのか?」


 この話ならわかる。赤熊の攻略セオリーの話だ。


「はい。シーピュさんが一撃で倒してました」


 あ、義母さんが吹き出した。何か答えを間違えただろうか?


「お父さんはね。シーピュから手紙を貰ってて、もう全部知ってるのよ?」


 義母さんが横からネタばらしをしてくる。父上は困ったように頭を掻いた。


「その槍を曲げたのはシーピュだろう? 部下に責任をなすりつけなかったのは立派だが、ちゃんと報告せず、しかもその部下に手柄を譲るなど言語道断だ。ここが戦場なら、指揮官が部下の実力を正確に判断できず、適材適所に配置できなくなるところだったぞ?」


 ありのまま報告したつもりだが、違ったらしい。だが、父上が嬉しそうなのは何でだろうか。


「曲げた事自体は何も言わん。その槍もイントにやろう。その代わり、その槍と同レベルの槍を自力で村に返しなさい。ちなみにその槍、直すだけでも金貨500枚分ぐらいするからな」


 金貨500枚。僕が見たことがあるのは銀貨まで。金貨なんか触ったことさえないが、父上は8歳の僕を借金地獄に沈めるつもりだろうか。


 いくらなんでもスパルタがすぎる気がする。


「いつまでかかるかわかりませんが、善処します……」


 マイナ先生に家庭教師に来てもらう謝礼金に加えて、ミスリル製の槍代も稼がないといけないのか。なかなか荷が重い話だ。


「さて、では監査官の皆さんにはちょっと相談がある。イントは出て行って良いぞ。夕方の走り込みには参加しなさい」


 やった!! 走り込みまではあと一時間以上はある。それまで実験できるぞ。


「では、失礼します♪」


 思わず声が弾んでしまうが、かまわず槍だけ回収して、素早く部屋を出る。


「あ、ちょっ……」


 背後で父上が何か言おうとしていたが、退室の許可はもう出ているので、無視して階段を駆け降りた。目指すのは一階の倉庫を改造した実験部屋だ。


 途中、中庭の井戸に寄って、水を汲む。


「よっしゃ、今度こそ成功させる」


 桶と槍を抱えたまま、実験部屋の扉を勢いよく開く。


「きゃっ」


 部屋の中の先客が、扉の音に驚いて悲鳴を上げた。


「うわっ」


 僕は慌てて跳び退こうとして失敗し、尻餅をつく。


「ごめんなさい。いきなりだったからびっくりしちゃって」


 先客は僕の手を引いて立たせてくれた。手がすべすべで柔らかいのを思い切り意識してしまう。


「マイナ先生?」


 なんで実験部屋にマイナ先生がいるんだろう?


 桶からこぼれた水が、石畳の隙間を縫うように中庭に向かって流れていく。


「びっくりして尻餅をつくなんて、やっぱり臆病なんだね〜。カワイイ」


 きゅっ、と、軽く抱きしめられる。柔らかい胸が顔に当たる。先生に警戒心はないのだろうか。

 

「な、何でいるの?」


 抱きしめられるのは心地良かったが、マイナ先生は、僕が17歳の記憶を持っている事を知っている。それが照れ臭すぎて、腕の中でもがく。

 

「あれ? ヴォイド様にお願いして、ここで待たせてもらっていたの。聞いてなかった?」


 マイナ先生がきょとんとした声をだす。


「聞いてない」


 部屋を飛び出した時、父上が何か言おうとしていた事なら気づいていた。聞く気がなかったので飛び出してしまったが。


「そっか。じゃあびっくりしたね」


 頭を優しく撫でられる。いくらなんでも子ども扱いすぎないだろうか?


「いや、僕に前世の記憶があるの知ってるよね? それを足すと一応マイナ先生より年上なんだけど」


 多分、マイナ先生は僕をからかっているのだろう。身体を無理やり引きはがして、軽く睨む。


「それは聞いたけど、カワイイんだからいいじゃない」


 そう言って笑うマイナ先生は、実年齢より幼く見えた。


「良くないよ。だいたい何しに来たんだよ? 家庭教師の謝礼金ならまだ貯まってないよ?」


 マイナ先生は意地悪く笑っている。


「大丈夫よ。あの石鹸、今すごく売れてるから、イント君の取り分だけでも充分私を雇えるよ。今日はそのことでヴォイド様のところに来たの」


 あの液体石鹸、売れてるのか。僕の取り分は塩と同じで、コンストラクタ家に入る収入の5%だ。どれくらいの値段でどれくらいの量売ったのかはわからないが、それで先生を雇える金額を稼げるというのは凄いかもしれない。


「それでどうする? 今日から再開する?」


 マイナ先生が聞いてくるが、今日は1時間後に走り込みがあるし、明日以降は王都に向かわなければならない。


「残念だけど、明日王都に出発しないといけないみたいで。また宿題だけもらえませんか?」


「王都? 何かあったの?」


 僕は監査に絡んで、我が家に湧いて出て来た問題を、かいつまんでマイナ先生に説明した。


「そっか。ならあたしも王都に用事があるから、ついていくね。道々、家庭教師もするから」


「噂で聞いた限りでは、先生の授業ってけっこう人気なんでしょ? そんな事してて大丈夫なの?」


「今は全部暇を貰ってあるから大丈夫だよ。って、噂? 誰から聞いたの?」


 マイナ先生は完全にリラックスモードだ。


「監査官のナーグさん。従妹って言ってた」


「ええ。ナーグ兄さん来てたんだ。今もいるの?」


「僕と一緒にさっき谷から帰ってきて、今父上の部屋にいるよ」


「そっかぁ。じゃ後で挨拶に行かなきゃ」


「あ、そうい言えば、監査官さんたちからいろいろな知識の出どころを聞かれて、先生からって事になっちゃいました。ごめんなさい」


 マイナ先生は一瞬小首を傾げ、それからニヤァと笑った。


「そうなんだ。じゃあ、あたしも口裏合わせなきゃね。そのためにも、イント君が知ってる事、全部教えてね」


 巻き込んでしまったのでちょっと罪悪感があった。が、マイナ先生は簡単な交換条件で、むしろ嬉しそうに許してくれた。

 ホッとしながら様子を窺うと、先生の視線が部屋の片隅にたくさん置かれた壺に向けられている。

 これまでの実験に使った試作品で、割れてしまった物はどこかに埋めに行かなければならないが、面倒くさくてまだ行けていない。


「さっそくだけど、これは何?」


 マイナ先生が壺を指差して聞いてきた。これも先生に習った事にするのが安全で手っ取り早いので、知識の共有は重要だろう。


「塩水の電気分解のためにいろいろ試した失敗作です。村の陶工さんに作ってもらったんですけど、うまく行かなくて」

 

 塩酸と水酸化ナトリウムを混ぜると中和して、塩化ナトリウム(食塩)になる。ということは、塩水を分解して生じる水酸化ナトリウム以外の物質、つまり塩素と水素から塩酸が作れるはずだ。


 塩酸の化学式から考えても、それは間違いない。だから最初の実験では、塩水を陽イオン交換膜がわりの素焼きの壺と、その外側に陶器の壺を二重にして電極を差し込み、そこから塩素と水素を回収して別の壺に汲んだ水の中に潜らせてみた。


 しかし、結果は失敗である。部屋中が強烈に塩素臭くなり、僕は咽喉をやられる羽目になった。ストリナに神術で治療してもらえたので何とかなったが、あれがなかったら危なかっただろう。


 二回目の実験はその反省から塩素と水素を混ぜ、火をつけてみた。塩素と水素を塩化水素にしてから水に溶かせば、塩酸になると思ったのだ。だが、やってみると今度は燃焼室にした壺ごと爆発した。


 その実験で僕が怪我してしまったため、今はその実験を父上に禁止されている。


 だから今回は塩酸を諦める事にした。


 今回の実験では、水素はスライムの皮膜に閉じ込めて浮かぶ風船にし、塩素は消石灰に吸着させて次亜塩素酸カルシウムにする予定だ。


 ちなみに消石灰は、石工から簡単に手に入った。石垣を作る時に接着剤がわりにしたり、石造の建物の壁の隙間を埋めたりする漆喰の材料にするためらしい。


「これも?」


 マイナ先生は、部屋の反対側に置いた真新しい壺と曲がりくねったパイプ状の管を指差す。


「そっちはこれから使う分。注文から焼き上がりまで1週間以上かかるから、割らないでね」


「これから? 何を作るの?」


 マイナ先生が食いついてくる。何も隠さなくて良いというのは楽だし、美少女に興味を持ってもらえるのは純粋に嬉しい。多分、僕は今舞い上がってる。


「塩水に含まれる主な元素は、塩を構成する塩素とナトリウム、水を構成する水素と酸素の4つなんだけど、今回の電気分解では塩素と水素が取り出せるんだ。塩素は消石灰と反応して次亜塩素酸カルシウム、さらし粉とも言うんだけど、それになる。水素は燃える気体なんだけど、そのままスライム袋に詰めてみる。壺の中に残ったものは水酸化ナトリウムになるかな」


 手近にあった石板に、元素記号で化学式を書き込んでいく。先生はまだ理解できないと思うけど、それだけでもドヤ顔はできる。


「それは何に使えるの?」


 それぞれの物質の特性を思い浮かべながら、考える。


「さらし粉は水に溶かすと、消毒や漂白ができるよ。前に消毒に使った次亜塩素酸ナトリウムと似たようなもんだけど、あっちは液体でこっちは粉。輸送しやすかったり、保管しやすかったりするかな」


 先生はうなずきながら聞いてくれる。話やすくて楽しい。


「水酸化ナトリウムは、石鹸の材料で、油と混ぜれば固形の石鹸ができるんだ。これも液体石鹸より輸送や保管で有利かなと。他にも紙の繊維を細かくしたりできるらしいんだ」


 さて、残りは水素だ。前世では次世代エネルギーとして有望視されていたけど、教科書にこちらで再現できそうな原理は載っていなかった。


「水素は燃える気体かな。空気より軽いので、袋に詰めたら浮かぶはず」


 前世の知識を披露すると、マイナ先生はだいたい呆れた顔をする。今も困ったような呆れたような、よくわからない表情になっている。


「えっと。念のために確認だけど、空気って4大元素である『地火風水』のうち、『風』の事で合ってるよね?」


 僕にはマイナ先生が何を言っているかわからない。


「それはわかんないですけど、空気っていうのは、僕たちが息する時に吸ったり吐いたりしているものかな」


 マイナ先生が頭痛を堪えるように、頭を左右に振る。


「じゃあ『風』の事で合ってるね。それ、一般的には重さがない元素だって考えられてるんだけど」


 やっぱりよくわからない。重い軽いはあるが、原子にはすべて重さがあるはずだが。


「そうなんですか? こちらの世界はよくわかんないから、とりあえず実験してみましょか」


 前世に『霊力』なんてものはなかった。ミスリルなんて金属もなかった。


 だから物理法則が前世と全く同じじゃない可能性はあるけど、それも実験すればわかる話だ。


「そうね。手伝うわ。何したらいい?」


「失敗したら怪我したりするかもしれませんけど、大丈夫ですか?」


 水素は爆発するし、塩素は第一次世界大戦で毒ガスとしても使われた劇物だ。水酸化ナトリウムも、濃度が濃くなると皮膚を溶かすので結構危ない。


 一応マイナ先生に一通り危険性を説明しておく。


「危ないのはわかったけど、錬金術が危ないのは今さらだから大丈夫だよ。逆に、実験前に何がどう危ないかも予想できてるっていうのは、すごい事なんだけどね」


 マイナ先生は気楽そうに笑った。

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