44話 特別監査の終わり

 昼食の後、僕らは村に引き返す事になった。これで予定されていた視察は終わりである。


 来る時の惨劇が相当堪えたのだろう。帰りは全力で走らないよう、アモン監査官に懇願された。


「しかし、いとも容易く狩るものだな。魔狼と言えば、即死攻撃してくる事で有名な魔物であろう?」


 馬車も気まずかったのだろう。アモン監査官は重い鎧を着るのをやめ、馬に乗っていた。


 その視線は、さっきから道端で痙攣している角付きの狼に固定されている。


「うちの護衛は優秀ですから」


 ゆっくり移動しているせいで、魔物が様子を見に来ているのだろう。行きはまったく見なかった魔物に、もう三度ほど出くわしている。


 魔物たちはこちらが集団であると分かると逃げ出そうとするが、護衛の狩人が電光石火で矢を射て、すぐに仕留めていた。


 まぁ、魔狼の魔石は僕が高値で買い取ると村中に布告してあるので、きっと気を遣ってくれたのだろう。電池がわりになるので、電気分解の実験をする時便利なのだ。


「さっきから放置しているが、アンデット化してしまわないか?」


 僕らが放置して通り抜けようとしたのを見て、アモン監査官が聞いてくる。確かにその通りだが、そのあたり抜かりはない。


「村についたら回収班を出しますので、大丈夫ですよ。そのまま置いていってください」


 今は護衛優先なので、これで良いのだ。毛皮と魔石は手に入れたいが、肉はまずいので腐っても問題ない。


「ふむ。ここにいると感覚が狂うな」


 アモン監査官が感慨深げに呟いた。正直、それは僕も思う。


「そういえば、先ほどの需要と供給の話、あれは師から教わったのか?」


 アモン監査官は対立派閥だ。マイナ先生との約束の事もあるので、怪しげな自称天使の事は話せないし、異世界の教科書が存在する事も話せない。


「はい。そんなところです」


 ごめん先生。僕は嘘をつきます。


「それは是非ともお会いしたいな。マイナ・フォートラン殿と言ったかな?」


 すでに名前も覚えられてしまったか。今度先生に会ったら謝ろう。


「そうです。普段はシーゲンの街にいらっしゃいますよ」


 これも嘘に近い。『普段は』とたまに村に来ているように匂わせているが、マイナ先生が村に滞在したのは1週間ほどだけで、それ以降は一度も来ていない。


 来てもらいたいのは山々だが、いろいろ使ってしまってまだ謝礼金が貯まっていないのだ。


「それでどうやって師事しているんだ?」


 アモン監査官は不思議そうだ。


「紙に問題を書きつけて、宿題として残して行ってくれたんですよ」


 これは嘘ではない。もうやり終わってしまったが、宿題は出ている。


「なるほどな。離れても教えを乞えるのであれば、文字も馬鹿にしたものではないかもしれないな。命令書の文字を直接読めれば騙されないであろうし」


 こちらの世界は基本的に徒弟制らしく、一対一で教えるのが基本らしい。だから直接対面のイメージになってしまうのだろう。

  

「文字を学んでみるのも、良いと思いますよ。父上も、一回騙されてから読み書きを勉強したらしいですし」


 僕がそう答えたところで、村の門が見えてきた。このくらいの速度なら、しゃべりながらでも走れる。やはり、自分を含めこちらの世界の人は、前世よりかなり体力がありそうだ。


「うむ。ワシも家には秘密で師事してみても良いかもしれんな」


 アモン監査官はそう言って離れていった。味方に騙されて、うっかり父上に斬り殺されかけるという修羅場を抜けると、プライドが高そうなアモン監査官でもさすがにいろいろ考えるらしい。


 その調子で改心してほしいものだ。


「マイナは昔から賢い子でね。王都にいた頃も賢人ギルドの神童って言われていたんだよ。それに見た目も可愛いだろう?」


 アモン監査官が去ると、今度はナーグ監査官が近づいてきた。


 どうやらマイナ先生自慢をしたいらしい。その気持ちは大変良く分かる。


「そうですね。将来美人になりそうですしね」


 僕がそう答えると、ナーグ監査官の眉間に皺が寄った。


「ん? 将来?」


 声に疑念がこもっている。雰囲気が怖い。


「い、今は美人というより美少女ですもんね」


 言い直すと、ナーグ監査官はパッと笑顔になった。良かった。正解だったらしい。


「そうだろうそうだろう」


 嬉しそうに笑う。マイナ先生は、ナーグ監査官に相当愛されているらしい。確か従兄同士だったか。


「しかし、神童ですか? という事は、マイナ先生は王都でもかなり賢いほうだったんですか?」


「それはもう。ずば抜けて賢かったよ」


 賢人ギルドの教育スタイルは家庭教師だ。学校とは違う。


 マイナ先生は相当に頭が切れるけど、年齢相応の知識がない。先生が偏っていたせいだと思っていたのだが、神童と呼ばれていたとなると話は違ってくる。


 学校で教えてくれる知識は、昔からある常識だと思っていた。異世界だろうと、それは同じだと。だがもしかしたら、それは違うかもしれない。王都に行ったら、いろいろと確認する必要があるだろう。


「学問を重んじるのは新興の貴族が多いんだけど、マイナは家柄も良くて賢くて可愛いから、引く手あまただったんだ」


 続く言葉が耳に残る。引く手あまた。つまりモテてたという事か。マイナ先生が結婚する姿を想像して、なぜか嫌な気分になった。


「ええ。引く手あまたって縁談ですか? 若すぎませんか?」


 マイナ先生は15歳。前世なら中学生の年齢だ。


「そうだねぇ。婚約の話がたくさん舞い込んだ頃は、まだ13歳だったからね。だが破格の条件も多数あったんだ。マイナは気に入らなかったみたいだけど」


 あ、今はシーゲンの街で暮らしているという事は、王都にいたのはその前か。13歳となるとさらに若いわけだ。このあたり、前世とはかなり感覚が違うのかもしれない。


「へぇ。何で断ってたんですか?」


 マイナ先生が結婚しなかった理由。ちょっと気になる。


「自分より賢い年下じゃないとダメとか言っていたけど、そんな相手がなかなかいないことは本人もわかっているだろうから、本当のところはどうなんだろうね」


 なるほど。がんばって賢いアピールをすれば、今からその条件に滑り込めたりしないだろうか?

 そんな事を考えている自分に、ちょっとびっくりする。そう言えば僕はまだ8歳だった。


「おや、自分ならいけると思ったかい?」


 ナーグ監査官が、僕の表情を読んでニヤニヤしてくる。


「顔が赤いな。お子様にはまだ早かったかな?」


 おまけに冷やかしてきた。こんな人だっけな。


「走ってるんだから、顔が赤いの当たり前でしょう?」


 ちょっとムキになっているのを自覚しつつ言い返す。


 そう言えば、父上もマイナ先生に色目を使っていた。2児の父ながら、まだキラキラ系のイケメンである。


 マイナ先生もまんざらではなさそうな様子で仲良くなっていたし、警戒が必要かもしれない。前世なら事案になりかねない年齢差だが。


「はっはっは。がんばりたまえ。若人よ」


 村の門の前までたどり着いたので、ナーグ監査官も離れていく。


 砦の視察はたった半日だったけど、父上に報告しなければならない事は増えた。


 監査官への命令書にあった内容は、おそらくすべて解決できたという朗報とともに、砦の建造が本来国王陛下に報告しなければならない築城案件で、現状違法状態になっている事も報告しなければならない。


 特に後者は隣国との外交問題に発展しかねず、対立派閥が知れば間違いなく問題にされてしまうだろう。早急に対応を検討する必要がある。


 ついでにミスリルの槍を曲げてしまった事も、父上に謝らなければならない。どれくらいの価値があるものかわからないが、今から気が重い。


 義母さんから頼まれた監査官への対応は、館に戻ればいち段落する。アモン監査官も、もう以前のような対応はしないはずなので、早く父上たちに問題を丸投げして、子どもたちに勉強を教えたり、化学の実験をしたりする生活に戻りたいものだ。

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