39話 見学とマヨネーズ


「ほらほら! そこで気ぃ抜くな!」


 翌朝、僕は日課の剣術訓練に勤しんでいた。


 早朝なので、中庭にまだ商人の姿はない。代わりにいるのは監査人たちだ。


 父上は見学者がいても、いつも通りに大人気なく、全く反撃させてくれない。延々と受け流し、かわし、逃げ続けていたら、遠当てが飛んできて吹き飛ばされた。


「遠当てはずるい!」


 僕は起き上がって抗議したが、父上は僕を見下ろして鼻で笑う。


「敵が腕利きの仙術士だったらどうするんだ。神術が使える剣士だって、遠距離攻撃ぐらいしてくるぞ?」


 屁理屈だ。


 父上のように斬撃を飛ばして遠当てができる人は、この村にはさほどいない。できるのは父上の他には、パッケぐらいなんだそうだ。


 そんなレベルの相手が敵に回ったら、僕なんかひとたまりもない。


「かわしたからって油断しなければ良いだろ?」


 何でもない事のように言ってくるが、油断しなくても当たるものは当たる。かわし方がわからないのだから。


「次は私ね」


 普段は気まぐれに参加するだけの義母さんが、立ち上がった僕の前に進み出てきた。


「お願いします」


 義母さんは形状を無視して、木剣を杖のように構える。僕もそれに合わせて正眼の構えを取った。


「んじゃ、はじめ!」


 父さんの気の抜けた掛け声で、次の試合が始まる。義母さんは緩い歩調で近づいてきた。


「せいっ」


 先手必勝とばかりに踏み込もうとすると、いつのまにか最初の一歩を払われていた。


 視界がぐるりと回転し、肩に革鎧越しの衝撃が伝わってくる。


「ぐべっ」


 地面と激突したところで、蹴り倒され、軽く胸を踏みつけられた。息ができない。


「何で足上げちゃうかな? 重みの移動も早すぎるね」


 木剣を首に突きつけられたので、足をタップして、降参を伝える。


 義母さんは一応神術士であるはずだが、神術がなくても僕では歯が立たない。子どもをあしらうとはこのことだ。


 一方、隣ではストリナと父上の手合わせが続いていて、ストリナが連撃を叩き込んでいた。もちろんすべてかわされてしまうが、父上にちゃんと反撃できるあたり、ストリナは間違いなく僕より強い。


 そしてストリナにはもう一つ、僕にはない技術がある。


 それが『雲歩』だ。


 どういう理屈か、ストリナは何もない空中を蹴って軌道を変えられる。


「やー!」


 ストリナは僕の身長の倍ぐらいまで跳躍して、父上に突っ込んでいく。空中でちょこまかと軌道を変える挙動は、前世にはなかったものだ。


「そいっ」


 父上は軽く一歩、身体を斜めに引いて、ストリナの背中を地面に向けて叩いた。


「きゃ」


 それだけでストリナはバランスを崩して、地面に転がる。


「んんん。おにいちゃんにはつうじたのに……」


 ストリナは受け身をちゃんと取っていたので、そのまま僕の前までコロコロと転がってきた。


「おにいちゃん! てあわせ!」


 ストリナは僕の前でぴょこんと立ち上がると、木剣を構える。順番的にはストリナとなので、僕もしぶしぶ木剣を構えた。


 このところ負け越しているので、本当はやりたくないが。


「やー!」


 ストリナはさっき見たとおりに跳躍したので、僕は相手の体勢が整う前に思いきり踏み込んで、剣で斬り上げる。


 ストリナはウナギのようにするりとすり抜けて、体勢を崩しながらも、空中から器用に剣を振ってくる。前に滑空する飛猿という魔物と戦ったことがあるが、それよりも厄介だ。


 さらに踏み込んで、交差するようにストリナの剣から逃れる。


 振り返ると、ストリナはもう着地していて、今度は姿勢を低くして突っ込んできているところだった。片手で剣を構えると、ストリナは即座に剣を振りにくい位置に入り込んでくる。


「ちょこまかとっ!」


 ストリナも小さい頃からかわし方を中心に教えられているので、一撃当てるのは相当難しい。僕は身体を捻ってストリナの斬撃に対応する。


ガガガガッ


 早朝の中庭に、木剣同士を打ち合わす音が響く。まだ寝ている客もいるだろうから、ご近所迷惑もいいところだ。


「ほらー、剣はもっと大事に扱え~。防御に剣を使うとか、お金をドブに捨てるようなもんだぞー」


 父上がいつもの野次を飛ばしてくる。父上も義母さんも元冒険者なので、採算にうるさい。剣を痛める使い方は怒られるし、魔物を倒す時に商品価値を下げるような狩り方をしても怒られる。


『お願い! 剣を防いで!』


 ストリナが聖言で指示を出しているのが聞こえた。そう言えば、聖霊と契約して護法神術を使えるようになったんだっけか。


 カァン!


 振り抜こうとした木剣が空中で何かに阻まれる。これは今までになかったパターンだ。接近戦中に神術が使えるとか、我が妹ながらチートが過ぎる。


「えい」


 気の抜ける掛け声とともに、ストリナに脛を払われて、バランスが崩れる。


 革鎧と木剣だからこの程度で済んでいるが、真剣だったらこれで勝負がついていただろう。


 だがこれは練習。僕はまだ動ける。


 僕は倒れながら逃げていく妹の腕を掴み、捻って投げた。


 ストリナは自分から回転して受け身を取る。致命傷にはならなかったので、実戦だったら僕は脛を斬られた痛みにのたうち、反撃できずにトドメを刺されているはずだ。


「そこまで」


 父上が僕の負けを宣告する。


 また妹に負けた。


 僕は8歳、妹は6歳。やっぱり僕に戦いの才能はない。


「たのしかったぁぁぁ」


 妹は嬉しそうにぴょんぴょん跳ねている。僕に勝って嬉しいのだろう。


「さて、今日の訓練はここまでだ。しかし、こんなものを見てどうするんです? 監査官殿?」


 父上がうっすらとした汗を手拭いで拭いながら、中庭の隅で見学していた3人の監査官とその従者たちに視線を向ける。


「すごかったの~。どうしてナログ共和国がコンストラクタ卿をあんなに警戒しているのか、良くわかったの」


 オーニィ監査官は嬉しそうに手を叩いて喜んでいた。一方のナーグ監査官は真剣で、アモン監査官は蒼白になっている。


「喜んでもらえたようで何より。これから朝食ですが、何か希望はありますか?」


 父上が問いかけると、オーニィ監査官が目をキラキラとさせ始めた。


「マヨネーズを所望するの!」


 昨日の夕食時に錬金術の成果をアピールするために、石鹸と同じ鹸化の原理を使って作るマヨネーズの話をしたのだが、どうやらそれが気になっているらしい。


 ここで手に入る卵はニワトリのものではないし、酢も黒っぽい独特の色がついていて、油もちょっと匂いがある。だから実験で作ったものはかなり独特な味になったが、あれはあれで美味しかった。


 勉強を教えていた子どもたちに試食してもらったら、いつの間にか村中に広がっていて、今ではいろんなアレンジが出来つつある。


「手配させましょう。イント、今日も頼む」


 監査官の案内役である僕を残して、父上たちは館に戻っていく。


 昨日の夕方、効率的に電気分解できそうな試作壺が届いたので、それを使って色々と実験したいが、ここはグッと我慢するしかない。


「さて、今日は朝食後、『死の谷』の視察に向かいます。道が悪いので馬車よりも馬に乗ることをお勧めしますが、どうしますか?」


 この一ヵ月で、うちの村が保有する馬車は5台、馬で20頭ほど増えた。村として稼いだ税金の大半を馬につぎ込んでいる形だが、まだまだ足りていない。


 『死の谷』に砦を建築するための資材を運び込み、帰りは生産した塩や狩った魔物を村に持ち帰るためにフル回転しているが、今回視察に行く監査官は貴族様なので、馬10頭と馬車2台をなんとか確保できた。


 山道になるので馬車で行く場合は3頭立てになり、フリーに乗れる馬は4頭になる。村人の護衛はいつも通り自分の足で走るので、数的には充分足りるだろう。


「ボクは馬にする! 楽しそう!」


 オーニィ監査官は即座に手をあげて申告してくる。こちらの世界の貴族は、軍人以外は馬に乗らないのが通例らしいので、オーニィ監査官は軍の経験があるのだろう。


「わ、ワシは馬車だ。誇り高いパール家に連なる者が、下賤な真似はできん」


 アモン監査官は迷わず馬車を選んだ。あの体形では、馬に乗るのも一苦労だろうから、仕方ない。


「護衛はどうするんだ?」


 ナーグ監査官が確認してくる。


「こちらからは、10人ほどの狩人が徒歩で護衛に付きます。山道に対応した馬車2台と馬10頭を貸せますので、その範囲で自由に護衛を付けてもらってかまいません」


 僕が答えると、ナーグ監査官はすぐさま従者を選別し始めた。見るからに有能な感じがする。


「手配はナグっちに任せちゃって良いから、マヨネーズ作ってるところ見せてよ!」


 オーニィ監査官が肩を叩いてくる。自家製のマヨネーズがどの程度日持ちするかは教科書に書いていなかったので、作り置きはしていない。


 まぁ材料自体はシンプルで、かき混ぜるのも義母さんのオリジナル神術があれば一瞬なので、見られたからと言って問題はないだろう。村人から聞いた話では、手作業でやるととんでもなく面倒くさいらしいが。


「じゃあ、厨房に行ってみます? 多分今作っていると思いますけど」


 普段の朝食は家族の分だけなので、メイドのアンだけで作っているが、今日は監査官とその従者の分を作らないといけないので、家族総出で料理している。


 普段はやっていないが、父上も義母さんも元冒険者なので、料理はできるらしい。ストリナは知らないが、器用なので手伝いぐらいはできているだろう。


 我が家は一応男爵家なので、当主が料理しているのを見せて良いかはわからないが、監査官には何も隠さないで良いと言われているので気が楽だ。もちろん、契約した聖霊が黒い話はタブーだろうが。


「アモン様はどうしますか?」


 アモン監査官は少し考え、チラリと斜め後ろに控えた従者とアイコンタクトを交わした。


「いや、ワシは馬車で視察の準備がある故、朝食ができたら呼びに来てくれ」


 相変わらず偉そうではあるものの、何となく僕に対する言葉遣いがちょっと変わった気がする。


 アモン監査官は、そそくさと門の方へ向かっていった。


 8歳に気を使う王国の監査官。考えてみると笑えるかもしれない。

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