36話 識字の重要性


「私はオーニィ・パイソン。貴族院の特別監査官です。同僚の非礼をお詫びさせていただきます」


「私はナーグ・フォートラン。同じく貴族院の特別監査官です。アモンがこれほど愚かとは思わず、申し訳ありませんでした」


 僕が中庭に降りると、父上がアモン監査官の同行者の二人に謝罪されているところだった。


 父上はストリナと手をつないだままうなだれている。娘に剣を向けてしまって凹んでいるのか、しばらくは使い物にはならなさそうだ。


「いや、その、まぁ……」


 父上もすでに怒りを引っ込めていて、気まずそうに愛想笑いを返す。


 先ほどまで大暴れしていたアモン監査官は、みっともない表情で白目を剥き、気絶したままだ。


「それで、ご用向きは? 陛下は本当に当家をお疑いなのですか?」


 義母さんが穏やかな声で二人に尋ねた。


「いえ。決してそのような事はなく。これが陛下からの命令書になります」


 オーニィさんの声は少し高い。ショートカットだから性別が分からなかったが、どうやら女性らしい。背も低く、まるで子どものように見える。


 義母さんはオーニィさんから差し出された命令書を受け取り、内容を確認した。


「なるほど。これをどのように解釈すれば、先ほどのようなことになるのでしょうか?」


 義母さんは命令書を僕に渡してくる。どうして僕なのだろうか?

 当主は父上なのだから、父上が先に見るべきだ。そう思いながらも、好奇心に負けて命令書に目を通す。


『以下の3点の事実関係を監査し、証拠を確認すべし。

 なお、事実の有無に関係なく、コンストラクタ家当主ヴォイド・コンストラクタ及びジェクティ・コンストラクタを王宮に招聘せよ。

 

1、塩の入手元を確認

2、治療効果について聞取り実施

3、塩の販売価格を確認


 なお、第一位の後継者であるイント・コンストラクタ、第二位の後継者であるストリナ・コンストラクタについても、手続きが未了であるため、王都の紋章院まで出頭させること』


 うん。内容自体はアモン監査官が言っていたことに近いが、ニュアンスが決定的に違う。アモン監査官は有罪前提で話をしていたが、命令書からそんな気配は感じられなかった。命令書はそのまま父上に渡す。


「一部の古い貴族家では、読み書き計算を使用人の技能と軽んじる風潮があります。先ほどの反応から見て、アモンもそうだったのでしょう。おそらく、何者かに命令を捻じ曲げて吹聴されたのかと」


 ナーグ監査官が説明をしてくれる。つまり、字が読めないから命令書の内容が理解できず、誰かに読んでもらって騙された、と。前世でも働いた事はないが、自分に与えられた命令の確認すら他人任せとは、浅はかな事だ。


 義母さんがチラリと父上を見る。父上は命令書を読みながら、義母さんの視線を感じたのか、さらに威圧感を失って小さくなった。


「なるほど。当家も昔騙された事がありますので、一概にこの方だけを責めることはできませんね。では当家からは、嫡男のイントに協力させましょう」


「へ?」


 何でそこで僕の名前が出てくるのか。その場の視線が僕に集中してきて、変な汗が出てきた。


「彼ですか? 失礼ながら、イント様はおいくつでしょうか?」


 ナーグ監査官が探るような視線を向けてくる。その気持ちは良く分かるけど、そんな気分悪そうにされても……


「イントは8歳ですが、おそらく我々よりも適任です。試しに何か聞いてみてください」


 自慢げに言う義母さん。試されるとか、ハードルが上がるからやめて欲しい。


「では、この命令書の中でわからない事はありますか?」


 ナーグ監察官が本当に聞いてくる。急に聞かれてもよくわからない。取り繕う余裕もないので、とりあえずわからない事を聞けば良いか。


「命令の1つ目と2つ目の意図はわかります。でも、3つ目は何のための確認でしょうか? 塩は商人さんたちにはまだ販売していませんが、村人に報酬の一部として支払っています。それは塩漬け肉などに加工されて商人さんに卸されていますが、どの時点の価格をご説明すれば良いでしょうか?」


 僕には命令に『3、塩の販売価格の確認』が入っている理由がわからない。

 最近、うちの村では商人さんたちが護衛として連れてくる冒険者さんが空き時間に魔物狩りをしていくせいで、肉の生産量が高止まりしている。しかも塩の生産も『死の谷』でやっていて割と危険なイメージがあり、常に人手不足になっている。


 結果、生産された塩は、魔物の肉などの加工で使い切ってしまうことになる。塩漬け肉は熱中症を予防できるスープの材料として、これまで見たことのないような高値で売れているそうなので、アモン捜査官の主張のような解釈もできてしまう。


 率直に聞いてみただけだが、ナーグ監査官は少し感心したようだ。


「すごいな。君は字を読んでそれをちゃんと理解したのかい? 3つ目を調べるのはね。王国の法律に『救民規制法』という法律があるからなんだ。民の生活に必要な物の値段を規制する法律で、塩もその対象なんだ。だから販売価格を確認する必要がある」


 じんわり冷や汗が出る。その話はマイナ先生からも聞いていない。もしや法律違反と認定されるのだろうか?


「でも、規制の対象は塩そのものの売買価格だよ。君の説明を聞いた限り、塩を直接販売していないので問題はなさそうだ。ちゃんと聞き取り調査と台帳と積み荷の調査はさせてもらうけどね」


 柔らかい物腰で、そうナーグ監査官は言ってくれた。どうやらちゃんと協力すればお咎めはなさそうだ。のしかかっていた重圧が軽くなって、ホッとする。


「なるほど。僕は『救民規制法』を知らなかったので、それで引っかかったのですね。教えていただいてありがとうございました」


 僕は教えてくれたナーグ監査官に頭を下げてから、義母さんに向き直る。


「義母さん、法律を知らない僕が、監査のお手伝いをするのは無理そうです。父上にやってもらいましょう」


 父上の方に視線をやると、父上は気まずそうに目をそらした。


「いえ。それはダメよ。この人にやらせると、勢いでそこの無礼者を斬りかねないわ。それに、その内容で一番詳しいのはあなたでしょう? あなたで不足なら、この村できちんと説明できる人間は他にいませんよ。監査官殿も不足はないでしょう?」


 義母さんはオーニィ監査官とナーグ監査官を見る。


「ええ。こちらとしても、イント様にご協力いただけるのであれば助かります。法律を知らない方が、正直に話してもらえそうですし」


 僕が法律を知らなかったにもかかわらず、もう監査官たちにこちらを侮る気配はなかった。


「という事でいいわね。あなた?」


 義母さんに声をかけられた父上は、顔を蒼白にして壊れた人形のようにブンブンとうなずいている。剣を抜くまでの大人の雰囲気はどこへ行ってしまったのだろう。


「じゃあ、私たちはお父さんと話があるから、後はよろしくね」


 義母さんはそう言って、父上とストリナを連れて屋敷に戻ってしまった。


 残されたのは野次馬と化した商人と、失禁して股間を濡らしたまま失神しているアモンと、監査官たちだけだ。


 孤立無援。どうしてこうなったんだろうか。

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