第二章『王都招聘と婚約』
35話 特別監査官
ログラム王国の辺境、ナログ共和国と国境を接する山間に、コンストラクタ村はある。人口は300人ほどと少なく、『死の谷』と呼ばれる魔物の巣窟と隣接しているがゆえに、敬遠されてきた土地だ。
だが、それも1ヶ月前までの話。『死の谷』が塩を産出するようになり、そこから派生する様々な産品が産み出された結果、今では村に商人たちがおしよせて来るようになった。
元々宿屋も市場もない小さな村である。村にやってきた商人とその護衛たちは、村で一番大きな領主の館に寝泊まりし、その中庭で村人から商品を仕入れていた。
「聞こえるか! ヴォイド・コンストラクタ男爵! こちらは貴族院の特別監査官、アモン・パールである! 貴君には塩の密輸と流言、それに救民規制違反の嫌疑がかかっている! おとなしく出て参られよ!」
館の3階にある自分の部屋から、ぼんやりと中庭を見下ろしていた僕は、アモンと名乗った小太りのざんばら髪の男が、商人でにぎわう中庭で急に大声を張り上げたのを目撃した。
身なりは小綺麗で、装備品に装飾があることから見て、おそらく貴族だろう。後ろに同行者が他に二人いて、二人ともオロオロと困っている。
溢れ出るトラブルの香りに、商人たちが場所を譲った。3人の周りには大きくスペースが空いていく。
「手向かいは無用である! 早う出て参られよ!」
誰からも反応がなかったせいだろう。声から苛つきが滲み出ていて、やたら偉そうだ。アモンに指名されている父、ヴォイド・コンストラクタは今3階の執務室で仕事をしているので、そんなに早くは出てこれない。
「………」
ここから内容までは聞き取れないが、何やら後ろの2人がアモンをなだめようとしている。
「うるさいっ! 私は下調べをしている! とっとと証拠を出させて男爵を連行すれば良いのだ!」
相手は一枚岩ではないらしい。アモンは声を荒げている。
「何事ですか?」
館の扉から父上が出てきた。この時間で3階から降りてくるとは、きっと階段を駆け下りたに違いない。普段、館の中は走るななどと言っているくせに。
「お前がヴォイド・コンストラクタ男爵だな?」
アモンはギラついた目で、父上を見た。舌なめずりをしていそうな気配がする。
こうなった原因は、もしかして1ヶ月前に王都に提出した報告書だろうか。
僕の前世は高校3年生の受験生で、1ヶ月とちょっと前にその記憶を取り戻した。そして、記憶を取り戻した日に自称天使と契約して、どの学年のどんな科目にも変わる教科書を貰った。
僕はその知識を使って、原因不明だった熱中症とウィルス性感染症の治療法と予防法を確立して、それをそのまま王都に報告した。
それだけのはずなのに、どうしてこうなったのか。
「そうですが」
おだやかに受け流す父上は、大人という感じがしてカッコイイ。
「お前はナログ共和国から塩を密輸しているだろう? そして、それで流行病が治療できるとデマを流し、値段を釣り上げているんだ!」
一方で、アモンは何から何まで失礼だ。こんな大人にはなりたくない。
中庭が騒がしいせいか、上から見ていると2階の窓からもパラパラと商人たちが様子をうかがいはじめたのがわかる。
彼らはこのとんでもない主張を、どう聞いているだろうか?
「何を根拠にそのような事を?」
父上は苦笑いで対応している。
「フンッ。山の中に塩があるわけがなかろう。それに塩は所詮調味料だ。それが薬になるとか、そんな面白くもない与太話を本気で信じてもらえるとでも思ったか」
何というか、それは根拠になっていない。だが、アモンは自信満々だった。
「ということは、王都の治療院は信じませんでしたか?」
あまりと言えばあまりな対応に、父上も不安になってきたようだ。
「あんなものは、でっち上げでどうにでもなると言ってるんだ!」
さっきから会話になっていない。前に石鹸を作った時、こちらの世界についていろいろ教えてくれた先生に、仮説を立てた後の検証が不十分と言われたことがあったけど、この人は検証すらしていなさそうだ。
「ちなみに報告書は読んでいただけましたか?」
父上、すごいな。まだ冷静に対応している。
「ば、馬鹿にしているのか!? 字など下賤の者に読ませれば良いのだ! つまらぬ言い逃れはやめて、お縄につけ!」
父上は呆れた顔で、肩をすくめた。
「お話になりませんな。私は縄をかけられるような悪事はしていません。どうしても捕縛したいというのなら、証拠か国王の命令書を持って出直してきてください」
そもそも字が読めないのに特別監査官になっているというのは、どういう事だろうか。
「き、貴様! この私に反抗してただで済むと思っているのか! 英雄など片腹痛い! だまし討ちしか能がない成り上がり者が!」
アモンが不用意な言葉を発した瞬間、父上の雰囲気が一気に変わった。父上を中心に、背筋が寒くなるような空気が爆発的に広がっていく。
「ひぃっ」
アモンだけでなく、周囲にいた商人や冒険者まで尻餅をつく。立っているのは、この村の村長とアモンの同行者の二人だけだ。
父上の目は座っていて、ゆっくりと腰の剣に手をかける。父上は本気でアモンを斬る気だ。
「ダメェェェェッ!!」
甲高い声と共に、隣の部屋から小さな人影が飛び降りた。隣は妹のストリナの部屋だが、ここは三階だ。
一瞬ヒヤッとしたが、リナは中庭に無事着地して、即座に父上の方へ駆け出す。
だが、父上の手はもう剣の柄にかかっている。もう間に合わない。
『インスタンス(壁、20)』
ふいに、ジェクティ義母さんの声が聞こえて、光り輝く壁が父上の前に何重にもそそり立つ。父上はそれを気にした様子もなく、壁に向かって剣を振りぬいた。
パリィィィン!
義母さんが幾重にも展開した神術の壁は見事に砕け散り、しかしそれでも一瞬だけ時間を稼いだ。
それで十分だった。
父上の剣は、ストリナの首筋でピタリと止まっている。アモンに斬撃は届いていない。妹はギリギリで間に合った。
「だめ」
ストリナははっきりとした声で、父上を制止した。
妹はまだ6歳である。それでこの3階から飛び降りて、一瞬で真剣の前に立ちふさがる身体能力と胆力は、いったいどこからくるのだろうか?
中庭の石畳を見下ろして、身震いする。僕だったら足を骨折しかねない。
ふわり、と、これまた3階から義母さんが中庭に舞い降りた。体重を感じさせないので、何かしたのは間違いないが、こちらの世界の人間には本当に驚かされる。
「さて、そこで気を失っている無礼者は置いておいて、ちゃんと事情を説明してくれるのかしら?」
剣を止めたまま睨みあう親子を無視して、義母さんがアモンの同行者の前に進み出た。
アモンは、白目をむいて石畳の上で伸びている。真正面から殺気を浴びせられたのが相当恐怖だったのだろう。股間に染みが広がっていく。
ちらりと、義母さんの視線がこちらを向いた。多分降りてこいという意味のアイコンタクトだ。正直関わりたくないが、跡取りである以上は出ていかないわけにもいかない。
僕はしぶしぶ部屋を出て、一階につながる階段に向かった。
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