28話 リナの神術と聖霊の託宣
水筒の水で目を洗い、ハンカチで顔を拭いた僕が目にしたのは、盛大に刃こぼれした槍と、自分が殺した魔狼だった。切れ味が鈍っていたのか、頭が爆発したように弾け飛んでいて、ツノも折れている。
そんなスプラッタな惨状の中で、気になったのは骨とも肉とも違う小指の先ほどの石だった。その石には細い管が2つつながっていて、それが2本のツノにそれぞれ続いている。
「それは、魔結石とか魔石って言われてる石ですね。魔物の体内にはだいたいあるんですが、魔狼のは素材としての価値はありません」
血だまりに転がる石ころをしげしげと観察していると、パッケが説明してくれた。
スタンガンのようにスパークするツノに繋がる魔石。これは、もしや……
「と、いうことは、これは捨てられてるの?」
瓢箪から駒ならぬ冗談から電池かもしれない。
「そうなります。売れませんからね」
血だまりの肉片の中から、石だけを拾い上げる。
「そっか。じゃあ、これ僕にくれない?」
パッケは自分が倒した魔狼を逆さまに吊るしていた。確か魔狼の肉はまずいって話だったはずだが、血抜きしてるということは食べるのだろうか?
「もちろん良いですが、何に使うんです?」
パッケは他の2頭からも魔結石を切り取ってくれた。石は角の後ろのふくらみに入っているらしい。
「わかんない。でもちょっと試してみたいことがあって」
「お? 聖霊の託宣が来ましたか。次も期待していますよ」
聖霊の託宣って何だろう? パッケは期待に満ちた目で、血塗られた石を手渡してくる。
「うまく行くかどうかはわからないけどね」
僕は失敗しないわけじゃない。前世でも苦手科目はあったし、こちらでもいらんことをペラペラと喋ってマイナ先生に秘密を暴かれた。
自称天使から貰った教科書の知識は託宣と言えなくもないかもしれないけど、その知識を使って作った石鹸は泡立たなかった。
考えてみれば失敗だらけだ。
だけど、僕は受験生だ。テストで間違うことを恐れて問題を解かないのは、間違った答えを書くよりもなお罪深いと教えられた。書かなければ幸運も舞い降りようがない。
僕は石をハンカチで包んで、ポケットに放り込む。
「さて、坊ちゃんの魔狼は売り物にならないようですし、後続の者に埋めてもらいましょう」
ちょっと毛皮に傷をつけすぎたし、やっぱり売れないか。こんなのバレたらまた義母さんに小言を言われるかもしれない。
パッケは降ろしていた塩の袋を再び肩に乗せた。僕も槍の血を拭ってから、鞘を拾って穂先を納め、背負い袋に固定する。
「では急ぎますよ」
僕はパッケとともに、再び尋常ではない勢いで道を下りながら、感染症について考えていた。
◆◇◆◇
「じゃ、いっくよー!」
館に戻ってきた僕らは、入ってすぐの中庭でおかしなものを見た。妹のストリナが、白衣を着たオバラ先生の横で患者に何やら神術を使っていたのだ。
「ねぇパッケ。リナって神術使えたっけ?」
「いえ、そんなはずはないですが………現実に使ってますね」
患者たちは痩せてはいるものの、意外に元気だった。門の外には仮設のトイレが大量に並んでいたのだが、そこで患者たちは自力で用を足していたからだ。もしかしたら神術の効果もあったかもしれない。
「あ、おにいちゃん? おかえり!」
リナが僕を見つけて大きく手を振ってくる。僕は今、顔の下側を手拭いで覆っているが、リナはそれでも僕たちだとわかったらしい。
オバラ先生もこちらに気づいたらしく、二人がこちらにやってくる。
「ただいま、リナ。今のは何?」
神術をかけられた患者さんはお腹をおさえて、僕らとすれ違いに門の外に出ていった。門の外にある仮設トイレに向かったのだろう。
「へっへーん。わたしもせいれいさまとおはなしできるようになったの! みてみて!」
リナは偉そうにふんぞり返って、何か聖言を唱えた。すると、キラキラした光の粒がリナの手の中からこぼれて、それが僕に流れ込んできた。
体の中が、ほんのり温かくなる。
「すごい! すごいけど、どういうこと?」
僕は疑問を込めて、治療院の院長であるオバラさんの方を見る。
「お待ちしていました、イント様。ストリナ様の神術の件は私も驚きました。昨日私が治療しているのをご覧になって、興味をお持ちのようでしたので聖霊との契約方法をお教えしたのですが、今朝にはもうできるように……」
光るだけの僕とは違って、ちゃんとした聖霊神術を使えるようになったのか。うらやましい。
「ありゃ? 神術で治せるなら、もしかして僕いらなかったんじゃ……」
何せ、こちらの世界はびっくり人間だらけのファンタジー世界だ。病気が治せる人間がいてもおかしくない。
「いえ、この護法神術は下痢を促進させるもので、治療効果はありません」
オバラさんは残念そうにそう言った。うん? 下痢を促進?
「それでも、出し切ったら一旦回復するのですが、食事をするとすぐに再発してしまうのです」
「何で下痢を促進するんですか? 下痢は止めたほうが良いのでは?」
パッケが至極当然な質問をする。確かに下痢を止めないとどうしようもないのではないだろうか? 術の効果で漏らしでもしたら、僕は生きていけない。
「今回の下痢の原因は不明ですが、下痢というのは何か悪いを素早く排出するためのものであることが多いんです。ですからそれを無理やり止めると、症状が長引くこともありまして」
なるほど。悪いものを出してしまえば回復するわけか。でもすぐに再発するってことは……どういう事だろう? 良く分からない。
「おにいちゃんもオバラおじさんも、むずかしいはなしばっかりしてる」
ストリナがつまらなさそうにしていたので、パッケが気をきかせて抱き上げてくれた。確かに難しい話だったかもしれない。
「ちなみに、熱中症の方はどうでした? 塩は効きました?」
なので、とりあえず簡単な確認からはじめるとしよう。
「いやいや。あれは素晴らしかった。盲点でしたよ。塩が不足しているなら、塩が原因ではないかと疑うべきでした。昨日届いた塩で味付けした麦粥を食べて、水を飲んで涼しい部屋で休んだら全員回復しましたよ。あとは塩不足さえ何とかなれば良いのですが」
効いたようで何よりだ。これで第一の奇病は熱中症で間違いないだろう。
「塩は手に入れられるようになったよ」
オバラ先生に、持って帰ってきた塩の袋を叩いて見せる。これを持ったまま走るのはつらかった。うちの村は人口も少ないので、これだけの量があれば治療と予防ぐらいはできるだろう。
「これはまた……」
「『死の谷』の砦でとれるようになったから、塩はもう心配いらないよ。多分これぐらいの量は毎日届くようになるはず」
この塩を売れるようになったら、収益でマイナ先生を雇えるようになるかもしれない。村人に行き渡ったら、父上に相談してみよう。
「おお、それは聖霊様に感謝を。本当にありがたいことです。では、この下痢に関しても聖霊様の託宣などはありましたか?」
オバラ先生も相当聖霊に期待しているらしい。実際には教科書の知識だけど、ちょっと失敗できない雰囲気だ。
「あはは。そんな便利じゃないよ」
予防線を張り巡らす。失敗はしたくないけど、やらないわけにもいかない。どうせ失敗するにしても、それなりに準備がいるのだ。
「ところで、その口元の布はどうされたんですか?」
そんな予防線を無視して、オバラ先生がマスクについて聞いてくる。
「これは、感染予防の一環だよ。ウィルスや細菌、まぁ目に見えない魔物みたいなものなんだけど、それが身体の中に入って繁殖して、再び外に出て拡散していくのが感染症の正体なんだ。だから、こうやって吸い込まないように防いでいるんです」
「ほうほう。なるほど。そんな話は聞いたことがありませんが、それが今回の下痢の原因なのですか?」
オバラ先生は感心しているが、ノロウィルスの感染経路は経口摂取と教科書には書いてあった。ノロウィルスがこちらの世界に存在しているかはわからないが、もしも空気感染するようなら、掃除当番以外にも感染していたはずだ。
なので、気休めのようなものである。それでも、掃除するときに飛び散る飛沫を防ぐ効果ぐらいはあるだろうが。
「そういえば、感染した者はすべてトイレの掃除を担当していましたね。ふむ……」
思い当たる節があるのか、オバラ先生は考え込んだ。また過大評価されなければ良いのだけど。
「ま、まぁ、その辺は色々聞き取りしてからですかね」
僕が生きて行くためには、この村は不可欠だ。せっかく塩を手に入れたのに、村人がいなくなったら村が滅んでしまっては意味がない。
過大評価されるのは勘弁してほしいが、やれることはやろうと思う。思うことは提案しよう。
ともあれ、まずは僕もトイレに行くところからだ―――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます