27話 感染症と魔狼との再戦
「ちょ、ちょっとパッケ! 速すぎるよ!」
翌朝、命令通りにパッケと2人村に向かうことになったが、父上はさらなる無茶を要求してきた。塩の輸送である。
「重いんだからもっとゆっくり!」
前を走るパッケは、声をかけても走る速度を緩めない。塩の袋は一つで10キロぐらいあるだろう。
それを僕は1つ、パッケは2つ肩に乗せて、僕らは来る時を遥かに上回る速度で走っている。
「それでは鍛錬になりません。喋れるならまだいけますよ!」
下り坂でスピードに乗りすぎてしまっているので、足を置く場所をミスったら、たちまち怪我をしてしまいそうだ。
「いや、こ、これは、あ、危ない」
足運びに必死な僕と比べて、パッケは両肩に荷物を担いで涼しい顔だ。見た目は細身なのに、ホント何者なんだろうこの人。
気が散った瞬間、落ち葉を踏んで蹴り出しが少し鈍る。
「わっと」
慌てて崩れかけた体勢を立て直してから前を向くと、パッケとは二歩ほど差が開いていた。パッケはチラリとこちらを見て、少しだけスピードを緩めてくれる。
「実は坊ちゃん、今村ではもう一つの奇病が流行しはじめたとの昨晩村から知らせがありましてね。熱中症って言いましたかね? あれの流行はおさまったみたいなんですが」
もう一つの奇病というと、家族全員が下痢になるというあれか。家族全員ってことは感染性があるのだろう。厄介だ。
「はぁはぁはぁ、僕は医者じゃないよ? 無茶じゃない?」
何度も言うが、教科書は医者を養成するためのものじゃない。願い事も三つ使い切ったと説明もしたはずだ。
「ですが、坊ちゃんは医者に治せない熱中症を治して見せました。下痢も聖霊様の託宣があれば何とかなるのではないかと、旦那様は考えてますよ」
つまり、今回の帰還の狙いはそれか。それなら昨日あれほどしごかないで欲しかった。事前説明がないのもスパルタすぎる。何より期待が重い。
「えぇ〜」
授業の記憶を辿る。感染症について書いてある可能性は、歴史と保健だろうか。
(天使さん天使さん、保健に感染症の記述とかあった?)
『吾輩、もう少し契約内容を詰めたいのであるなぁ』
めんどくさそうな声がして、背負い袋から保健の教科書が飛び出してきた。そのまま、空中でページがパラパラとめくられる。
『このページなのである』
走りながら、教科書の内容を確認する。該当ページにはインフルエンザ、風しん、麻しん、結核、ノロ、コレラ、マラリア、デング熱の感染経路や潜伏期間、主な症状などが一覧になっている。
ここは異世界なので同じとは限らないが、参考ぐらいにはなるだろう。
(ありがとう)
下痢という事は、ノロ系かコレラ系といったところだろうか。
「ちなみにどういう状況だったの?」
危ないので、すぐに足元に視線を戻す。
「なんでも、今回の魔物の暴走で、うちの館に避難してきた入院患者から広まったようです。半日ほどで掃除当番をしていた者が倒れたみたいですね。それから、掃除担当ばかりが次々倒れて、知らせが来た段階では患者は20人ほどになっていたようで」
半日、ということは潜伏期間は12時間程度。ならばノロに近いだろうか。一覧によると感染経路は患者のおう吐と下痢がついた手を介した経口感染とあるので、掃除当番が感染していたこととも符号する。
「話を聞く限り、患者のゲロとかウンコに触れた手で食事した事が原因の可能性が高いね。対策としては、おう吐物や糞便を適切に処理・消毒することと、手洗いをちゃんとやること。あとは食べ物や水に火を通すことだけど」
僕は教科書の内容をパッケに話す。
とは言え、うちの村は田舎なので、下水道の仕組みがない。だから汚物に触れずに処理するのは不可能だ。
消毒と言われても、高濃度のアルコールなんて酒を蒸留しないと作れないし、そんな設備はうちの村にはない。
手洗いも、家には水瓶に汲み置きした水があるだけだから、蛇口をひねって流水で洗うのは不可能だ。石鹸も効果はあるはずだが手元にはない。
「うちの村だと、食べ物や水に火を通すことぐらいしかできないかもなぁ」
「良く分かりませんが、さすがに掃除した後に手ぐらい洗ってるでしょうし、そのまま食事はしないでしょう? 水は急いでる時はあんまり火を通しませんが、食べ物に火を通すのは当たり前ですよ?」
パッケが言う通りだとすると、うちの村で欠けているのは、石鹸と消毒方法と水の煮沸の徹底といったところだろう。
「後は村についてから考えるとして―――」
会話の途中で、僕らと並走する狼の姿が見えた。いや、あの特徴的な半透明の角は、魔狼だ。
「坊ちゃん、左右と後方に一頭ずつ。魔狼に追いつかれました」
パッケから警告されて道の反対側を見ると、そこにも並走する魔狼がいた。僕には気配を感じられないけど、後方にもう1頭いるわけか。
スピードを緩めてもらったのは失敗だった。
「こないだの生き残りかな? どうしよ?」
僕の武装は、すぐ使えるものなら腰の短剣、荷物を降ろせば背負っている短槍か弓が使える。パッケは細身の剣だけだ。
「では右側の1頭をお願いします。私は左と後方をやりましょう」
え? ちょっと待って。すでに僕も戦力としてカウントされている?
魔狼から逃げていた僕を助けるために、マイナ先生が電撃攻撃を受けて死にかけたのはついこないだの事だ。
「では、行きますよ!」
僕の心の中の悲鳴を無視して、パッケが急激に速度を落とす。まず背後の魔狼のから狙うということだろうか?
僕はどう連携したら良いかもわからないまま、荷物を放り出して短槍を抜ぬきながら、パッケにあわせて全力でブレーキをかけた。草を編んで作った靴底が、地面との摩擦でブチブチと千切れる感覚が足の裏に伝わってくる。
少し遅れて左右の魔狼も減速したが、僕は難なく後ろにつけた。ドッグファイトは僕の勝ちだ。
「ギャン!」
背後から魔狼の断末魔が聴こえてきた。こんな短時間で一匹倒すとか、こっちの世界の執事って、強いんだなぁ。もしかして護衛も兼ねていたりするんだろうか。
そんなことを思いながら、付属の紐を踏んで鞘を外し、背後から右の魔狼に槍を突き刺す。
「ガフ!」
魔狼は思っていたより硬く、槍は表面を浅く傷つけただけで致命傷は与えられなかった。飛猿よりかなり硬いのではなかろうか。
「そんなへっぴり腰では魔物は傷つけられませんよ! もっと思いっきり!」
パッケが僕にアドバイスしながら横を抜けていく。通るならついでに倒して行ってくれたら良いのに。
バチバチバチ!
手負いになった魔狼が、牙を剥きだしにしてツノをスパークさせている。
「殺す気かよ」
向かい合わせの状態になって、最初に背後を取った優位はもう消えていた。記憶が戻ってから、これで何度目の命のやりとりだろう。こんなに頻繁なのは前世では考えられない。
「こんの電気ウナギが!」
緊張する。短槍の先がカタカタと震えた。
一撃もらえば終わり。心肺蘇生をできる人間は、僕以外にここにはいない。つまりそのまま死んでしまう。
「お前を解剖して、電池にしてやる!」
パッケも助けてくれそうにないし、もう逃げられない。開き直れ。ビビるぐらいなら大声で叫べ。
魔狼の姿勢が低くなる。幸い、魔狼はさほど賢くない。
タイミングを測れ。父上と比べれば速度は亀だし、ストリナと比べれば遥かに直線的だ。
見ろ。
見ろ。
見ろ―――
「いまっ!」
魔狼がこちらに飛びかかろうと踏み切った瞬間、思いきり槍を振り切った。
手に何かを砕いた感触が伝わって、顔に生暖かい液体がかかる。
「お見事」
パッケの声が聞こえたが、僕は顔面に液体を浴びて目を閉じたので、どうなったかは見えなかった。だが、手ごたえは十分。
「うわっ、返り血が目にぃっ! 痛い痛い! パッケ! 水筒水筒!」
今回は何とかなったけど、やっぱり僕は戦う事に向いていない気がする。本当に締まらない―――
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