5話 思春期の始まり


「あー、緊張する!」


 両親への心肺蘇生法の説明の後、治療院の前までやって来た僕は、建物の前で頭を抱えていた。


「坊っちゃん、そろそろ入りませんか。私がフォローさせていただきますので、安心してくださいよ」


 声をかけてきたのは執事のパッケだ。腰にぶら下げた剣以外は完全に執事の格好で、額には汗が浮かんでいる。この炎天下で長袖は、そりゃ暑いだろう。


 彼は二人しかいないコンストラクタ家の家臣の一人で、渋いおじさんである。


「絶対無理だ~」


 父上たちは昨日の魔物の死体の処分と、それを目当てに集まってきた魔物を掃討しに行こうとしていたので、時間の空いた僕は助けてくれた美少女さんのところにお礼に行こうと思ったのだ。


 すると、出かけようとしていた父上に、何だか良く分からない事を言いつけられた。曰く、コンストラクタ家は武門の家柄なので、助太刀についてお礼するのは構わないが、家の跡継ぎたる僕が逃げていたと思われないようにせよ、だそうだ。


「8歳の子どもが逃げて、傷がつく名誉って何さ」


 言いつけられたのはそれだけではない。ついでだからと、心肺蘇生法についてここの院長に説明をしてくるように言いつけられた。8歳の子どもの言う事など信じてもらえないと反論してみたけど、頷いた父上は院長宛の手紙を渡してきただけ。


 父上たちの反応から見て、どうやらこちらの世界には心肺蘇生法がないらしい。だけど、もしそうだとするなら、僕のやった事は初対面の若い女性の胸をまさぐって、唇を奪っただけだ。絶対変質者扱いされる。


「うーがー」


 再び頭を抱えて悶えていると、男を背負った男が慌てた様子で駆け込んできた。

 背負われた男は、意識はあるようだが顔色が蒼白く、ぐったりしているようだ。


「横通ります! すいません!」


 背負っている男はパッケには気づいたようだったが、軽く頭を下げるだけで嵐のような勢いで治療院に駆け込んでいった。


「え? 何?」


 急に持ち込まれたシリアスな雰囲気に反応できず、男を見送る。


「あれはおそらく、最近流行りの奇病でしょう。暑いところで仕事をすると、ああなる者が増えてきているようです」


 なるほど。みんな同じ症状なんだとしたら、感染症か何かだろうか。


「さ、中に入りましょう。こんな暑いところにいつまでもいると、坊ちゃんもあの病気にかかりますよ?」


 それは怖い。パッケが痺れを切らしているようだし、そろそろ入った方が良いだろう。

 

「わ、わかったよ」


 渋々、治療院の中に足を踏み入れる。受付で事情を説明すると、すぐにマイナさんが入院している部屋を教えてもらうことができた。どうやら奥に入院用の病室が何部屋かあり、その一番奥にマイナさんはいるらしい。


 院長への説明については、急患の対応が終わってからになるそうだ。


「それにしても、患者さん多いね……」


 マイナさんの部屋に辿り着くまでの病室は、ほとんど埋まっていた。ざっと2~30人はいるだろう。

 人口300人の村にしては、患者が多すぎやしないだろうか?


「私もここまでとは思いませんでした」


 パッケも驚いているようだ。


「マイナさんの部屋はここかな?」


 治療院自体はさほど大きくないので、何を喋るのか考えているうちに一番奥の部屋にたどり着いてしまった。緊張に震える手で、扉をノックする。


「どちらさま?」


 返事よりも先に扉が開き、マイナさんの母親が顔を出す。確かターナさんと言ったか。

 うっすらと化粧をしていて、肌も髪もツヤツヤしている。総じて美人だった。というか、こちらの世界で口紅をしている女性を初めて見たかもしれない。


「私はイント・コンストラクタと申します。昨日のお礼に参りました」


「あら。本来であればこちらからお礼に伺わねばならないところでしたのに、申し訳ないですわ」


 ターナさんに導かれて病室内に入る。室内は小綺麗で、高価そうな花瓶に花まで飾られていた。


「し、失礼します」


 病室内では一つしかないベッドに、マイナさんが座っているのが目に入った。心臓が跳ねあがって、声が上ずっていく。

 横の机では藁半紙よりも汚い色の紙に、知らない文字がビッシリと書き込まれている。そう言えば、僕はまだこちらの文字が読めない。8歳にもなるのに、恥ずかしい限りだ。


「これはイント様。昨日はお見苦しいところをお見せしました。私を治療した後、倒れられたとお聞きしましたが、体調はもう良いんですか?」


 こちらの世界は刺激が強すぎるのではないだろうか。マイナさんが来ている服は、僕と同じ厚手の貫頭衣なのだが、キレイな身体のラインが良くわかる。

 マイナさんが立ち上がろうとして、ちょっと胸が揺れて、頭が真っ白になった。


「い、いや、座っててください。き、き、き昨日はちょっと霊力切れを起こしただけなので、今朝には完全に回復しました」


 慌てて立ち上がるのを制する。昨日の感触がでてこないように、息を止める。マイナさんの正面の椅子を勧められたので、そそくさと座るが、何か落ち着かない。


「それは本当に申し訳ありません。意識を失うほどの高度な神術を使わせてしまって……」


 本当に申し訳なさそうに頭を下げてくる。前屈みになった時にチラッと見える胸の膨らみに、自然に視線が吸い寄せられた。

 い、いかんいかん。これじゃ変態と思われるじゃないか。僕は慌てて視線を外す。

 

 ええと、何の話だっけ?神術?ああ、光ってたのも自称天使さんとの契約の結果だから、あれも聖霊神術なんだっけ?よくわからん。


「いやいやいや、僕も初めてだったので、まさか倒れるとは思ってなくて。こちらこそありがとうございました。」


 今日はお礼に来たのだ。まずはお礼から入るべきだろう。そう思ってお礼を言ったが、うまく伝わらなかったらしい。マイナさんは小首を傾げている。


「ありがとうございました?」


 マイナさんはかなり良い人のようだ。どうもお礼を言われた意味がわかっていないらしい。首をかしげている。


「イント様、私も娘も、あの見たこともない神術を、今後も口外するつもりはございません。どうか安心してくだい」


 ターナさんが慌てた様子で話に入ってきた。何だろうか。話が噛みあっていない気がする。


 そこで、コンコンと部屋がノックされ、今度は白衣を着た知らないおじさんが入ってきた。


「はじめまして、イント様。当治療院の院長のオバラと申します。急患が入っておりまして、遅くなりました」


 入ってきたオバラさんというおじさんは、少し興奮した様子で近づいてくる。


「ヴォイド様からの手紙を拝見しました! 神術なしに魔狼の即死攻撃から患者を回復させる方法を発見されたとか!?」


 オバラさんの無神経な一言で、場の空気が凍った。マイナさんとターナさんの視線が、これまでの感謝に満ちたものから、一気に氷点下に転落した気がする。


「神術ではない?神術ではないのに、あんなことを?」


 心肺蘇生の一部始終を目撃していたターナさんの呟きが心に突き刺さった。


「ありがとうございましたって、まさかそういう意味……」


 マイナさんも、みるみる瞳が潤みだす。明らかに誤解が加速してる。これはヤバイ。ヤバすぎる。このままでは変態のレッテルを貼られてしまう!


 助けを求めてパッケの方を見るが、ツイっと目を逸らされた。ダメだ、助けてもらえそうもない。


「ちちちちちち違うんです!そそそそそれには深い訳があるんでつ!」


 僕はしどろもどろになりながら説明した。誤解されたら変態として人生が終わってしまうので、授業で習った心臓や肺の役割という基礎的な説明から始めて、筋肉と電気の関わり、魔狼の攻撃の正体に関する推測まで、マシンガンのように説明する。

 

 そして、それらを踏まえた心肺蘇生法のやり方を説明し始めた頃、ようやく冷静さが戻ってきた。誤解されないために、父上たちにした以上に詳しく説明をしてしまったが、大丈夫だろうか?


「確かに左右のアバラの間の胸骨というのはわかりやすいですな。さすが聖霊と契約して得た知識というだけはあります。土壇場でそんな高位の聖霊と契約できるなど、奇跡としか言えません」


 感心した風に院長のが言ってくるが、ちょっとイラッとする。またいらん暴露をして疑惑のタネを撒きやがった。


「高位の聖霊!? では、あの輝きは聖霊との契約の輝きだったのですわね。しかし、そのような契約が可能とは…」


 どうやらその暴露で女性陣は納得してくれたようだ。何かまた誤解をされてる気がするけど、変態よりはマシだろう。


 そうやって、僕は人生最大の岐路を無事?切り抜けたのだった。

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