加害者の親戚です。
鷹月のり子
第1話
その日、私は図書委員の仕事を終えて高校から帰宅しました。
「詩音、ちょっと話がある」
休暇で家に居た父が深刻な顔で私に言いました。こんな顔をされるのは母に癌が見つかって、助かる見込みがほとんど無く、あっけなく半年で私たちの前から消えてしまったとき以来です。
「…何ですか? お父さん」
私は冷静に答えたつもりですが、声が震えました。私は一人っ子で父子家庭、二人きりの家族です。もしも、父に何かあれば………、そういう私の恐れを父は察して言います。
「いや、父さんは大丈夫だ」
「はぁ……」
安心してタメ息が出ました。
「おどかして、すまなかった。ある意味で直接に、我が家の出来事ではない」
「そうですか、それで何が?」
「父さんの父さんを覚えているな?」
「はい、静岡のお爺さんですね。亡くなられて、もう5年? でしたか?」
「ああ。その父は3人兄弟で弟が二人、詩音と会ったことがあるが、顔を覚えているか?」
「えっと………」
私は記憶をたぐりますが、思い出せません。お爺さんの葬儀が5年前で私が12歳のこと、会ったかもしれませんが顔を覚えてはいません。一昨年、母の葬儀に参列してくださっていたとしても、あのとき私はショックのあまり泣いてばかりでしたから会っていても、とても記憶に残っていません。
「無理もないな。冠婚葬祭くらいの付き合いだ」
「そのお爺さんの弟さんに何か?」
「うむ、お昼に交通事故を起こしてしまったようだ」
「そうですか、ご無事なのですか?」
「本人は軽傷のようだ。だが9人を車で撥ねてしまい、うち2人が即死だった」
「………それは……何というべきか……言葉がないです」
「父さんもだ。とくに亡くなったのは3歳の女児と、その母親らしい。うちにはテレビがないからわからないが、お昼からその話題ばかりが報道されているとのことだ」
父は工学の大学教授で反NHK運動をしていて、うちにはテレビがありませんし、私の学習のために携帯電話も買ってもらっていません。なので、こういうとき世間の情報に遅れます。
「お父さん、1時間だけ、インターネットを見てもいいですか?」
「いいが……もしショックを受けるようなら、すぐにやめなさい」
「はい」
私は居間のパソコンで報道と世間の様子を調べました。
「…………………………」
調べているうちに、怖くなります。祖父の弟さんは石橋昭平、もともと一家で学者家系だったので科学技術院の院長を勤め、現在は88歳、起こした交通事故はハイブリッド車での暴走。報道は批判的で、さらに世間は攻撃的になり、昭平さんの息子や家族の住所を特定しようとしていたり、まったく無関係な石橋工業という会社に抗議電話が殺到しています。石橋なんて名字としては多い方ですから石橋建設や石橋不動産、いくらでもあるでしょうに。さらに私はお腹の底が冷たくなって、マウスを持ってる右手の肘まで腋の下からの汗で濡れるような緊張を覚えます。父、石橋昭一郎の名が大学教授なので簡単に特定され、亡き母で国文学教授だった石橋詩子の名まで特定されていました。
「…ハァ……ハッ…」
緊張しすぎて息がしにくい、息が詰まるという慣用句をまさに体感している私へ父が言ってきます。
「もう見るのをやめなさい」
「は…はい…」
「私たちは堂々していればいい。泰然自若、沈黙は金なりだ」
「…はい」
返事をしたものの、私も父も食欲が無くなり夕食は無しにしてベッドへ入りました。パジャマに着替えるのも失念して、制服を脱いだ下着のまま寝間に入る行儀の悪さですが、気力がありません。そして眠ると悪夢をみました。
癌で亡くなる直前のICUに入った母の姿と、事故死した女性が重なり、悪夢らしい時系列の破綻をきたした苦しいだけの記憶の反芻が続き、起きると涙を流していました。
「…ぐすっ……」
枕が濡れるほど泣いたようです。さらに腰のあたりも生温かくて私は気が滅入ります。
「……もう高校生なのに……またオネショなんて……」
シーツと下着がみじめに濡れています。眠っている間に失禁したようで恥ずかしさと悲しさで胸が痛い。母が亡くなった直後にオネショするようになり治るのに一年かかり、やっと治ったと思ったのに。
「……情けない……いい加減、大人になりなさい、詩音」
自分を叱咤して、お尻をつねりました。このタイミングでのオネショ再発なんて初歩的な心理学で解釈できる症状ですから余計に情けないです。お母さんが居なくなって淋しいから甘えたくてオネショしたように、今は困難な問題に直面して誰かに甘えたくてオネショしているだけ。実に、みっともない。お尻をつねる指に力を入れて戒めました。
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