第52話

「……貴方、どなたですか……?」


 大きなエメラルドの瞳をパチパチさせ、エマは不思議そうな顔で俺を見上げている。



「何かの冗談か……?」


 最初はふざけているんだと思った。


 貧乏くじを引いてしまったことを利用して、何か企んでいるんじゃないかと。


 だが……



「冗談……? や、やだっ、私ったら……!」


 眉を顰めたエマは、自分の置かれた状況を赤くした途端、白い肌にさっと朱を散らした。


「すみません、はしたない真似を!」


 慌てた様子で、エマは俺の腕の中から立ち上がった。



 楚々とした態度のエマ。


 足元が気になるのか、頻りにスカートの裾を引っ張っている。



「あの、ここはどこでしょうか? 私、王宮へ戻りたいのですが……」


 まるで迷子のような不安げな表情をしていたエマだが、


「お姉様っ!」


 その顔が、親を見つけた迷子のように明るくなる。


 小走りでアーディのもとへ行き、その手をぎゅっと握る。



「よかった。いらしたんですね! 私不安で……一体どうなっているのでしょう? 王宮にいたはずですのに……」


「貴女、覚えていないの?」


 探るような視線を向けるアーディ。彼女も、まだ半信半疑らしい。


「何をでしょうか……?」



 が、エマはキョトンとした表情で小首を傾げている。


 第一、アーディを見て安心しきった顔でニッコリ笑ってその手を握るなんて、普段のエマなら絶対にしない行為だ。つーか、それは普段なら俺の仕事だぞ!


 が、今のエマは、アーディから手を離さず、体もアーディに隠れるようになっている。



「貴女は、その……」


 アーディはかなり苦労して言葉を選んでいるようだった。


 エマの過去はかなり特殊だもんな。



「今はね、あの人たちと一緒に暮らしているのよ」


 結局、過去には触れず、今だけを説明した。


「えっ?」


 かなり予想外だったらしい。エマはキョトンとして俺を見て、それから顔を赤くして、困ったように眉を寄せた。



「で、でも、お姉様。男性と一緒に暮らすだなんて。その、それは……」


「この前のパーティで、お前、ゆうを婚約者だって紹介してたじゃないか」


 と、これはアーディじゃない。プロ助だ。


 つーかお前アレ見てたのかよ! なら何とかしてくれよ! ほんとつっかえ!!



「えぇっ!? そ、そんな……いえ、でも貴女まさか……」


「そうだ! わたしはこの世界を創った……」


「私の子供っ!? 私ったら、けけっ、結婚前になんてことを!」


「そんなわけないだろ! わたしはお前の子供なんかじゃない! わたしはこの世界を創った……」


 ああもう、めんどくせぇな!


 こうなったら……



「エマっ!」


 駆け寄り、ぎゅっと手を握る。


「えっ? あ、あの……?」


 元々攻めに弱いところはあったが、今は拍車がかかってるな。手を握っただけで顔が真っ赤だ。



「本当に俺のことを忘れてしまったのかい?」


「は、はい。あの、ごめんなさい……」


「いいんだよ、謝ることない。きっとすぐに思い出すさ。もし思い出せなくたって、また作ればいいんだ。一番大切なのは君だからね」


「はい……」


 顔を真っ赤にして、少しウットリした表情のエマ。



 ふっ。ちょろいもんだぜ! ……いや待て。こんなことする必要なかったんじゃないか? このまま王宮に帰ってもらった方がよかったんじゃないか? そうだよ、何やってんだよ俺!



「素敵なお方。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「あ、ああ。ユウだよ。ユウ・アイザワだ」


「ユウ様。素敵なお名前ですね。ユウ様、私……」


 エマの言葉がピタリと止まる。


 視線は俺の背後に向いていた。何だ? 一体何を見て……



「ユウ様。あちらの女性はどなたですか?」


 伊織のことを言っていると気づくまで、少し時間がかかってしまった。


 その間に伊織は、



「私はゆーくんの奥さんだよ!」


 そう言って、俺の右腕を抱いていた。



「どういうことですか? ユウ様。奥様がいらっしゃる身でありながら、私を……?」


「いや、これは違うんだ。そのだね、あの……」


「ひどいよゆーくん。私にあんなことをしておいて。私、もうゆーくんなしじゃ生きていけないのに……っ」


「おい伊織! 今はふざけてる場合じゃ……」


「離して下さい」


 聞こえてきたのは、今まで何度も聞いてきた声。


 エマが色々な連中にかけてきた冷めた声。それが今、俺に対してかけられていた。



「え、エマさん?」


「離しなさい」


「アッハイ」


 あまりの塩対応に、つい素直に手を離してしまう。



「見損ないました。素敵なお方と思いましたが、思い違いだったようですね」


「そんなことはないよ。確かに俺は嘘もつくが、それでも君には誠実だ」


「私、貴方のような不誠実な人、大嫌いなんです!」


「っ!?」


 予想外すぎる言葉に、驚き目を見開いてしまう。



「いや、そこでその反応はおかしいだろ」


 プロ助が何か言っている気がしたが、どうせ大したことじゃないだろう。



「さようならアイザワさん。私は王宮へ帰らせていただきます。そちらの女性とお子様と、どうぞお幸せに」


 冷めた声で言ったかと思うと、


「お姉様っ。一緒に帰りましょう?」


 いつも俺にかけている、甘く優しい声をアーディにかける。



「そ、そうねエル! 帰りましょうっ?」


 なんか、アーディが嬉しそうなんだけど。なんなんだおい。



「お前なんでそんな嬉しそうなんだよ」


「だって、エルがこんなふうに来てくれるなんて久しぶりで。ホント何年ぶりかしら……」


 駄目だ、コイツは頼りになりそうにない。



「なあ、待ってくれエマ! 話を聞いてくれ!」


 手を伸ばすが、


 バシッ


 振り払われる。



 もはや、エマは言葉すらかけてくれなかった。


 ただ冷たい視線をくれただけで、アーディと一緒に、それな仲睦まじく去っていったのだった……




 え、ちょっと待って。何これ何これ。


 何で俺がフラれた感じになってんの? は?



 ライフリートの爺さんが、俺の肩に手を乗せ、訳知り顔でうんうん頷く。


 プロ助も反対の肩に手を置き、うんうん。



「待て待て! だからなんで俺がフラれた感じになってんだよ!」


「可哀そうなゆーくん。でも大丈夫だよ」


 そう言って、伊織は俺を抱きしめる。


 柔らかな感触が押し付けられ、甘い香りが漂うが、



「私が慰めてあげるからね。私は、ゆーくんとずっと一緒だから」


「だから何だよその哀れみは! 俺は別にフラれたわけじゃねぇぞ! おい! バカしかいねぇのかこの国は!!」


 こ、こんな屈辱初めてだ!


 こうなったら……!



 もう一度、エマを俺に惚れさせてやる!

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