第49話

「ゆーくん、しっかり私に捕まっててね。溺れたら大変だから」


「イオリさん。何をやっているんですか? ユウ様から離れて下さい……」


「ゆーくんに泳ぎを教えてるだけだよ。だって、エマさんはお姉さんと忙しそうだったから」


「ただ日焼け止めを塗っていただけです」


「それでもエマさんはお姉さんと忙しそうだったし」


「しつこい人ですね……」


 アカン。


 天気は快晴のはずなのに雲行きが怪しい。



 お恥ずかしい話だが、伊織の言う通り俺は泳ぎが得意ではない。


 エマとアーディがイチャコラしている間に、それを知る伊織は「私が教えてあげる」と言って俺の手を引いて海に入った。


 ちなみに、エマから解放されたアーディは、呆けた顔で座り込んでいた。


 そんなわけで、伊織のレクチャーを受けているのだが、



「どっちにしても、今私はゆーくんから離れられないよ。だって、ゆーくんて泳ぐのがあんまり得意じゃないから。溺れたら大変でしょ?」


「そんなことはありません。私がその役をやればいいだけの話です。代わって下さい」


「うんうん、その調子だよ、ゆーくん。後ろは気にしないで、私のことだけ見ててね」


「……へぇ。いい度胸ですね」


 おい、これマジでヤバいんじゃ……


 そう思った時、違和感が。



 こっちの世界に来てから何度も感じてきたもの。これは、魔力だ。


 この禍々しいというか、嫌な感じのは……



 ゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボッ



 海面が泡立ったかと思うと、


 ザバッ!!


 そこから、出てきやがった。


 巨大な、タコみたいな魔物が。



「な、何だコイツっ!?」


 と驚いた声を出したのは、俺たちの近くで暇そうにぷかぷか浮いていたプロ助だった。


 ……コイツ、本当にこの世界を創ったのかよ。



「まったく、次から次へと邪魔者が……」


 エマがいつものように不快気な声を出し、杖の先をタコの魔物へ向ける。が、


 先に動いたのはタコの方だった。触手が唸り、エマの華奢な体を絡めとったのだ。



「っ!?」


 驚いた顔をしているエマだが、どうせすぐに反撃……


 しない。


 いつまでもやり返さないなんて妙だ。


 気になって視線を上げると、



「きゅ~~~~~~~~~……っ」


 エマが目を回していた。



「も、申し訳ありませんユウ様……私、うねうねぬるぬるしたものが苦手で……」


 マジかよ。意外な弱点。


 ……つーか、アレだな。


 水着の美少女がタコの触手に囚われてるところを見れるなんて。前世じゃ無理だったろうなあ。実際、北斎先生がお喜びになりそうな絵面である。



「こ、このっ。いい加減に……きゃっ!?」


 抵抗しようとしたエマに、さらに触手が絡みついた。


 一本の触手で両腕を絡めて体を吊るすようにし、細い触手がエマの白い体を這い、ついに水着の中にまで入り込む。



「汚らわしい魔物ごときが、私を誰だと……ひゃっ!? この、やめなさ……んんっ、やめ、てぇ……っ」


 普段強気なエマが、文字通り手も足も出ていない。


 顔を真っ赤に染め、何かに耐えるように唇をかみしめて、体を小さく震わせ……



「おまえ、人としてどうかと思うぞ……」


 プロ助が心底呆れた目で俺を見ていた。


「やめろ! そんな目で俺を見るな!」


 抗議するも、プロ助の目は変わらない。


 だがそれどころじゃない。早く何とかしねぇと!



「待ってろエマ! 今助ける!」


「!? 待って! エマさんだけズルい! ゆーくん! 私も捕まるから私のことも助けてっ!!」


 何言ってんだコイツ。


 今はそれどころじゃ……



「みんな下がって」


 背後から聞こえた凛とした声、それが誰のものなのか、最初は分からなかった。


 俺たちの間から歩んできたのは、アーディだった。



 一歩前に出て、魔物を見据えると、


「エルを、離しなさい――ッ!」


 手に握っていた剣を一振り。


 たったそれだけで、巨大なタコ魔物を倒してしまったのだった――




「エマ!」


 魔物が倒れたことで空中に投げ出されたエマを、何とかキャッチする。


「大丈夫!?」


 アーディがエマを覗き込む。


 流石に伊織とプロ助も心配した様子でエマを見ていたが、



「ユウ様っ!」


 ハッと正気に戻ったエマは、俺に抱き着いてきた。


「あんな魔物に囚われて、私、とっても怖かったですっ」


 いつも通りの様子に、三人は安心したような、呆れたようなため息をつく。


 だが、エマを抱いている俺には分かった。エマが小さく震えているのを。


 ……今さらながら、ちょっと罪悪感が。



「あの、お姉様……」


 海から出ようとするアーディの背に、エマが躊躇いがちに声をかける。


「その……助かりました。ありがとうございます……」


 率直な謝儀に、アーディは最初驚いた顔をしていたが、すぐに表情を緩める。


 そこに浮かんでいたのは、皇女ではなく、一人の姉としての顔だった。



「いいのよ。貴女が無事ならそれで」


「……どうも」


 真っ直ぐな言葉に照れたのか、エマは顔を逸らす。


 だが俺からは、その顔が赤く染まっているのがしっかり見えて……



「ゆう……」


「今はどうもなってねぇよ!」

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