第22話
伊織を地面に寝かしつけ、俺はひとまずため息をつき、
「ユウ様……」
かけて、息を詰めた。
ゆらり、とエマがゆっくり近づいてくる気配がする。足音が全くしていないからか、めっちゃ怖い。
さっきはエロいと感じた下着姿も、今は恐怖しか感じねぇ。
「どうして、そのメスの肩を持つのですか……?」
エマの声が、かつてないほどに低い。
「おかしいですね……ユウ様の伴侶は私のはずなのに、どうしてユウ様は、そんな……下品で、非常識で、頭のおかしな女の肩を持つのでしょう……前の世界での恋人と仰っていましたが、まさか……」
「いや、未練があるとか、そういうことじゃないよ」
俺は立ち上がって、今度はエマの手を取った。
「俺が愛してるのはエマ一人さ。でも、あのままじゃ、きっとエマもただじゃすまなかった……」
俺はそこで一度言葉を区切って、俯いて声を震わせて続ける。
「もしエマが傷つくようなことがあれば、俺は……俺は、耐えられない……! だから……!」
ちょっとクサいかなと思ったが、
「ユウ様……」
感極まった様子で俺の名前を呼んできた。
「いいんです。ユウ様のお気持ちはよく分かりました。ごめんなさい、不安がらせてしまって……でも、もう大丈夫ですから……」
と言って、俺の胸に顔をうずめてきた。
……計画通り!
乗り切った……! 乗り切ったぞ!
二人のヤンデレを前に、何とか生き延びることができた……!!
めでたしめでたし。
ちなみに、プロ助はちょっと離れた場所で、打ち上げられた魚みたいにピクピク動いていたが、命に別状はなかった。
さすが女神。
「貴女たち一体何を考えているの!?」
公務を終え、様子を見に来たらしいアーディが、屋敷の散々な状況を見て怒りの声を上げた。
無理もないだろうなあ。屋敷が瓦礫の山に変わってたわけだから。
買い物に出た際、急に魔法を解かれて正体がバレたことへの文句も、どこかへ吹っ飛んでしまったようだ。
「正当防衛です」
瓦礫に座ったエマは、俺の右腕に自分の腕を絡めたまま言う。
「そこで寝ているメスが、いきなり私を殺そうとしてきたんです。だから応戦しました。当然のことでしょう?」
珍しく、エマが嘘を言っていない。まあ、先に煽ったのはエマだけど。
「それに、外に騒ぎが漏れていないのは、私が結界を張りながら戦っていたからです。礼を言われこそすれ、文句を言われる筋合いはありません」
「開き直らないで! それにその恰好は何っ!? ぜっ、全部見えているじゃない破廉恥なぁああ!!」
「ご奉仕するのですから当然です。ユウ様は褒めて下さいましたよ。奇麗だって。それに激しくて、でもとっても優しいんです」
「そっ、そそそそそそこまでは聞いてにゃいわにょぉ!」
噛みすぎだろ。
アーディは一度ため息をついて気分を落ち着かせてから、
「……それで、この人がユウの恋人……?」
「〝元〟です。元、恋人。一番重要な部分を抜かさないでください」
エマが唾でも吐き捨てそうな口調で言った。
「ということは、別の世界の人でしょう? それがどうしてここに? アプロディーテ様の計らいですか?」
と言って、プロ助に目を向ける。
そこには、死の淵から生還したプロ助が地面に座り込んでいた。
いや、冗談。攻撃が直撃した直後はヤバそうだったが、すぐに回復してた。まだいつもの勢いまでは取り戻してないようだが。
「俺もそれを訊きたかった。なんで伊織がここにいるんだ? お前のことも知ってるみたいだったが……」
俺を反省させるためとか言ってたが、流石に生きてる人間を別の世界に連れてくるのは……
すると、プロ助は俺の言葉を遮るようにして、
「いや、伊織はもう生きてないぞ。おまえと同じように、死んだんだ」
なんて、当たり前みたいに言うので、絶句した。
「はっ? な、何でっ!?」
「う、うぅん……」
声を上げたために、伊織は起きてしまったらしい。俺の姿を認めると、
「ゆーくんっ!」
嬉しそうに声を上げて、俺に抱き着こうとするが、
「何を当たり前のように引っ付こうとしているんですか? 離れなさい」
エマに止められる。さっきの今だ、プロ助は息を張り詰めたみたいだが、
「あれえ? ひょっとして、私にゆーくんを取られるって心配してるの? それなら安心して。ゆーくんは、もともと私のモノだから」
今の伊織は、さっきよりは落ち着いている。さっきのようなことにはならなかった。
「どうやら、先ほどの私の言葉を理解していないようですね。もう一度言いますが、私は、ユウ様からネックレスを戴いたんです。これこそ……」
「ふん、ネックレス? 宝石なんて、ただの高い圧力をかけられた炭素じゃん」
地質学専攻の伊織選手、ここで無駄な知識を披露。
「それに、プレゼントくらい、私だって何度も貰ったよ。たぁくさん」
あ、言ってる傍から空気がヤバげだ。
「なあ伊織、プロ助に聞いたんだが……」
二人を牽制するように、俺は衝撃の事実を本人に確かめる。すると、
「うん。私死んだよ。あのね、自殺したの」
当たり前のように、そう言われた。
「自殺って……なんで……?」
「? ゆーくんを刺した時にゆったじゃん。〝一人にはしないから安心してね〟って」
……そういえば、そんなこと言ってたようなないような……何しろ極限状態だったしなあ。正直、よく覚えてない。
「それでね、睡眠薬をお酒で飲んで手首切って目が覚めたらね、その子がいたの」
「…………念入りだな」
『あなたを殺して私も死ぬ』を実践しやがったのか。通称、無理心中。
「だって、失敗しちゃったら困るもん。ゆーくんに会えなくなっちゃうし」
そう言って、プロ助を見る。すると、プロ助はビクっと体を震わせていた。
「それで、ゆーくんに会わせてくれるって言うから、来たの」
来たの、て。ちょっとは躊躇えよ。
「そういうことだから、ゆーくんは私のものなの。だから、あなたはどっか行って」
「何がそういうことなんですか? あなた、脈絡がなさすぎますよ」
ふたたび二人の間に不穏な空気が立ち込め、
「ひぃっ!?」
プロ助はビビってアーディの背中に隠れてしまう。
「あ、アプロディーテ様!?」
「しょいちゅこわいぃいいい……」
女神様が、我が親愛なる元カノにガチでビビっていた。自分で連れて来たくせに。
「ちょっと! アプロディーテ様に何をしたの!」
アーディはエマ……ではなく、伊織に訊く。が……
「ねえ、ゆーくん。私ね、まだこの世界に来たばかりだから、分からないこといっぱいあるの。おしゃれなカフェとかあれば、連れていってほしいなあ。もちろんお金は私が出すから安心してね?」
相変わらずのマイペース。完全無視……というか、そもそもアウトオブ眼中な感じだ。
「ちょっと無視はやめなさい! これでも皇女よ私!?」
「るさいなあ。いま私とゆーくんが話してるんだから邪魔しないでよ。チッ」
「……この子、あなたの友達じゃないわよね……?」
「違います」
エマは心の底から不愉快だという様子だ。
「どう見たらそう見えるんですか? 乳ばかり育てているから、脳に栄養が回らず目も曇るんですよ。この、ハレンチ皇女」
「う、うるさいわねっ!」
なんて、仲睦まじい会話は、正直今はどうでもいい。
「ねえ、いい加減ゆーくんから離れてよ。ゆーくんが嫌がってるのが分からないの?」
「あなたこそ、ただのストーカーじゃないですか。ユウ様の不利益にしかならないメスが……っ! その四肢を捩じり切りますよ……?」
「あはっ。おっもしろぉい。ねえゆーくん、この女戯れてるよ。変な子だね。こわぁい」
「本当に、口数の減らないメスだこと……身の程を分からせるべきでしょうか……」
第二次ヤンデレ大戦が勃発しそうだ。
伊織の機嫌はまだ治らないか。普段はもっと普通なんだがなあ……
「な、なあ、伊織。もう夜中だし、今日は帰った方がいいんじゃないか? 送ってくから」
「? ゆーくん何言ってるの?」
伊織は、キョトンとした顔で、首を傾げて、
「もちろん私はここで一緒に暮らすよ。私とゆーくんは、ずぅっと、ずぅーっと一緒なんだから、当たり前だよね……」
なんて、言うのである。
「は……?」
エマは、海の底よりも深く暗い声。
正直、ちょっと怖くて顔を見ることができなかった。
そして……
「うぅ……わたし、ぐすっ……いえですりゅ……っ!」
プロ助は悲惨なことになっていた。
嵐が去ったと思ったら、また嵐の予感。
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