第十話 さようなら、エルフのお姫さま

 リーネの体調が芳しくないと言うことで、予定されていた行事はキャンセルされた。

 フィルは改めてリーネに挨拶しようと試みたが、エルフの衛兵に止められてしまった。リーネは今、馬車内で休息をとっているとのことだ。

 急遽滞在が短縮されたが、沿道には多くの民衆が集まって馬車へ別れの手を振っていた。何かあったのだろうかと心配する声も聞こえてきたが、ひとまずのところ大きな混乱は無い。

 予定変更のドタバタの中、主役不在のまま大した見送りも出来ず、ドロシーたちはただ静かに並んで馬車が出て行くのを見送った。


「だいじょうぶかな?」

「問題ないでしょう。エルフの治癒魔法は一級品です。きっとすぐに良くなられますよ」


 離れゆく馬車を心配そうに眺めるフィル。ドロシーはその頭をそっと撫でた。

 実際の所、本当に問題は無い。コットンが仕掛けた下着魔法は特定対象への情欲を激しく喚起するものだった。対象となるフィルが目の前にいなければ効果は勝手に薄れてゆく。エルフの国に着く頃にはすっかり元の調子に戻っているはずだ。

 フィルに寂しい思いをさせることになった点について、ドロシーは少しばかりは自責の念に駆られた。リーネの尊厳については知ったことではないが。

 ちなみにコットンは正気に戻ったリーネの反応も見たいからと馬車についていこうとしたが、ドロシーが止めた。コットンにはパンツから希少素材を抽出する最後の大仕事がある。


「ドロシー。相談があるんだけど」

「何でしょう、姫さま」


 馬車が見えなくなるほど遠ざかった頃、フィルが口を開いた。


「これなんだけどね」


 そう言って、ポケットから取り出した何かをこっそりとドロシーに見せる。

 果たして、そこにあったのはドロシーが求めていたもの。リーネのパンツだった。

 ハイペリオンの葉に染められた見事な薄緑。バックプリントには"elven princess" の表記と共に、舞い踊る妖精のシルエットが控えめな大きさで描かれていた。


「わたしの部屋でこれを渡されたの。その、リーネちゃんが穿いてた……パ、パンツ……なんだけど。これってどう思う?」


 フィルが困惑するのも仕方がない。別れ際にいきなり脱いだパンツを押しつけていく姫君がどこの世界にいるというのか。


「リーネちゃんね、これを見てわたしのことを思い出してって言ってたの」

「なるほど。詳しくは存じ上げないのですが、もしかしたらエルフ族特有の贈り物文化なのかもしれませんね」


 ドロシーは自分の企みがうまくいったことに内心ほくそ笑みながら、白々しく答えた。


「そうなのかな……じゃあ大事にしなきゃね」

「ええ。それにしても、少し汚れているようですね。こちらで洗濯してお返ししましょうか」

「うん。おねがい」


 こうして、当初の目的であった希少素材ハイペリオンの葉を含んだエルフ王族のパンツは、見事にドロシーの手へと渡ったのだった。


          *


「わぁ、まだ湿ってるよこれ! ふっふふふふふ」

「いいから作業にかかりなさい」


 コットンが笑いながらリーネのパンツを広げて中を覗き込んだり、びよんびよんと伸ばしたりして遊んでいた。

 ドロシーの私室に戻った二人は、早速素材の抽出とフィルのパンツ複製に取りかかろうとしていた。


「分かってるってば、ドロシーったらせっかちさんなんだから」


 コットンはリーネのパンツと空の小瓶を机に置くと、手をかざして集中した。しばらくするとパンツが光に包まれはじめる。光が収まってみると、空だった小瓶には透き通った薄緑色の液体が注がれており、代わりにパンツからは緑色が抜けて純白へと変貌していた。


「色が抜けてしまいましたね」

「しょうがないよー。染料抜いちゃったんだから」

「姫さまになんと説明して返しましょうか」

「洗濯したら色落ちしちゃった、でいいんじゃない?」

「まあ、仕方ありませんか……」


 ドロシーは白くなったリーネのパンツを仕舞うと、次にフィルのパンツを取り出した。今回複製すべきパンツ。素材を手に入れた今ならば、コットンの力で同じ品を作り出せる。


「では、頼みますよ」

「はいはーい」


 前と同じようにしてコットンは、パンツを複製した。ドロシーができあがった物を手に取って確かめるが、本物との差は分からない。必要な素材さえあれば、コットンの技に狂いはない。さすがは下着の大悪魔である。


「で、前と同じようにすり替えるんだよね?」

「ええ。それはこちらでやりますので」


 まずはオリジナルのパンツをフィルに穿かせ、翌日の入浴で脱衣したところを複製品とすり替える。脱衣所までフィルの側にいられるドロシーだからこそ出来る方法だ。


「じゃ、あとはよろしくー」


 仕事を終えたコットンは開け放たれた窓へと向かう。


「待ちなさい」

「んー?」


 ドロシーはコットンを呼び止めると、白く色の抜けたパンツを突き出して言った。


「これの色を元通りに出来ますか? 性能を模倣する必要はありません。見た目だけでも元のようにしたいのです」

「見た目だけなら簡単だけど、どしたの?」

「姫さまはこのパンツを本当に贈り物だと信じています。大事にしなければとも言っていました。始めての友人から送られた品物を私が壊すなど、あってはなりません。恐らく姫さまは私を責めないでしょうが、とても悲しむことでしょう」


 ドロシーは申し訳なさに顔を伏せる。パンツを握る手に力がこもり、柔らかな皺が寄った。


「……なんか、しおらしい感じ醸し出してるけど、全部ドロシーのせいだからね?」


 悪魔すら呆れさせる言い分にコットンは一つため息をついたが、指示通りに働いた。

 コットンの実力ならば造作も無いこと。一度色を抜かれたリーネのパンツは、ドロシーの目の前で再び鮮やかな薄緑に染まった。


「はい。できたよ」


 見た目だけは元に戻ったリーネのパンツを受け取る。


「次の仕事が決まったら呼んで。んじゃ、またねー」


 コットンは窓から身を躍らせた。夜風に翻るカーテンを後に残して、その姿は既に視認できなかった。


「さて、早く洗濯を済ませて姫さまにお返ししなくては」


 脱ぎたてパンツのすり替えは後日になるとして、まずは贈り物のパンツを返さなければ。

 ドロシーは私室を後にした。

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