第八話 エルフのお姫さま、説得される

 リーネは壁に手を付きながら、震える脚でよたよたとトイレへ向かって歩いていた。

 なんだか今日の自分はどこかがおかしい。広場を見物していた時から兆候はあったが、慣れない土地に緊張しているだけだと思っていた。しかし、今は明らかに違う。


――ううう……。どうしてしまったのでしょうか。


 今も必死に抑えている股間からは、粘性のある体液がとめどなく流れ出している。もはやそれは服を濡らすにとどまらず、腿を伝って廊下に点々と跡を残すに至っていた。

 少しでも気を抜くと、ジワジワと下半身から広がってくる心地よさに心を埋め尽くされてしまいそうだ。


――それにしても、何でしょうか、この気持ちは。どうしてフィルちゃんの顔を見ていると、体が熱く……。


 途中まではフィルと談笑していても何ともなかった。しかし、突然体中に電流が走ったかのような感覚がした後、フィルの顔をまともに見られなくなってしまったのだ。

 辛うじてこらえていたが、フィルが顔を覗き込んできた辺りが限界だった。とにかくフィルから離れなくてはという一心で行動したのである。あのままでは、何かとんでもないことをしでかしてしまいそうであったから。


 必死に歩みを進めるうちに、ようやく遠い旅路にも思えた廊下が終わりを迎える。リーネはトイレへと逃げるように駆け込んでいった。


          *


「ここまでは順調ですね」


 ドロシーとコットンはトイレの前に二人揃って立ち、中の様子に耳を澄ませていた。

 リーネがトイレに入ってからというもの、押し殺したような甘ったるい声が絶えず扉の向こうから響いてきている。声と連動するかのように粘性の水音も聞こえており、これらは徐々に激しさを増していた。


「ちょっと覗いてもいい?」

「……姿は消していきなさい」

「もっちろん」


 邪悪な好奇心を顔に貼り付けたコットンが、魔法で姿を消してトイレへと進入していった。しばらく後、姿を現したコットンは愉快そうに言う。


「うふふっ。お姫さまが絶対しちゃいけない顔してた。んっふふふふっ」


 笑いが抑えられないようだ。扉の中で何が起こっているのか、なんとなく察せられるリアクションである。しかし、ドロシーの目的はエルフ姫の痴態を暴くことではないので、そこに触れることはなかった。


「お淑やかな子ほど、無茶苦茶してやるときもちーねっ! 千年そこらしか生きられないエルフのお子ちゃまが、コットン様に逆らうのが悪いんだもーん。ふふふっ」

「別に逆らってはいませんでしたが」


 というよりも、ドロシーたちから一方的に仕掛けているだけである。狙われたリーネは不幸であることこの上ない。


「まあ、いいでしょう。少し落ち着くまで待ちます。出てきてから次のステップです」


 リーネをどうこうするのが目的ではない。あくまでも欲しいのは素材としての下着である。


          *


 しばらく待つと、トイレからリーネが出てきた。入った時よりも顔を紅くして、のぼせたような表情をしている。だらりと垂れ下がったスカートは水分を多く含んですっかり重くなっているのが一目瞭然だ。


 おぼつかない足取りで廊下を行くリーネの前に、ドロシーは歩み出る。


「貴女は、確かフィルちゃんの」

「はい。フィルネリア王女専属の護衛兼世話係、ドロシー・ギタボと申します」

「ドロシーさん、申し訳ありません。どうも体調が優れないようで」

「姫さまも心配しておられました。差し支えなければ、どうなさったのかお聞かせ頂けないでしょうか?」


 ドロシーは跪いてリーネに問うた。背後の空間から「うわぁ。しらじらしー」という小声が聞こえてきたので、睨みを利かせて黙らせる。

 リーネはしばらくためらっていたが、やがて意を決したように話し始めた。


「フィルちゃんを見ていると、突然胸が熱くなって、息が苦しくなって、それから、汚い話で申し訳ないのですが、その、ここが――」


 そう言って、リーネはスカートの前を握りしめた。湿った布に皺が寄る。


「と、とにかく! 自分が自分でなくなってしまうようなのです。こんな経験は初めてで、どうしたらよいのか……」

「よくわかりました。おそらくリーネ殿下は――」


 リーネがドロシーの目を真剣に見つめ返し、言葉を待った。ドロシーは勿体ぶって沈黙を挟み、リーネを焦らした。

 そして、張り詰めた空気をドロシーの言葉が打ち破る。


「姫さまに恋をしていらっしゃるのです!」


 背後のから「ぶはっ!」と噴き出す音が聞こえたので、ドロシーは再び睨みを利かせた。

 コットンですら噴き出す暴論を展開したドロシーであったが、リーネは違った。目を見開いて、呼吸すら忘れたように止め、今この瞬間だけは震えも治まっていた。

 偽りの答えに貫かれたリーネは、すべてが腑に落ちたように言葉をこぼした。


「な、なるほど!」

「うそでしょっ! 信じちゃうの!」


 もはや隠すのも忘れて驚愕の言葉を述べるコットンに、ドロシーは後ろを見ずに肘で一撃を食らわせた。幸い精神的衝撃を受けていたリーネには気づかれなかったようだ。


「しかし、私は一体どうしたらよいのでしょう? 私もフィルちゃんも、一国の王女。まして種族を異とする者。気軽な逢瀬は叶いません。やはり、立場をわきまえねば」


 リーネは未だコットンによる情欲の魔法の影響下にあるが、その対象となるフィルが目の前にいない時間が長くなったことで、多少なりともまともな判断力が少し戻りつつあるようだった。完全に理性的になる前に、結論を急がせねばならない。

 ドロシーはとどめに出た。


「大変悩ましい問題ですが、一つだけ良い方法がございます」

「それは……?」

「それは、リーネ殿下の下着を、姫さまにお渡しすることです!」

「し、下着をっ?」

「はい」


 リーネは再び顔を赤らめ、たじろいだ。ドロシーは機を逃さず畳みかける。


「下着は本来、易々と人に見せるものではありません。しかし、だからこそ、それを明け渡すということに親愛の意味が込められるのです。また、下着という物はそれを身に着ける者に最も近い衣類。即ち分身といえます。よってこれを渡すということは、自分は常に貴女の隣に在る、というメッセージと解釈されます。これは古来より人間族に脈々と受け継がれた下着魔法の神髄にも通ずる理なのです」

「なる、ほど……?」


 怒涛の勢いで捲し立てるドロシーに、リーネは辛うじて答えた。魔法のせいで上手く回らない頭で辛うじて答えているようだ。冷静に考える時間を与えてはならないのだ。


「よくそんなに口から出まかせがスラスラでてくるねー……ドロシーこわーい」


 悪魔のコットンすらも若干引き気味の声を上げた。

 ドロシーはコットンを無視して、結論を述べる。


「良いですか? 殿下はこれより部屋へ戻り、下着を脱いで姫さまに手渡すのです。その時に絶対守らなければならないことが一つ。それは、私のアドバイスを受けたということは伏せるということです」

「そんな! なぜですか?」

「あくまで自分の意志で行うという部分が肝要なのです。そうでなければ、ただの下着の押し付けになってしまいますよ」

「う……。そうなのですね」


 諭すようなドロシーの言葉と真剣な眼差しに押され、リーネはついに覚悟を決めたようだ。怒涛のように押し掛ける衝撃に揺れていた瞳が定まり、キッと唇を結ぶ。


「わかりました。必ず成し遂げます!」


 コットンが「何を……?」と小さくツッコミを入れるが、もはやその声は届かない。

 ドロシーに背を押され、リーネはフィルの私室を目指して廊下を駆け戻っていった。



「ふん。造作もない」


 瞬間で普段の調子に戻ったドロシーが冷たく言い放つ。そこへ、ようやく姿を現したコットンが寄ってきて呆れの言葉を口にした。


「あんな暴論が通るなんて、エルフはバカなの?」

「箱入りで知識に乏しい小さな子供。しかも外国で孤立したうえに魔法で混乱させられているのです。赤子の手をひねるより容易いですよ」


 廊下の果てで、リーネが扉を開いたのが見える。あとはドロシーが望んだように進むだろう。エルフのパンツ獲得まで、そうはかかるまい。


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