第2話 コルレーネ・コルレッタ
太陽の白い陽射しの下、台上に姿を現したコルレッタを迎えたのは、うねるような群衆の歓声だった。
目深に被る白い
台上の広さは十クローネ(約十三メートル)四方ほど。台の中央には皇帝の旗章である双頭の銀竜旗が高く掲げられ、吹く風に流れていた。その旗の下に三人の男がいる。
特に目を引くのは三人の真ん中に立つ男である。うなじの線があらわになるほどに短く刈られた髪、顎から喉の形を隠すことなく丁寧に剃られた髭、服は染みひとつない清潔な白シャツで、襟元は肩から首の筋がすべて見えるぐらいに大きく開かれている。
首を見せることを強く意識している。そんな姿であった。だが、この男をより異質な存在として周囲から浮き立たせている要素は別にあった。
男の手足に嵌められた太い鉄の鎖が鈍色の光を放っている。その存在が他のなによりも男の存在を色濃く主張しているのだった。
残りの二人の男はこの手足を鎖で繋がれた男の左右に、その両脇を支えるような形で立つ。この三人の男たちに向かってコルレッタが台上を進むと、群衆の声は一段と大きくなった。コルレッタの白ずくめの衣装が揺れるたび、群衆の興奮はより一層に
コルレッタの服は白い。白い帽子に白いシャツ、白いキュロットに白いベルト、腰に提げた剣の鞘も白い。その長く形のよい脚も白いタイツに包まれ、靴先まで白い色に染まっていた。
パリスティールと呼ばれる、この白一色の衣服の上に羽織る腰丈のマントの色もまた白い。しかしその胸元に一点、黒いインクを一滴だけ垂らしたかのように白地に浮かぶ、黒糸で縫われた小さな模様があった。
天秤と剣。その左右にかしずく二頭の犬。すべて黒い糸で縫い取られたその意匠はパリスト家の紋章であった。
女の名はコルレッタ・パリストという。
パリストという家名を持つこの女は、手足を鎖で繋がれた男の前に立ち止まると、ゆっくりとした動作で腰に提げた剣を抜いた。剣は陽射しに白く煌めき、その身に刻まれた文字を燦然と輝かせる。
“
群衆の興奮はさらに昂揚し、耳も割れんほどの喚声となる。そこで銃声が空に高く鳴った。
「静まれ! 静まれ!」
さらに数発の空砲。台の下には長銃で武装した兵士たちがおり、彼らは銃を空に向けて撃ちながら、興奮する群衆を静まらせた。
一転して訪れた静寂の中、コルレッタは頭に被る白い鍔広帽を脱ぐ。帽子から溢れるようにして、結い上げられた黒髪の房が背中へ落ちた。
群衆の視線が一点に結ばれる。
陽の下にあらわになったコルレッタの顔は、身にまとう白装束とは対照的な浅黒い肌をしていた。全身を覆う白に浮かぶ黒。その色はまるで彼女の存在が、なにか禁忌に触れるものであるかのように、異質な印象を見るものに与えた。
歳のほどは二十歳ほどか。少し赤味を帯びた彼女の黒い瞳は、陽射しを映して褐色の顔に白くきらめいた。その目は揺らぎなく手足を縛られた男に向けられている。
男の目に浮かぶ色は悲壮。少し憔悴を感じさせるその目は、しかし諦念なくコルレッタを見返し、その身体は僅かほどにも身じろぐことはなかった。
この静寂に交わされる両者の視線は、コルレッタの挙動により崩される。
コルレッタが胸に帽子を当て、手足を縛られた男に向かい深く頭を下げる。そして顔を上げるとともに大音声を上げた。
「我が名はコルレッタ・パリスト! 偉大なる皇帝陛下より正義の剣を賜りし、正義の代行者! 今日、偉大なる皇帝陛下により定められし皇帝法と、その遵法者にして裁定者たる帝国最高法院の決定により、貴君カラスト・ヴァルホーゲンが犯した罪に対する正義の執行を司る者!」
台上から響き渡る声が凜然と静寂を打った。その声は水面にさざ立つ波紋のように、ざわりと周囲を取り囲む群衆の動きへと広がった。
「罪人カラストよ、汝は人々を惑わし、騒乱を引き起こして無実の人々を殺傷した。その罪は重く、それがために帝国最高法院は皇帝法第八十二条に基づき、私、コルレッタ・パリストに正義の執行を下命した。カラストよ、皇帝陛下の名の下に謹んで拝死せよ!」
その言葉とともにコルレッタは帽子を被り直し、抜き身の剣を胸の前に立てて、皇帝の旗である双頭の銀竜旗に向かい黙礼をした。
その瞬間、群衆に広がった波紋は波となり、遂には津波のような歓声となってすべての音を掻き消した。
カラストと呼ばれた手足を鎖で繋がれた男が両脇の男たちに跪くよう促される。しかしカラストはそれを振り払いコルレッタの目を見据え、足に繋がれた鎖を引きずりながら前に出た。
再び交錯する両者の目。コルレッタは剣を一度鞘に収めて腰に構えた。カラストが彼女の三歩ほど手前で立ち止まる。コルレッタは視界の端に台の下でラッパを構える兵士の姿を認め、剣を握る手に力を込めた。銀竜旗が風に揺れる。そしてコルレッタの手に薄い汗が滲み始めたとき、カラストが口を開いた。
「私は一切の謝罪も弁明もしない! 私の行いは必ずや後に続くものの正義となろう! 忌まわしきパリストの名を持つ女よ、お前の正義もやがてこの国の自由と平等を求める声によって……」
群衆の歓声を裂いて、高々とラッパが鳴った。そしてコルレッタの手が動いた瞬間、カラストの声がぷつりと切れた。
正義の剣が血に濡れた。
「パリスト! コルレッタ・パリスト!」
そして群衆から割れんばかりの喝采が地鳴りのように湧き上がる。
カラストの首が血飛沫とともに空を飛び、その身体が吹き上がる血に染まりながら膝を突いて崩れ落ちた。高々と飛んだ首は、鈍い音を立てて地面に落ちると、一度、二度とごろりと転がり、コルレッタの足元で止まる。
「コルレッタ!
その首は大きく口を開き、コルレッタを睨み付ける険しい表情のまま虚空を見つめていた。コルレッタはそれを一瞥すると、懐紙を取り出し剣に付いた血を拭う。しかしその褐色の顔と白一色の
正義の剣が元の輝きを取り戻す。
「コルレッタ・パリスト!
台上にいた男の一人がカラストの首を拾い上げると、群衆に向かい高くその首を掲げた。そして大声で群衆に告げる。
「正義は果たされた!」
群衆の大喝采の中、血染めのコルレッタは剣を鞘に収め、はためく頭上の銀竜旗に一礼をすると、早い足取りで台上を降りていった。
その姿を、処刑台を見下ろす観覧席の一角から見送る一人の女性がいた。高価なドレスで身を着飾った、白い肌の美しい女。彼女は立ち去るコルレッタの背を、まるで夢物語でも見ているような陶然とした瞳で見送った。
「……
そう呟く彼女の肩に男の手が回される。十数もの勲章に飾られた軍服を着た頑健な体つきの壮年の男だった。
「身の程知らずの
軽蔑に満ちた表情で処刑台から片付けられていく男の死体にそう吐き捨てた男は、女の意識がコルレッタの方に向いていることに気づくと、気を良くしたように笑った。
「皇帝の力を示す剣は、美しいものでなければならない。
「……わたくしも最期は――」
男の言葉を聞くともなく呟かれた彼女の唇の微かな震えは、しかし群衆の歓声の中にたちまちに掻き消された。
「コルレーネ! コルレッタ・パリスト!」
「コルレッタ!
――首斬りのコルレッタ。
彼女が代々帝国の死刑執行人を務めるパリスト家の現当主である。
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