第6話 檄

大学の研究室から戻った僕を待ち構えていたのは、梢と小学校高学年位の、長い銀色の髪を持った、一見少女に見える子供だった。

「ああ、お兄ちゃん・・・」珍しく、梢の方から声を掛けてきた状況から、この子供にまつわる何かが、有るのだろうと、推測しながら返事をした。

「誰、この子?」

「私の弟。」

「弟!」どう見ても少女にしか見えないその子供は、にっこりと可愛らしい笑顔を見せてから

「今のは、営業スマイルだよ。施設を抜け出してから、生きてゆくため色々やって、最近はロリコンのモデルをやってたんだ。」

「ロリコン?ショタコンの間違いじゃないのか!」

「ショタコンは金にならないんだよ。でも流石にやばくなって・・・街中でたまたま見つけた雑誌に、姉ちゃんの写真が載っていたのが切欠で、色々調べまわってここにたどりついたわけさ。」

「梢に弟が居たなんて、親父からは聞いてないけど。」梢は、重い口を慎重に開きながら

「私が引き取られる時には、丁度里親に出されていたの、檄は・・・」

「檄!この子の名前?」

「そう、施設の人はそう呼んでいた。」

「外見とそぐわない名前ね!」いつの間に帰って来ていた綾佳さんが口を挟んだ。その言葉に一瞬驚いたような表情を見せながら檄は

「誰だこの可愛い姉ちゃんは・・・」垂れ下がった前髪の奥から、悪道の様な目を光らせて言った。

「ふーん、男の子か・・・可愛いわね。」

「おねいや、おばんは、さんざ弄り回した挙句、金払いが悪いで嫌いなんだ。」好戦的な檄の言葉に少々カチンと来たのか

「そっちの方の趣味は無いわよ。」綾香さんは腹立たしそうに言い放ったが

「梢ちゃんとは本当の兄弟なの?」

「解りません。何でも一緒に捨てられていたとかで、おそらく兄弟だろう位しか、それにに私も檄も異人の血が混じってるって事で…」」

「檄君か、ぼくもそうだけど、施設の人って、適当な名前を付けるんだよな。まあ、それは置いといてと…どうしますかね。綾香さん?」

「私は、悪がきが一人位いても悪くは無いと思うけど、靖恵ちゃんと教授には話しを通して置かないとね。」

「そう言えば、ヤスベーは?」

「今日は遅くなるって、連絡が有りました。」梢が不安そうな眼差しでヤスベーの伝言を伝えた。

「兄ちゃんも孤児なのか?」檄は、外見とは似つかわしくない言葉使いで聞いてきた。

「まあ話出すと長くなるけど、檄君と同じような境遇と言ったところかな、僕が捨てられていた所がたまたま教会だったので、少し違った人生になったみたいだけど。君の姉さんは、縁あって僕の妹になったんだ。話がややこしいかな。」

「うんー、て事は、あんちゃんは俺の、兄さんてことでいいのかな。」

「まあーそんな所かな。」

僕らのやりとりを楽しそうに、聞いていた綾佳さんが

「いきなり、こんな可愛い弟が出来て良かったわね。」冷やかし半分に茶々を入れてきた

。檄の登場で、梢の僕にとって迷惑な性癖が幾らか緩和してくれたかと思い出していた頃、朝方ふと目覚めると、僕の腕の中に小さな女の子がいた。寝ぼけた頭の中で、一瞬梢の小さい頃の様子と記憶が重なったが、それは檄だった。僕が少したじろいだ背中側には、梢の胸の感触があった。

「ああ・・・今度は二人で潜り込んで来るのかよ。」僕は、子供の頃の教会での暮らしぶりを思い起こし、梢のこの変な性癖のきっかけとなった出来事を思い起こしていた。

事の発端は、可愛がっていた猫の死だったろうが、もしかしたら檄との別れもその背景に有ったかもしれない。

「たしか、猫の名前をゲキて言っていた気がしたが。」

二人を起こさぬ様、ベットを抜け出してダイニングに行くと、綾佳さんがいた。

「早いですね。」僕が声をかけると、それまでの数学の方程式でも解いているかの様な顔から、いつもの笑顔に戻って

「あら、おはよう。そちらこそ早いわね。」

「ええ・・・梢に侵入されて、それと檄にも。」その言葉にぷっと吹き出してから

「もてもてね。男の子にも好かれるのね。」そう言いながら、大きめのクッキーとレディーグレーの紅茶を持ってきてくれた。僕は、そのクッキーの味にふと懐かしさを感じながら「え、これて・・・・」

「解る、佳枝さん(哲平の義理姉)からレシピを聞いてたのよ。あの時、一緒に戴いたのが美味しくて、自分でも作って見ようかと思って。」

「母の味を良く再現していますよ。僕らにとっては唯一の贅沢品でしたから。」

「ありがとう、作ったかいが有ったわ。」しばらく、二人で紅茶とクッキーを堪能した後で

「一寸片付けたい仕事があったので、早起きしたのよ。とりあえず一段落したから、休憩していた所。」

「ほう、建設的で有意義な早起きですね。」僕はそう言いながら、中庭の公孫樹に目をやった。まだ完全では無いが、黄色に色づいた葉っぱを見ながら、ふと季節の足音を感じていた。

「私、そろそろ高校教師を辞めなければならなくなりそうなのよ。近々、山下グループの総代を継ぐ事になるので。」少し真剣な顔になった綾佳さんは、キッパリとした口調で話した。

「それはまた大変な事に!」

「まあ、覚悟はしていた事だけどね。一人娘の宿命かな、これまで勝手な事やらしてもらってきたから。」そう言いながら彼女は、側に有った資料の中から一枚の写真を取りだして見せてくれた。

「この人は私の祖母で、生涯グループの総代として仕事をこなしている人なの。何故か一人娘として生まれてね。否応無しに私と重なるのよね。その境遇が。」綾佳さんは、再び写真を手に取って言った。

「唐突だけど、私もたまにで良いから、梢ちゃんみたいに哲平さんのベットに潜り込みたいな。」

「うんーん、それは一寸・・・」

「あら、マスターキーは持ってるから、大家としてね。」

「確かに、人の温もりが欲しい時は有りますがね。僕らみたいに、赤の他人同士の兄弟で生きてくると、血のつながり以上に仲間意識と言うのか、連帯感と言うのか、絆が強くなっていますね。留学してた頃の話ですが、アカデミーの組織の中で特殊能力を研究していた部門が在って、孤児達を集め、小さい頃から一体のグループとして育て上げるんです。

全てが連帯責任、個人にして全体、全体にして個人と言った具合にね。彼らは孤児のため親兄弟を知らない、その温もりも、優しさもね。だから判断を下す時に、迷いが無いて言う訳に成るのかもしれない。でも僕はその子達に接触した時に、何だか得たいの知れない冷たい物を感じたのを覚えています。人の温もりを知らずに育った人間、それが如何に異常な存在か・・・そんな訳も在って梢の変な癖をあまり否定しない様にしていたんですが・・・たぶん綾佳さんにはちゃんと異性を感じると思いますから、梢と同じレベルで接するのは難しいと思いますよ。」

「あら、それは光栄だわ。哲平さんにとって私なんか眼中にない存在かと思ってたけど、

まだチャンスは有るて事ね。」そう言いながら綾佳さんは、束ねていた髪を解いて

「総代の仕事に就くと、もう結婚だの夫婦だのって事、やってられ無くなるのよ。例え結婚できても、普通の家庭の様に二人で過ごす時間なんて殆ど無いでしょうね。」

「一生、独身で居るつもりですか?」

「そう言うつもりは無いけど、そう成っちゃうかもしれないわね。だから虫の良い話だけど、哲平さん見たいな存在が欲しいな。お互いの仕事に理解を持ちつつ干渉せず、温もりだけは共有して行きたい。本当に自分勝手な話ね。」紅茶を飲み干した後、暫く間を置いてから

「今度の週末デートしてくれませんか。」

「え・・・まあ、予定は有りませんけど。」

「一寸寄りたいお店が有るんです。そこで夕食でもと思い、それに外苑の銀杏も見たいし

。」綾佳さんはやや強引に予定を決めると、

「それじゃー、朝食でも作りますか。梢ちゃんや檄君もそろそろ起きてくるでしょうから

。」話の矛先を旨く躱された僕はとりあえず朝食作りの手伝いに入った。

「所で、ヤスベーは?」

「ああ、出版の打ち合わせが長引いて、教授、お父様の所に泊まるって連絡が有りましたよ

、昨日の夜に。」

「ふーん、僕の所にはメール来て無かったけどな。マンションに転がり込んで来た時は

、部屋の付属物の様に居たヤスベーが、何だか自立し始めたって事なんですかね。」

「哲平さんにとっては、靖恵ちゃんも手の掛かる妹みたいもんだったのかしら。」

「はは、そうかも知れませんね。梢とヤスベーの様に手の掛かる当人同士が一緒になったら、手が省けたって感じですね。」

「ほう、そうね。今じゃ靖恵ちゃんは良いマネージャですものね、梢ちゃんの。」

そんな話をしながら、朝食の準備をしていると、まるでフランス人形の様な格好をした檄がトボトボとやって来た。

「何だその格好は?」僕は呆気に取られながら尋ねた。

「梢ねーちゃんが着ろって、モデルにするからってさ。俺この商売、もう止めたんだけどな。」檄のボヤキを二人して聞きながら、

「とっても可愛いぞ。」

「私は、ボーイッシュなのを着せてみたいな。今度、いじっちゃおうかな!」僕らの会話を他所に、すーと現れた梢が盛んにカメラのシャッターを切っていた。昔なら、何処へ行くにもスケッチブックを持ち歩いていた梢だが、この所、それがカメラに変わった。

檄の登場は、この家の住人達にも少なからぬ変化をもたらしていた。梢は念願の思いであった、檄と一緒に暮らせることが適った事で喜んでいるし、一人っ子のヤスベーは、新たに可愛い弟が出来たような調子で、梢や檄の面倒を見る事に生きがいを感じているらしかった

。そう言う意味では、最も懸案を抱えているのは僕自身だったかも知れない。新たに一筋縄では行きそうに無い弟ができ、自分自身の所在さえはっきりしていない中、彼らをどうして行けば良いのか、結構重い問題として存在していた。さらに、何時までも三木本教授や綾佳さん達に頼っているわけには行かない。こんな環境の良い居住空間をそう長いことただで借用させてもらう訳にもいかず、相当の代価を払わなければならないだろう。まずは、当面の問題として、檄の就学の件があったが、これは、ヤスベーが早速手を打ってくれていた。ここからそう遠くない、フリースクールに通う手はずが進んでいた。ただ、檄の法律上の処遇については、完全解決にまでは至っていなかった。僕らの養父母の子供として、つまり僕や梢のような養子として迎えるのか、一度施設に戻した状況下で僕らの所に里子として住まわせるかなど幾つかの案を検討していた。朝食の準備をしながら、僕は頭の中に在る、そんなもやもやした懸案事項を何の気なしに、綾香さんに相談していた。

「いい方法がありますよ。」

「はあ、何ですかそれは!」

「私と哲平さんが結婚すれば良いんですよ。」

「うん、なるほど…」僕は一寸茶化すように返事をした。

「これ、冗談じゃなくてよ。」

「ええー」

「私本気ですから。ただし、前にも言ったように普通の夫婦としての時間は、そう長く取れません。いまの状況の延長のような生活でしょう。まあ、その辺のお話は、後日に…」綾香さんは、梢の気配を察して言葉を濁した。久々の四人の朝食は、楽しかった。ここにヤズベーが加わった緩やかな共同的家族関係と言うのも在っても良いかもしれない。教会での擬似家族関係は、はっきり言って少々窮屈であったし、経済的支援を受けるためもあるが、名目上信仰に頼らなくてはならなかった。今なら、夫々に夢の為に働き、その成果を感じることができ、多少なりとも経済的な自立が実現できる。そんな事を考えながら、庭の公孫樹を見ていた。

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