第4話 公孫樹(いちょう)の家
「一寸変わっている作りなのよね。」綾佳さんが言っていた通り、その家は一風変わった間取りと構造をしていた。中庭に一本の大きな公孫樹があり、この木の周りに夫々の部屋やリビングと言った生活空間が配置されている。木を囲んで、ドーナツ状に家が作られている様な構造で、中庭のポーチや通路に当たる部分には、学校の渡り廊下の様に屋根が有ったが、屋根は十分光が差し込まれるようにガラスや格子造りで工夫されていた。建てやの周りをぐるりと池が囲い、水面の光が夫々の部屋に入り込むよう工夫されていた。
「星形をしていたら、五稜郭だな。」僕が冷やかし半分に言った言葉に、綾香さんがくすりと笑った後
「その池、結構深いですから。」
「そうだよ、私落ちた事が有るもの。」ヤスベーが付け加えた。
「どうも池には、睡蓮を繁殖させたかった様なんです。モネの絵のように。」
確かに、その片割れのような睡蓮の葉っぱがちらほら見えていた。広いリビングとダイニングそれと各部屋にあるバスとは別に大型の浴槽を持った風呂が共用の設備としてあり、それ以外の部屋は、ロフトを持った中二階構造で、一部屋でも3―4人は暮らせるスペースが有った。その中の一部屋を妹の梢用にアトリエに改造してもらっていた。無口な梢がその部屋を見るなり
「わおー!」と感性を上げた。それはこの場所の全てを受け入れると言う彼女の意思の表れでも有った。
「確かに一風変わった家ですね。」僕の問いかけに対して、綾佳さんは
「祖父が、老後はこの木を見ながら暮らしたいって言う事で作らせたのよ。でも何だか、若い芸術家が住むアパートみたいで、結局祖父も住まわずじまいで終わって、靖恵ちゃん達が暫くご両親と暮らした位で放置されていた訳なのよ。」
「人にでも貸せば良かったのに!」
「それも、この木のために一寸抵抗があったのかな。見ての通りイチョウなんだけど、オスの公孫樹で、銀杏の実は生らないわ。祖父が始めて見つけた雄の公孫樹の木の子孫なのよ。」
「ほおー、てことは、綾佳さんのおじい様は、植物学者の・・・・!」
食事と建てやの管理は、三木本邸から執事の吉岡さんとメイドの泰葉さんが来てくれる事になっていた。
「必要経費は、頭割りで分担して頂きますが、哲平さんに幾つか相談があります。」
「はい、何でしょうか?」
「ご覧の様な、家なので冬場、少し寒いのです。そのため、ボイラー暖房でのセントラルヒーティングが元々設置されていたのですが、老朽化もあって現在使えません。手軽に管理ができる良い設備があれば紹介頂きたいのですが。」
「ええ、それなら燃料電池システムはどうですか。余熱で暖房も使えるし、発電量はこの家の消費分位なら十分まかなえますよ。さらに屋上に太陽電池でも置けばエコ住宅ですよ
。」
「屋上は、畑に成ってます。」
「畑?」
「今は草ボウボウでしょうが。」
「なるほど、面白い家ですね。」
「それと、部屋は梢さんと別々で良いですか?」
「アトリエが梢の部屋と言うことで良いんじゃないですか?」
「でも、空きは有りますし…」
綾佳さんの言い回しに、僕は梢を連れにいった時のことを思い出していた。
義父の小屋でのこと、梢と母が夕食の支度をしている間、父の案内で、僕とヤスベーの三人で小屋の周りを散策していた時のことである。
「梢は、哲平が居ると相変わらずベッタリだな。お前の元に戻すことについて、色々思案したんだが、あいつの仕事も本格的になってきたし、若い娘が、こんな田舎で隠遁生活をしていてもしょうがないだろうと言う結論で、お前に託す事にしたんだ。」
「ええ、託されるのは良いんだけど、あの癖、まだ直ってないよね?」
「癖って・・・ベットに潜り込むやつか?」
「うん、子供の頃ならともかく、あの体で潜り込んで来られると困るんだよな!」
「ああ、確かにそうかもな…」
そんな会話を聞いていた、ヤスベーが
「何だそれ、…ある意味、羨ましいね。」と反応したのに対して、父がにやりとしながら
「梢が、小学校のころだったか、可愛がっていた猫が死んで、一週間程泣き通したことがあって、見かねた哲平が添い寝してやったんだが、それ以来何かあると哲平のベットに潜り込むようになってしまって、一時は部屋に鍵を掛けたりしたんだが、いつの間にか入ってきてしまい、結局諦めてほっておくことになったのだ。哲平が留学してからは、その拠り所が無くなった事で余計に無口になり、自分の殻に閉じこもる様になってしまったのだ。考えた挙げ句、気分転換にでもと思って進めたのが、絵本作家の真似事という事なんだがね。」父は昔を思い起こす様に言った。
「梢は、壁を抜けられるんだよ。」僕は、そんな父の様子を見ながら少しからかい半分で
茶々を入れた。そんな話を綾佳さんは、ヤスベーから聞かされていた事もあり
「え、それ良いですね。でも、あのナイスボディーで迫られては、若い男性としては大変ね。」
そんな会話を思い起こしながら、僕は梢の意思を確認した。結局、アトリエと続きの部屋が僕等の居室となったが、結果的には、その部屋が一番大きな部屋らしかった。最初の内、新しい生活に戸惑いを見せていた梢だったが、徐々に溶け込んで行く様子が、彼女の作品に表れていた。
「このグータラ猫って、ヤスベーだろう。」相変わらず、リビングのソファーで軟体動物化
しているヤスベーを、頻りに観察しては面倒をみてくれる様になった梢だが、その作品に新しいキャラが加わっていた。
『公孫樹の家』と僕等は何時しか新しい共同住宅をそんな呼び方をする様に成っていたが、その家は、依然のマンションよりも二駅ほど職場である大学の研究機関に近くなった。そんな事情と梢が来たためもあって、家で出来る仕事はなるべく自室で作業する様になった僕は、週に三日程この家に居る様な状況に成っていた。梢は、ここの環境が凄く気に入っている様子で、天気の良い日は決まって、屋上庭園でスケッチか花の手入れをしていた。
今までかなり苦労して送っていた、原画もレイアウト段階のもの位までは、電子化処理してやり取り出来る様になっていたが、細かな打ち合わせはやはり、オフィースなり印刷現場に出向かなくてはならない。そんな時に頼りに成る様になったのがヤスベーだった。もっとも、妹、常宮ショウのファンでもあった彼女が、妹のマネージャー代わりになるのに大した問題は無かったのだろう。
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