第16話 三時間
また雨が降っている……。やはり憂鬱だ。
今日は仕事の外回り中ではあったが、何故かまどかを探すようにあの公園に向かう俺がいる。
他人のそら似なのは理解しているが、亡くなった母の若い時に似た少女。それをきっかけに彼女への思いがまた更に大きくなったような気がする。
彼女にもう一度会いたい。その衝動に勝てない自分がいた。
先日、待ち合わせを反古にされたのは本当は嫌われていたからかもしれない。
彼女にしてみれば十以上も歳の離れたオッサンなどと話をするものストレスになるのかもしれない。
もしかすると、始めから女子高生に夢中になるオッサンをからかうようにもて遊ばれていたのかもしれない。
実はあの、待ち合わせ場所での様子を、遠くから見て友達と笑いのネタにされていたのかもしれない……、いろんな考えが頭の中を巡る。
本当に自分でも
公園のベンチに座って小一時間ほど時が流れて行った。空を見つめてみるがまた雨は激しく降り続きしばらく止みそうにない。さすがにいくら何でもそんなに都合よくまどかが目の前に現れる訳もなく、彼女が現れるのを諦めベンチから立ち上がった。
気晴らしに、なぜか無性に身体を動かしたくなって、ひさしぶりにあの空手の型をやってみたくなった。
「ナイファンチ!」呟くように言ってから俺は左足を右足に交差し移動を開始した。
この型は、空手の基本中の基本の型で、この動きの中に空手の極意が隠されているそうだ。
腰のひねり、腕の動きを意識しながら、動作をつづける。俺は学生の頃より、この型にこだわりを持って取り組んできた。
「やー!」最後に気合いを決める。この型は俺にとっては、色々な思い出が詰まったものでもあった。そして、あの時、篠との別れの記憶が少し蘇ってくる。
「お上手なんですね……」低いテンションではあるが聞き覚えのある女性の声がした。顔こそ傘で隠れていたが、瞬時にそれが彼女であることが俺には解った。
彼女は、ポケットの中から布切れを取り出し、それを差し出した。それはあの日、彼女の涙を拭いた俺のハンカチであった。ハンカチは洗濯されアイロンで折り目を付けたように綺麗に畳まれていた。なんだか近より難いような、気まずい空気が流れていたが俺は彼女に歩み寄りそれを無言で受け取った。ハンカチを確かに渡した事を確認し、彼女は軽くお辞儀をしてからこの場所から去っていこうとした。
「ちょ、ちょっと、待って!」彼女を引き留める。ここで別れてしまってはもう二度と会えないような気がした。
「……」立ち止まったが彼女の返答はなかった。相変わらず雨は激しく降り続き、二人の間を水のカーテンが仕切っている。
「少しでいいから……、話さないか?」女子高生に
傘をゆっくりと閉じると、雨水を軽く振り払い、俺が先程まで座っていたベンチに腰を下ろした。そして、あの日のようにまた少しの沈黙。少し怒ったような顔に少し気持ちが高揚する。
実は、ひき止めたのはいいが彼女に何を話せばいいのか俺は全く考えていなかった。唐突に母親の話をしてもオッサンの戯言として一笑に臥されてしまうことが落ちであろう。彼女は、ずっと自分の足先を睨み付けるような目で見つめている。少し泥で汚れてしまったようだ。両足の先を擦り合わせるような仕草をして泥を落としているようだ。気まずい時間が流れる。仕方がないので俺も彼女の横に微妙な距離を置いて腰かけた。
なにか話かけようと試みたが、その想いは俺の喉から先へは出て来なかった。
「睦樹さん・・・・・・・、私と待ち合わせの約束をしましたよね……、あの日どうして、来てくれなかったのですか?」長い沈黙に耐えきれなかったのか、先に言葉を発したのはまどかだった。顔は少し赤く染まり唇を尖らせている。目にはうっすらと涙が貯まっているようにも見えた。
「えっ?」その言葉に俺は耳を疑った。来なかったのは俺じゃなくて……。俺は確かに約束の場所にいた。彼女が来るのを十分過ぎる時間待った。
「私、ずっと待っていたんですよ…、きっと来てくれると思っていたから……、電話番号も……嘘だったし……」感情が溢れるように、まどかの瞳に涙がさらに蓄積されていく。それを見て俺は焦りにも似た感情がこみ上げてきた。そんな筈はない!確かに俺は……!
「いや、ちょっと、俺だって……」俺だってあの場所で待ち続けた。そう言おうとしたと同時に、まどかは逃げるかのように立ち上がった。どうも涙を隠しているようであった。俺は咄嗟に彼女の右手を掴み、それを制した。
「いっ、痛い!」ちょっと、ムッとした感じでまどかは俺の顔を睨み付ける。後にも先にもこんな表情で彼女の視線を浴びたのはこの時だけであった。
「ご、ごめん!でも、俺の話も聞いてくれよ!」少し苦痛で歪んだ彼女の顔を見て、可憐な花を握りつぶすような感覚に襲われ、罪悪感で俺の心は一杯になった。俺は彼女の腕をそっと離した。
「……」まどかは、相変わらず下を向いて俺と目を会わせようとしてくれない。
「俺も待ち合わせの時間に行ったんだよ。でも君が来ないから、途方に暮れて……」言葉尻は小さな声になってしまい彼女には聞こえていないかもしれない。
「そ、そんな、嘘!私だって、私だって……」まどかの蓄積された思いが爆発したような瞬間であった。
「「三時間も待てったのに!」」それは二人同時に発した言葉だった。
まさにシンクロするとはこのことだと思った。その声に唖然として、また少し沈黙が二人の間に流れた。何を言っているんだこの娘は……。改めて、彼女に気づかれないように、下から見上げるように、顔を確かめる。
怒っているのか?それとも泣いているのか?
しかし本当に写真に写っていた母と似ている。こんな時ではあるが、俺は再認識していた。この世には三人同じ顔の人間がいるとよく聞いたが、これほど似ていることはないであろう。
「ふふふふ……」彼女が、下を向いたまま突然笑いだした。
「おい……、どうしたんだ?」一瞬、彼女がおかしくなったのかと疑心暗鬼になった。
「あはははは!ごめんなさい、笑ってしまって……、でも、おかしくって。もしかして……、私、待ち合わせの場所を間違えたのかも……」まどかは、豪快に笑ったかと思うと、今度は少し慌てた素振りで、その言葉を口にした。そう言われれば、たしかに待ち合わせの駅には、目印にしたモニターと、もうひとつ大きなTVモニターことビッグマンがある。
待ち合わせによく使われるが、ビッグマンの前は人が多く目当ての相手を確認しにくい。
小さなモニター、通称 子ビッグマンのほうで俺は待ち合わせするようにしている。俺は子ビッグマンの前と伝えたつもりだったのだが、まどかは、聞き逃してずっとビッグマンの前で、待っていたのだ。俺の、配慮と説明が足りなかったと大いに反省した。
「そうかごめん!俺の説明が雑だったみたいだ」大きく頭を垂れてまどかに陳謝した。と同時に安堵する思いが一気に胸のモヤモヤを癒していく。嫌われていたのでは無かったのだ。それが解っただけで俺の心は上機嫌に変わっていた。
「いいえ、私がきちんと確認しなかったのが悪かったのです。すいません」まどかも俺に負けないくらい深々と頭を垂れた。なんだか急に可笑しくなって二人で笑いあいその場は一気に和んだ。
「私、睦樹さんに嫌われたのかと思って、無理やり見たくもない映画なんて誘ったから……」まどかは改めて、自分の思いを吐露する。あの日、この少女がずっと辛い思いをしていたのだと思うと申し訳なかった。と同時に何故か、こうした反応に俺の心は再び幸福感に満たされていく。
「本当にすまなかった。今度、きちんと埋め合わせをするよ」俺は大人の対応をする。
「きっとですよ」まどかの機嫌は見事に回復したようである。やはり微笑んだ彼女の顔はどんなものより俺の心を癒してくれる。
「しかし、君と会う日はずっと雨だね」俺は空を見上げながら、少し恨めしそうに呟いた。ただ最近は雨が降りだすと、無意識にまどかの事を思い出してしまう自分がいる。先日の事もあり、雨が降る日のほうが何か良いことが起きそうな予感がするように変化していっている。人の感覚などいい加減なものだと少し呆れてしまう。
「ひどい!きっと睦樹さんが雨男なんですよ!」まどかは、もういちどベンチに腰掛けながら、
俺にとっては彼女こそ雨女なのであるが……。それは、口にしない事にしておく。幼いその仕草が可愛くて仕方がない。
しかし、一度でいいから晴れた青空の下で彼女のこの満面の笑顔を見てみたいと密かに天にお願いをした。
「まどか!」遠くから女性の声が彼女の名前を呼んだ。声の主のするほうに目をやると女性らしい姿が目に映った。上品そうな傘と雨ガッパを身につけていて、顔は確認できない。声の雰囲気からすると五十位であろう。
「あっ、お母さん」まどかは、立ち上げると右手をふった。その雨ガッパの雰囲気で自分の母親である事を認識出来るようだ。
「ちょっと、待っていてくださいね」そう言うとまどかは自分の母親の元に駆けていった。彼女は何やら、母親に説明しているようだが、母親の視線は、雨具越しに鋭く俺に突き刺さるように向けられていた。
たぶん、まどかの言葉は半分くらい耳に入っていないであろう。俺は軽く会釈をしてみたが、母親がそれに答える様子は無かった。案の定、自分の娘が中年の男と一緒にいる事が気に入らないらしい。年頃のむすめを持つ親とすれば、それは当たり前の反応なのであろう。子供のいない俺にはなかなかその気持ちは理解できないのだが……。
しばらくして、まどかは母親の元から俺の座るベンチに戻ってきた。それを見守ってから、母親は雨ガッパの上に傘を差してそそくさと姿を消した。
「お母さん、なんだか様子が変なんですよ。睦樹さんの事を、あの人は誰?どんな関係だって……、少し怒っていたみたいで……」少し顔を紅潮させながら拗ねたようにつぶやく。それが、また可愛く思える。
「そりゃそうだろ、自分の娘が、こんなオッサンと一緒にいたら……」この前の不良ではないが、援助交際と思われかねない。それが世間一般の感想である事は間違いないであろう。
「睦樹さんは、オジサンじゃないですよ!」何気なく言った言葉だったが、まどかはまた顔を真っ赤にして下を向いた。
「ありがとね」無性にこの少女が愛しく見えた。
★
会社に帰る頃には、雨はすっかり止んでいた。
「先輩、何回か電話しましたけど、先輩の携帯ずっと不通でしたよ」後輩の一馬が声をかけてきた。携帯電話を確認するが、着信履歴は残っていない。
「おかしいな」言いながら携帯を上着のポケットに入れる。
「また、サボっていたんじゃないですか?」こいつは周りの事を配慮せずに、何でも思ったことをいつもズケズケと言う奴だ。
「う、うるせえ」他の社員達の視線を気にせず発した一馬の言葉で、俺は少し肩身が狭くなる思いがした。会社で無ければ、この男をしばき倒すところだ。まあ、今のやり取りで、サボっていたのを認めたようなものだが……。
「あっそうだ、また近藤さんの家に遊びに行っていいですか?俺、幸恵さんの料理、また食べたいです」こいつはホントに図々しく思ったことを口にする奴だ。人の嫁を下の名前で呼ぶのが気に入らない。幸恵とは波長が合うのか二人はいつも、楽しそうに話している。
俺はその会話の中に入る事が、最近少し苦手になっている。それでも、新入社員の頃からの直属の部下として面倒をみてきた関係もありこいつとは腐れ縁なのである。
「構わないよ」そう言いながら、俺は自分の席に座り、報告書に今日の業務内容を記載した。正直、業務といっても、今日は大した仕事はしていないのだが…。
「やりー」なんだかテンション高めに一馬が飛び上がった。それが無性に俺の気分を逆撫でした。
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