第15話 ハンカチ

 まどかは、半べそをかいて家に帰っていた。朝の爽やかな気持ちが嘘のようであった。こんなに悲しい気持ちになったのは久しぶりであったかもしれない。


 彼女は昨日の夜からドキドキして眠れなかった事と、泣きたい気持ちで頭がガンガンするような気がする。


 こういう日に限って空が快晴なのが恨めしい。いや、それ以上にあの男、いやあのおじさんが恨めしい。あえて、おじさんって言ってやる。ブツブツブツ・・・・・・。


 ブツブツ独り言を言いながら歩くまどかを周りの通行人達は不思議そうに見ている。一人で怒りながら歩いている彼女は異様な空気を出していた。


 今日の昼頃、まどかは約束の時間よりも、かなり前に待ち合わせの場所についてしまった。彼女は睦樹と約束した場所に行ってみたがさすがにその時間には彼の姿はまだ見当たらなかった。少し離れたコンビニエンスストアで乳飲料を一本購入して店内のイートインコーナーの一角に座り時間を潰すことにする。睦樹とあえる事が待ち遠しくてソワソワしながら何度も時計の針を気にしている。その気持ちを少し紛らわすかのように肩肘をつき頬を乗せながら、目の前のガラス越しの風景に視線を移した。


 コンビニエンスストアの隣には小さな公園がありまどかの座る席からは、そこが一望できるようになっている。園内にある長く白いベンチに若い男女のアベックが並んで座っている。二人共美男美女で、まるでテレビドラマの一シーンのように素敵だとまどかの視線は釘付けになった。


 ブラウンのパンツを纏った女性は靴をベンチの下に脱ぎ捨て体育座りのような姿勢で座り、男性は足を組ながら背もたれに寄りかかっている。二人の方からはまどかの姿は見えないようだ。二人だけの世界を満喫しているようだ。それぞれの片耳にイヤフォンをしており、共通の音楽を楽しんでいるようであった。時折、両腕を振り上げて指揮者のような身ぶりをする男性。


 ある瞬間に、二人はシンクロしたように腕をふった。その後、二人は見つめあい、爽やかな笑みを浮かべる。


「いいなぁ~、ああいうの」言いながら、まどかは自分と睦樹をアベックに置き換えてウットリとして妄想していた。


「いやだ~」ひとり突っ込みをしながら、両手で顔を覆いながらケラケラと笑った。


 睦樹との約束の時間が近づいてきた。まどかは、待ち合わせの定番と有名なビッグマンの前に到着する。

「それでも……、まだ早いかな……」まだ、30分ほど余裕があったが、まどかはその場所で彼を待つことにする。電車が到着する度に、人の群れが流れてくる。その中に、睦樹が居ないか探してみる。

 時には、背伸びして遠くを見てみたりして……。


 1時間、2時間……、睦樹の現れる様子はなかった。だんだんとまどかは泣きそうになってきた。それでも泣いたら負けだという彼女の信念は曲げなかった。時間が経つごとに、胸の中の虚無感きょむかんが広がっていく。


「どうしたの?待ちぼうけ?だったら一緒に遊ばない」チャラい男が声をかけてくる。これで一体何人目だか……。

「ギロッ!」まどかは男を鬼のような形相で睨み付ける。

「し、失礼いたしました……」一様に男達は退散していく。まどかはその目力で群がるハイエナ達を追い払っていった。

「もう、私の事はほっといてよ……」まどかは、ぽつりと呟いた。約束の時間からそろそろ3時間ほど経過する。


 もしかして睦樹に何かあったのかもしれないとの思いになり、前に聞いた電話番号のコールしてみる事を決意する。ポケットの中から、例のガラパゴス携帯を手にすると『近藤睦樹』の名前を探して、通話のボタンを押す。


『別れの曲』が流れた。少しだけ胸の鼓動が早くなる。それにしても、曲のセンスが今一だなと思った。この状況でこの曲を聞くとなんだか不安感しか思い浮かばなかった。


「もしもし……」音楽が途切れ男性の声がする。

「睦樹さん!どうしたんですか!!なんかあったんですか!?」まどかは両手で携帯を押さえて心配そうな声で聞いた。


「……、あんた誰?もしかして、新手のイタズラかなにか?」携帯の向こうの男はぶっきらぼうに言った。その声は、どう聞いても睦樹の声とは似ても似つかないものであった。

「……、すいません。間違えました……」まどかは通話終了のボタンを押した。そのまま『近藤睦樹』の名前を選んで、少し余韻を残してから削除のボタンを押した。その目から涙がこぼれそうになったが、晴天の空を見上げて、気持ちを切り替えようとした。


 家への道をトボトボと、肩を落としながらまどかは歩いている。

「ま・ど・か~!」後ろから突然名前を呼ばれ、先ほどハイエナ達を追い払ったと同じような野獣の目で、にらみつけるように振り返る。「ま、まどかだよね……」少し後退りしながら確認するように昌子は聞いた。

「昌子ちゃんか......、ごめん」まどかは仁王のような顔を穏やかな顔に戻しつつ謝る。昌子は、まどかとの約束が無くなったので一人ブラブラ買い物をしていた。何気なく前を見ると、まどかの姿が見えたのでいつもの調子で声をかけたのだ。


「どうしたの、珍しく怒っちゃて……、映画行ってきたんじゃないの?」

「……」まどかは無言のまま、返答を躊躇ちゅうちょしていた。

「前から、私と約束していたのに素敵な人と一緒に見る事になったからって、私をふったじゃなかったけ?」昌子は少し茶化すように言った。


「……うわーん、昌子ちゃん!」まどかは、昌子に飛びつくようにして抱きついた。

「えっ、本当にどうかしたの!?」普段、弱気なところを見せないまどかの変貌へんぼうに昌子は驚きを隠せない。


「私もフラれちゃったよー!」少し滑稽こっけいにも見えるが、彼女には、まどかがかなりのショックを受けている事を感じ取った。

「なぬ!なんだと!私のまどかを振っただと!どこのドイツだ!フランスだ!」ボケてみたがまどかの笑いは取れなかったようだ。


「……ごめんね、昌子ちゃんと約束していたのに……」まどかは、昌子へ申し訳なさそうに頭を下げた。

「いいよ、私はいつでもまどかと遊べるから……、でも、あんなに楽しみにしていたのに、残念だったね」昌子は子供をあやすようにまどかの頭を撫でた。


「えーん!昌子ちゃんが優しいよ!」まどかが両手を目に当てて泣くような仕草をした。

「泣いたら負けなんでしょ、泣いたら」長い付き合いで、まどかの性格をよく把握しているようだ。彼女の座右の銘は『泣いたら負け』だった。

「泣いてないよーん!」手を開くと満面の笑みを浮かべたまどかの顔が現れた。

「こいつ!」二人は、大きな口を開けて爆笑した。

昌子と別れて、再び家へ帰る道を歩いていく。一歩、二歩、……、進んで行く毎にやはり怒りが込み上げてくる。


 玄関の扉を勢いよく開けて、蹴り飛ばすように靴を脱ぎ捨てた。


 階段を勢いよくかけあがり、2階にある自分の部屋に飛び込むとポーチの中からあのハンカチを取り出して、ベッドの上に思いっきり投げつけた。


「嫌なら、嫌って言えばいいのに……!電話番号もデタラメだし!!」ハンカチに向かって、アカンベーをした。と同時に、その目から涙があふれてきた。


 誰も見ていないのは解っているが、涙を流すのは負けだと自分に言い聞かせながら、涙を誤魔化すようにベッドにダイビングしてから、バタバタと手足をベッドに叩きつけた。


「まどか!うるさいわよ」下から母の怒る声が聞こえる。

まどかは、何も耳に入らないように自分の枕で顔を覆った。


「あーん!ムツキのバカー!」彼女の雄叫びは、家中に響き渡ったのだった。

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