第17話 快食快便

 新しい朝がきた。

 隣で寝ているはずのエイルの姿が、もうなくなっている。

 携帯スマホで時間を確認すると、6時を少し回ったくらいだった。

 エイルは早起きだな。

 タイムは……何時間寝れば気が済むのだろう。そして寝相が悪い。

 画面右下で寝ていたはずが、布団から飛び出て左下で腹を出して寝ている。

 こいつ、俺の心配もよそに、幸せそうな顔して寝てるぞ。

 のんきだなー。って、腹をかくな腹を。

 布団をロングタップして、タイムにドロップしてやる。

 A.I.が風邪を引くとも思えないが、念の為。

 机の上には、着替えと思われる男物の服が置いてあった。

 これに着替えろってことか。

 ……着替えてるときに戻ってこないだろうな。

 そういうお約束は女の子が着替えてる時にお願いします。

 乱入もなく無事に着替え終えてカーテンを開けると、外が薄明るくなっていた。

 太陽は……見えないな。こっちは西側か?

 そもそも太陽は東から昇って西に沈むのか?

 窓を開け……られる訳もなく、当然扉も開けられない。かごの中の鳥だ。

 エイルが戻ってくるのを待つしかないか。

 昨日食べ足りなかった所為か、かなりお腹の訴えがヤバい。

 トレイシーさんがいっぱい作ってくれると言っていたので、朝食に期待しよう。


「起きたのよ?」


 扉が開いてエイルが顔を見せた。

 昨日と同じ、長袖、吊り長ズボンに袖無しジャケット姿だ。

 やはり着やせするんだな。


「ああ、おはよう」

「おはようなのよ」

「おふぁようごじゃりまふぁぁあ、あふ……」


 タイムが起きて、携帯スマホから出てきた。

 定位置左肩で髪の毛につかまり立ちし、眠い目をこすっている。

 まだ目の焦点が定まっていないようだ。

 引っ張られている髪の毛が微妙に痛い。


「まだ眠いのか?」

「うみゅ……あんまりねりゃれにゃかったかりゃ、てゃいむはまらねみゅいのでし」


 あれだけ寝ておいて寝足りないのか。

 こいつ、どれだけ寝れば気が済むんだ?


「タイムちゃんはまだ寝ててもいいのよ」

「そうさひぇていたらきまふ」


 再び携帯スマホの中へ入っていった。

 そこがタイムの寝床なのか。……狭くないのか?


「おいおい、なにを勝手に――」

「不都合があるのよ?」

「……ない、かな」

「おやすみなのよ」

[zzz]


 こいつ、既に寝てやがる。


「朝食の支度ができたのよ」


 仕方ない。タイムのことはほっといて、腹の虫に飯を食わせてやるか。

 いい加減静かにしてもらわないとかなわん。


「分かった」

「…………」

「ん? どうした?」

「便意はないのよ?」


 あ、嫌なことを思い出してしまった。


「ああ、まだ平気だぞ」

「変に我慢しないのよ、体調が悪くなる前のよ、ちゃんと出すのよ」

「わ、分かってるよ」


 心配してくれているのはありがたいんだが、……気分としては複雑なんだよね。


「モナカさん、おはようございます」

「おはようございます」


 茶の間に行くと、トレイシーさんが朝食を食卓に並べていた。

 お皿が飛んでテーブルに並んでいく光景は、感嘆かんたんのため息しか出てこない。

 これぞ魔法世界って実感ができる。

 エイルのノートPCは、見慣れすぎていてファンタジー感がまったくないのが残念だ。

 この世界に来て、1番魔法を感じるのは、この光景なんだよね。

 生活魔法とか、攻撃魔法とかはいつ見られるんだろうか。

 ドアは普通に自動ドアだし、水道も普通にセンサー付と変わらないからな。

 俺が使えないってだけで、魔法っぽく感じない。

 だからこそのフライングソーサーなんだよ。

 しかしなんだな。

 昨日多めに用意してくれるって言ってたけど、……一体どれだけ皿が空を飛ぶんだ。

 6人がけの食卓に、所狭しと皿が並べられていっていないか?


「さっさと席に着くのよ」

「なあ、他にも誰か来るのか?」

「? うちたち3人だけなのよ」

「ちょっと多くないか?」

「うちもそう言ったのよ。でも母さんがモナカが満足できるようにって作ったのよ」

「たくさん作ったから、たくさん食べてくださいね。食べきれなかったら、残してもいいんですよ」


 これは逆にプレッシャーだな。

 俺の胃袋がご飯をせがんでいるとはいえ、流石にこの量は食べ切れないだろう。

 かといって、残すのは気が引ける。

 残したら捨てるなんてことはしないだろうけど、うーん。

 はっ。もしかして、食べきったら食べきったで「足りなかったですか? もう少し多めに作りますね」とか言い出さないだろうな。


「トレイシーさん、ありがとうございます」

「母さん、温かいご飯をありがとうなのよ」

「ふふ、どういたしまして。さあ、冷めないうちに食べましょう」

「はい、いただきます」


 量も多いが品数も多い。

 昨日の肉野菜炒めが山盛りになっている

 こうやって見ると、肉料理が多めかな。

 これは豚の生姜炒めかな?

 こっちはアスパラガスの肉巻きだ。

 ロールキャベツにピーマンの肉詰め、唐揚げもある。

 サラダもあるけど、おまけっぽいかな。

 ……そういえば、魚料理がない。

 なんでだろう?

 豚肉は安価だけど、魚は高価なのかな。

 聞いていいものだろうか。魚料理を催促するようで、聞きにくい。

 そんな感情が顔に出ていたのだろうか。


「どうしたのよ。嫌いなものでもあったのよ?」

「いや、なんでもないよ」

「モナカさん、遠慮なく言ってくださいね。嫌いなもの、聞いておけばよかったわ」

「いえ、ほんと。そんなんじゃないんです。このオムレツ、ふわとろですごく美味しいです」


 などと言ってはみたものの、ごまかせてはいないようだ。

 ほんと、転生先がここで良かったな。


「大したことじゃないんです。魚料理が見当たらないなって思ったもので」

「お魚、お好きなんですか?」

「特にってわけではありません。ただ、これだけ色々品数が揃っているのに、1品もないのが逆に気になってしまって」

「仕方がないのよ。海がないのだから」

「海がない?!」

「海は結界の外なのよ」


 なるほど。魚といえば海だよな。川魚は食べた記憶がない。記憶がないだけかも知れないけど。

 となると、海産物全般がないってことか。

 昆布だしとか鰹だしがないのは、残念だ。

 2人が食べ終えたのを横目に、未だ腹の虫が治まらない俺はがつがつと食べている。

 生前もこんなに食べていたのだろうか。

 いや、どう考えても身体に収まる量じゃないよな。

 空になった皿から順に流しへと飛んでいく。

 あれだけあったのにも関わらず、粗方食べてしまった。


「御馳走様でした」

「はい、お粗末様でした。足りましたか?」

「はい、もう十分です。ありがとうございます」

「食べ過ぎなのよ」


 それは否定しない。

 が、胃袋の欲望に任せたら、こうなったんだ。

 これもサイボーグ化の影響か?

 っと、あれだけ食べたんだ。入れたら出すのが自然の流れ。

 さて、トイレに……あ゛。

 そうか、トイレということはエイルに頼まなきゃならないのか。

 しかも出したモノを確認するとか言ってたな。

 どうしたものか。

 などと悩んでいても、あいつ等は待ってはくれない。

 無情にも門を叩いて出て行こうとする。

 どんなに堅牢に作っても、必ず突破されてしまうものである。

 破城槌はじょうついを持ち出される前に、開門するしかない。


「エイル」

「トイレなのよ?」


 なんでそんなに生き生きしているんだ。

 てか、なんで分かるんだ?


「……うん」


 意気揚々と俺の手を掴んでいざトイレに出陣でござる! みたいに、この時が待ち遠しかったかのように、とにかく明らかに誰が見ても分かるくらい、ご機嫌だ。

 なぜそこまでと疑問になる程だ。


「手を引っ張るな!」

「早くするのよ」

「なにがそんなにエイルをはやらせるんだ?」

「気にしないのよ」


 いや、気になるよ。

 トイレの扉を開き、中に入る。

 見た目は洋式便器と変わらないな。

 閉じていた蓋が、自動的に開いた。

 対人センサーでもあるのか、なかなか先進的である。

 さて、ズボンと一緒にパンツを下ろ――す前に。


「あの、エイルさん?」

「なんなのよ」

「その、出て行ってもらえませんか?」

「何故なのよ?」

「何故って……まさか出しているときも一緒にいらっしゃるわけではありませんよね?」

「大丈夫なのよ。甥っ子が用を足すまでいつも居たのよ、慣れてるのよ」


 甥っ子おおおお!

 変なところでエイルの経験値稼がせてるんじゃねーよ!

 え、なに、つまり、……音とかも聞かれるってことなのか?


「お願いだから慣れないで! 人に見られてたら出るモノも恥ずかしがって引っ込んじゃうよ!」

「これからもずっとこうなのよ、モナカも慣れるのよ」

「慣れたくなーい!」

「観念するのよ」

「せめて外で待っていてください!」

「うちが外に出たら鍵が掛からないのよ、明かりも点かないのよ」

「鍵は掛からなくても問題ありません明かりは我慢しますお願いします後生です!」


 エイルはため息をつくと、肩に手を押せてきた。


「諦めが肝心なのよ。うちが居なかったら蓋が閉まるのよ」

「……え?」


 あ……さっきトイレの蓋が自動で開いたのは、対人センサーじゃなくてエイルの魔力に反応していただけ……そういうことなのか。

 いや、そうじゃない。この世界の対人センサーが魔力センサーなんだ。

 だからエイルがいなくなったら、扉同様俺を挟みに来るのかっ。


「閉まらないように押さえつけておけばなんとか……」

「壊すつもりなのよ?」

「あ、はい、ごめんなさい」

「そろそろ魔力が無いとまともに生活できないことを理解してもいいのよ」


 そうだよな。エイルは俺の所為で色々付き合わされなきゃならないんだよな。

 俺が我が儘言って困らせるより、言うとおりにした方が、お互いの為ってことか。


「すみません、せめて後ろを向いてもらえますか」


 エイルは素直に後ろを向くと、耳まで塞いでくれた。


「鼻までは塞げないのよ」


 そこは我慢してもらおう。

 やっぱりエイルだってこういうのは嫌なはず……? だよな。

 いくら後ろを向いてもらったとはいえ、狭いトイレの中、ほぼゼロ距離だ。

 トイレに腰掛けると、人が立てるような場所なんてほとんど無い。


「早くするのよ」

「そんなこと言われても、やっぱいきなりは慣れないよ」

「うちが手伝うのよ」

「こんなのどうやって手伝うんだよ」

「甥っ子は濡れた紙でお尻を軽く拭いてあげるのよ、よく出たのよ」


 甥っ子は1人で生きていけるのだろうか。過保護が過ぎやしませんか。


「こっちを向かないでください大丈夫です出ます出します出してみせます」

「早く出して見せるのよ」

「そういう意味じゃなーい!」


 って、耳塞いでる意味、全くないぞ。

 丸聞こえじゃないかっ。

 それから暫くして、俺は元気な子を産み落としたのだった。


「もう、お嫁にいけない」

「安心するのよ。最初から貰い手なんていないのよ」


 エイルが俺の子をあやして……もとい、観察している。

 さすがに手にとって観察する……とかはしていない。

 トイレの中は狭いので、俺は脱衣所に待避している。


「……見た目は普通なのよ」


 口に出して解説しないで!


「ちょっと待つのよ」


 そういうと、トイレを出て行ってしまった。

 今のうちに流してしまおうかとも思ったが、トイレの扉が開かないから無理だ。

 戻ってきたエイルが持ってきた物は……箸と小皿?!


「おい待てそれでなにをするつもりだ!」

「サンプルを採取するのよ」

「バカ言ってんじゃないよ!」


 これはさすがにやらせてたまるかと、後ろから羽交い締めにした。


「詳しく調べるのよ、当然なのよ」


 えーい暴れるな!


「見た目普通ならもういいだろ! ちゃんと消化されて栄養になってる証拠だよ」

「昨日食べた量と比べるのよ、少なすぎるのよ」


 確かにその通りだ。

 2人前ににんまえ以上食べたんだ。なのに、モリモリと出るかと思いきや、以外とチンマリしていたのは幸いだった。


「それだけ消化して吸収したってことだろ」

「それを確かめる為なのよ、サンプル採取するのよ」

「お願いだからこれ以上はやめてー!」

「甥っ子が緩かったときは、よくこうして見たのよ」


 またお前かー!

 ね、それ、赤ん坊のときの話だよね。


「見てなにが分かったんだ?」

「……医者じゃないのよ、分からなかったのよ」

「おい! だったら俺のを見ても分からないだろ」

「分かるかもしれないのよ」

「その自信は何処からやってくるんだよ!」

「見れば結果が出るのよ」

「エイルさん、もうその辺にしましょう」

「母さん!」


 救世主のトレイシーさんが現れた。

 こうも騒がしくしていれば当然だ。

 助かった。これでエイルをいさめてくれれば万事解決だ。


「モナカさんが嫌がってるじゃないですか」

「すべてモナカの為なのよ」

「嫌がってることを無理矢理するのは、母さん感心しないわ」

「う……」


 さすがのエイルもトレイシーさんには強く出られないようだ。

 エイルが壁に手を当て、下になぞると水が流れた。

 よく見ると、水タンクがない。水を流すのも俺では不可能なのか。

 ワンチャン、流すだけで水が溜まらないくらいはできるかと思ったが……クソ。

 名残惜しそうにトイレを見つめるエイル。

 感慨深そうに見つめなくても、またすぐ会えるさ……会わせたくない。


「ちゃんと流せましたか?」

「ちゃんと流したのよ」


 ああ、時々踏ん張って根性を見せる子がいるよな。

 根性のない子で良かった。

 2人して廊下に出ると、トレイシーさんがトレイに入った。

 もしかして、トイレに入りたいから……だったのか?


「母さんには敵わないのよ」

「そうだな」

「今日は仕事があるのよ。モナカはどうするのよ」

「仕事? 子供なのに?」

「大食らいの居候が増えたのよ、稼がないといけないのよ」

「う……ごめんなさい」

「冗談なのよ。で、どうするのよ」

「どうすると言われても、昨日手に入れた剣が使えるようにならないと、どうにもならないと思うんだ」

「剣の訓練所なんて無いのよ」

「だからアプリでどうにかならないか、調べようかと思うんだ」

「そうなのよ? 科学はそんな事もできるのよ」

「いや、多分そういう力じゃないと思う」

「家の前の搬入出口はんにゅうしゅつぐち前のよ、自由に使ってもいいのよ」

「分かった。っと、その前に携帯スマホを取りに行かないと」


 エイルの部屋に携帯スマホを取りに戻る。

 タイムのやつ、まだ寝てるのかな。

 携帯スマホの電源を入れてみるが、画面が点かない。

 あれ?

 念の為長押ししてみるが、反応がない。

 バッテリー切れか?


「タイム? 大丈夫か」


 返事はない。


「どうしたのよ?」

携帯スマホのバッテリーが切れてるんだ」

『タイム? おーい!』


 直接呼びかけてみたが、やはり返事がない。

 まさかバッテリー切れで携帯スマホが使えなくなったからタイムも?

 いや、あいつは俺の中にある携帯スマホが本体のはずだ。

 じゃあなんで返事がない?

 どうしたっていうんだよ。

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