She Loves You...Absolutely
岩井喬
第1話【プロローグ】
【プロローグ】
その年の夏祭りも、大盛況だった。
川沿いの高台を走る車道が歩行者天国となり、両脇には屋台が展開している。その照明が、まるで昼間のような明るさで行き交う人々を照らし出す。
密度の高い雑踏にありながら、人々の顔は実に楽し気だ。浴衣姿のカップルも、子供の手を引く親子連れも、同じ遊戯に興じる若者の一団も。
そんな中、僕――片峰優孝は、ある人物の登場を待っていた。
幼馴染、と呼び合うには、僕たちはまだ幼すぎると思う。でも、幼稚園から現在、すなわち小学五年生に至るまで、組もクラスもずっと同じだった。
きっとこういう人物こそ、数年後、数十年後に幼馴染と呼べる仲になるのだろう。
そんなことを考えながら、僕は歩行者天国のバリケードの端に立っていた。白のティーシャツに紺のジーパンという出で立ちである。こだわりは特にない。
しかし、こういう華やかな場所でこそ、女子は気を遣うものだということを、僕は何とはなしに理解していた。
待ち合わせは、午後六時。既に五、六分は過ぎている。
「何かあったのかな……」
僕は苛立ちでなく、心配な気持ちから、彼女のスマホにかけてみた。応答するのは、『只今電話に出られません』という機械音声のみ。
一つ軽いため息をついて、僕は空を見上げた。そして、そこに展開されている光景に見入った。
「うわあ……」
満天の星が、遥か頭上から光を投げかけている。今日はいつになく綺麗に、詳細に見えた。屋台の明るさが喜びを表しているとすれば、星々の輝きは、優しさや包容力といったものを感じさせる。
「綺麗だなあ」
「何が?」
「いろんなものが。星とか屋台とか川の水面とか、目に見えるもの全部が」
と答えた直後、僕の片足に激痛が走った。
「いったあ!」
「だってひどいじゃない、優孝! あたしがそばに来てるのに気づかないし、声かけても上の空だし、あたしのこと見てもくれないし……」
「あれ?」
落ち着いて足元を見ると、すらりと伸びた綺麗な足が、下駄の上から僕のスニーカーを踏みつけていた。ゆっくりと顔を上げる。そこには、いつの間に到着していたのか、件の人物の姿があった。
豊崎愛奈。彼女こそ僕の待ち合わせの相手であり、幼馴染である。
橙色に白い花柄の浴衣を纏い、いつものように長い髪を後ろで一括りにしている。帯は赤紫を基調とした、これまた花柄のもの。
「全くもう!」
愛奈は頬を膨らませながら、腰に手を当てた。微かに朱に染まった頬を膨らませ、ご立腹の様子。そんな彼女を、僕は黙って見つめる。
「……何か言いなさいよ」
「え? 何かって、何を?」
すると愛奈は、はあっ、と露骨に息を吐いて腕を広げた。振袖がぱたぱたと揺れる。
「あたしの格好について! 何かあるでしょ!」
「うーん、明るめの浴衣を濃いめの帯がピシッと締めてるね。いい色彩感覚だと――」
「そうじゃないっ!」
「いてっ! 僕の足を踏むのは止めてくれ!」
渋々足を引っ込める愛奈。どうやら、自分の目の良さを褒められたいのではないらしい。
「あたしはね、普通のことを言ってほしかったの! 似合ってるねー、とか、その、えっと、可愛い……とか」
顔を背け、だんだん赤みを増していく彼女の頬を見つめながら、僕は言った。
「うん、すごく似合ってるよ」
「ほ、本当?」
「本当。橙色って、結構汎用性が高いんだね」
と言い終えた直後、今度は拳が僕の頬を捉えた。
「うぐっ! また暴力を……」
「ふーんだ! もう橙色の浴衣なんて、着てやらないんだから!」
「何だか愛奈、今日はいつにも増して情緒不安定じゃない?」
僕がそう言うと、愛奈はぴくり、と肩を震わせた。顔は完全に背けられ、表情を窺うことはできない。でも、耳元まで血が上ってきているのは察せられた。
「ま、まあね、女の子にはいろいろ考えなくちゃいけないことがあるの!」
「ふぅん?」
「あーもう! さっさと行くわよ! あたしの家は門限厳しいんだから!」
そう言って愛奈は振り返り、俺の手を取った。そのまま引っ張って行こうとする彼女に、僕は再び問うた。
「だったら時間通り来ればよかったんじゃない?」
直後、強烈なミドルキックが僕の腹部を直撃した。どうして? 理不尽極まりない。
転びかけたところ、僕は思いっきり腕を引っ張られた。ぐいっ、と、女子とは思えない力の入れようだ。
僕が転倒を免れたのはいい。しかし、問題が一つ。
僕たちの顔が、ギリギリまで近づいてしまったことだ。本当に、鼻先がくっつくくらい。
これには流石の僕も焦った。他人の心境を察するのに鈍感だと、自他共に認めるこの僕でさえも。
「あっ、ご、ごごごめん!」
「い、いや、別に」
慌てて手を離し、引き下がる愛奈。僕は片手を挙げて、落ち着くようにとその手をひらひらさせる。
すると愛奈は、素早く僕の手首を握りしめ、のしのしと歩行者天国に歩み入った。
「ちょっ、待ってよ愛奈! 愛奈ってば!」
※
それから僕たちは、群衆の中に分け入って様々な遊戯に興じた。
身体を動かすのが得意な愛奈は、ここでも自分の実力を遺憾なく発揮。輪投げ、射的、金魚すくいなどで、周囲が湧くような活躍を見せた。
僕はと言えば、我ながら『花より団子』状態だった。焼き鳥、タコ焼き、クレープなどをほいほいと平らげる。友人に『痩せの大食い』と言われているのは伊達ではない。
今日は珍しく、父がお小遣いを弾んでくれた。『余った分は返却する』という条件の下で、三千円が授与されている。これで『何も食べるな』という方が無理な話だ。
そんな楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、時刻は午後七時半を回っていた。
「愛奈、門限は?」
「えっ? あっ、そ、そうか」
綿飴をもふもふやっていた愛奈は、はっとして顔を上げた。それから吸い込むような勢いで、綿飴の残りを完食。そのままごくり、と飲み込む。
「優孝、こっち」
再び僕の手首を握り、愛奈は大股で歩み出す。屋台の並ぶ大通りを抜け、提灯と葉桜で彩られた歩道を折れて、神社の前にやって来た。突然、明度が下がったかのような錯覚に陥る。
「ど、どうしたんだよ、愛奈? 突然人をこんなところに連れ込んで……」
「大事な話があるの」
くるり、と優雅に半回転する愛奈。僕と向き合う。視線の高さは変わらないくらい。
「あのね、優孝」
「うん」
「あたし――」
と言いかけて、愛奈は俯いてしまった。
「大丈夫、愛奈? どこか具合でも?」
「ううん、違うの、大丈夫。つまり、あたしが言いたいのは、えっと……」
この期に及んで、気づいたことが一つ。
愛奈はここまで僕を引っ張って来た勢いのまま、『何か』を伝えようとしているのだ。『何か』の中身は皆目見当がつかないが、そこで言い淀んでしまった。惜しい。
あ、そう言えば、クラスメイトの誰かが僕を『朴念仁』と言っていたっけ。『他人の気持ちや考えていることを察してやれ』とも。
無理だ。他の人の考えていることなんて、分かるはずがないだろう。どうして僕が非難されなければいけないのか、さっぱり分からない。
という回想はさておき、今注意を払うべきは愛奈の言葉である。彼女は胸の前で両手を組み合わせ、俯いたまま深呼吸を繰り返している。
一緒に考えようとは思わないが、気にはなった。この腕白少女・豊崎愛奈が、何を伝えようとしているのか。そしてそれは、僕たちの今後にどんな影響を及ぼすのか。
淡々と、愛奈の言葉を待ち続ける。その時だった。
「あ、流れ星」
「ちょっと! あんた人の話を聞いて――」
しかし僕の方こそ、愛奈の文句に付き合っている場合ではなかった。
「ってこれ、こっちに向かって飛んできてないか?」
「え?」
「愛奈、危ない!」
僕は愛奈の両肩を掴み、わきへ投げ飛ばした。直後、
ガッキイイイイイイイン!
という威勢のいい音がして、僕は後方に倒れ込んだ。
「いててて……あれ、優孝? 優孝、どうしちゃったの? 優孝!」
何だこれは。身体が動かない。仕方がないので、何があったのかを脳内で分析してみる。すると、信じ難い一つの結論に至った。
どうやら僕は、流れ星の直撃を受けたらしい。それも眉間に。
「んっ……」
どうにか上半身を起こす僕。その時、視界の隅で何かが輝いた。
「何だ、これ?」
それは、ビー玉を一回り大きくしたような、完全な球体だった。虹色の光を内側から発している。
「あっ、もしもし? 友達が流れ星に当たって倒れたんです! 助けてください!」
あたりに響く愛奈の声。救急車でも呼ぶつもりなのだろうか。大袈裟だなあ。
そう思った矢先、
「愛奈、僕ならだいじょう……あれ?」
やはり僕は、気を失った。ビー玉状の球体を、ポケットの奥に突っ込んだままで。
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