第34話 変わるほどの衝撃

 ヴィエラ・パッツェ。

 パッツェ伯爵家の令嬢にして、ラックマーク王国の元近衛騎士団団長。

 そして現勇者パーティーのもう一人の戦士にして最強の盾。


 そんな彼女ではあるが、彼女は今険しい表情を浮かべていた。


「……何でこんな物が」


 彼女の前には風化した焦げ茶色の一冊の本があり、表紙には欠けてはいる物の中央の剣を覆う無数の手が施された謎の紋章があった。


「まさか……の原点がここに……?」


 ――お姉ちゃん! お姉ちゃん!


「くっ……!」


 脳内に響く過去の残響。

 幼い少女が自分に向かって抱きつこうとする光景。

 幸せな記憶だ。それなのに、まるで火が燃え移った紙のように燃やされていく。


 ――お、姉ちゃん……私、どうして……。


 無数に横たわる妹と弟の死体の中央に立っている一人の少女。

 気が付いた時には全て遅く、床を濡らす血の海とこの世のものとは思えない異臭がこの場に駆け付けた自分の鼻腔を貫く。


 ――……して、殺して、お姉ちゃん……。


「くっ……ハァ!!」


 手元にあった本を放り投げ、落下してくる本を抜刀した剣で何度も切り裂く。


「うぅ……あああああああっ!!!!」


 本だった物が塵になろうともヴィエラは何度も何もない空を切り裂いていく。まるでその場にいる幻影を切り裂くために、まるで八つ当たりのように剣を振り回す。


 ――そんな馬鹿な……最高傑作の筈だ!! 何故、どうして貴様はを殺せる!?


 忌々しい声が脳裏に響く。

 それと同時に今まで封じ込めていた『怒り』が漏れ出そうになる。


「はぁ……はぁ……全部、縁を切ったと思ったのに」


 それなのに、過去は彼女に追いつこうとしている。

 古代都市の入り口で遭遇したエセ神官といい、先程粉微塵に切り裂いた本といい、嫌な予感が彼女の脳裏に過ぎる。


「……はぁ、冷静になるのよヴィエラ。例え追いついてきても、前と同じように切り裂けばいい……今度は徹底的に、一つも残さず……!」


 と、そこまで口走った時点でまだ冷静になり切れていないと気付いた彼女は、急いで頭を振って先程浮かんだ考えをかき消した。


「あーもう! 本当に忌々しいわね! 今度会ったら何回でもぶん殴ってやるわ!」


 そう、先程の言葉は自分らしくない。

 粘つくような復讐心ではなく、もっとカラッとした伯爵令嬢らしくない苛つきこそが自分らしい言葉なのだ。剣を納め、「さて!」と新しく気分を入れ替えたヴィエラは、この地下遺跡での警戒任務の状況をわざとらしく思い出した。


「そう言えば、随分警戒して来たけど今の所敵らしい敵の気配はないわね」


 更なる下層へと続く道を強引に作り出して、多少先へ進んでも警戒するような敵はいなかった。ならば取り敢えずは安全だと思ってノエル達と合流しようと考えるヴィエラ。


 だがそんな彼女の耳に、突如として悲鳴が届いた。


「きゃあああああああ!!!」

「っ!? 子供の悲鳴!? ……あれ、でもどこか聞いた事があるような……」


 緊急事態であるにも関わらず、妙な既視感のせいで動きが鈍い。

 これは近衛騎士として失格だなと思いながら取り敢えず駆け出そうと思った矢先、遠目からキングがこちらに走ってくる姿が見えた。


「ヒヒーン!!」

「キング!? 一体何があったの!?」

「うぇえええん!! ゔぃえらぁあああ!!」

「!?」


 キングの背中から聞こえてくるこの妙に母性をくすぐるような声音を聞いたヴィエラは、その声を発した人物の姿を見てあまりの衝撃に硬直した。


「ゔぃえらぁ! ゔぃえらぁあ゛あ゛!!」

「……えっ、あ……ノンナ……ちゃん?」


 何とこの声を発した持ち主は勇者パーティーの一員であるノンナであった。

 彼女はキングの背から飛び降り、普段の彼女とは思えない程泣きながら、勢い良くヴィエラを抱き締めてきたのだ。


(え……? 本人? 他人の空似じゃないの? え?)


 普段は我が儘で調子の良い老人口調のクソガキという印象がノンナにはあった。

 だが今はどうだ。

 瞳を潤わせながら上目遣いで助けを求める彼女は、まるで見る者の母性を爆発させ、安全な所へと連れて養育したくなる程の可愛らしい幼女ではないか。


「え〜と……あの、どうしたの? ノンナちゃん?」

「あのね、あのね……! 腰巻が変態で、筋肉見せた男一枚なの!」

「……?」


 支離滅裂過ぎて理解が出来なかった。

 だが目の前の少女が必死に助けを求めて来たのだ。

 ならば騎士として黙っている訳にはいかず、何か答えなければならない。


「ごめんねノンナちゃん。私はエルフの言葉が分からないの」

「エルフをバカにするなーっ!!」

「ごめんねノンナちゃん! 別にそんなつもりは無かったの!」


 意外と自分が支離滅裂な言葉を発した事を自覚しているらしく、支離滅裂な言葉の羅列をエルフの言葉と認識してしまったヴィエラにツッコミを入れるノンナ。


「と、とにかくどうしたの? 一体何があったの?」


 キングは微妙そうな表情でノンナを見ていたが、ヴィエラがキングの方へと目を向くと彼はすぐに我に返って後方へと警戒し始める。


 その瞬間、ヴィエラの身に悍しい程の圧が襲い掛かった。


「……なるほどね」

「ひゃあ……!!」


 同じく圧を感じたノンナはすぐさまヴィエラの背後へと隠れ、警戒するように頭を少しだけ出す。ヴィエラはそんなノンナを守るように盾を構え、抜剣しこの場に降り立った存在に剣を向けた。


 そしてその存在の姿を見て、顔を引きつる。


「……本当に腰巻一枚じゃない」

「だって魔王様への忠誠の証だもん〜」


 出で立ちとしては先ず女性として目も向けたくない有様。

 だが先ず間違いなく、周囲を重くさせる悍しい圧力は魔人のものだ。魔人を殺す手段は持っていないが、ノエルとサラがやって来るまで時間を稼ぐしかない。


「……全裸に腰巻一枚とかそちらの忠誠の証っていうのはどうなっているのよ」

「ん〜まぁ僕はね、束縛されるのは嫌いなんだよね〜。それに衣類だってそう。僕の体を縛り付ける服も嫌い。そんな僕が魔王様のために腰巻一枚だけでも着るっていうのは僕なりの忠誠の証ってわけ☆」

「随分と下品な証ね……でも」


 ヴィエラは後ろに隠れている幼子の存在を思い出しながら剣を握る手に力を込める。


「こんな小さな子に嫌なものを見せるんじゃないわよ! 騎士として貴方の罪を罰するわ!」

「ヘ〜? どんな罪か僕ちん知りたいなぁ〜?」

「公然わいせつ罪並びに存在罪として……って!? 無駄に踊ってるんじゃないわよ! 不快なモノが見えるでしょうが!!」


 一挙一動が見る者の神経を逆撫でする相手に頭痛がして来たヴィエラ。彼女はもしやこれも新手の魔術の影響なのではないかと思い始める。


「魔術じゃありませ〜ん。これは単なる僕の趣味で〜す」

「尚更質悪いわね!?」


 そう言って、ヴィエラは違和感を抱いた。


(……あれ? 口にしてないのにどうして魔術について考えている事が分かったの……?)

「あとさぁ……そんなに僕を責めなくて良いじゃん? 魔人にだって心はありまぁす!!」


 その発言に違和感を整理しようとした思考が吹き飛び、ヴィエラは目の前の魔人に対して口調を荒げるように反論した。


「何をふざけた事を言っているの!? アンタのせいであのクソ生意味でお調子者の50歳幼女が幼児退行してこんな可愛らしい状態になっているのよ! アンタが何かしたに決まってるじゃない!」

「ヴィエラ?」


 内心そんな事を思っていたのかとノンナはショックを受けるような声を出す。

 だが次の魔人の言葉で、この場の時間が止まった。




「でもそれ幼児退行じゃなくてびっくりして素に戻ってるだけっすよ」




「……え?」

「え?」


 ヴィエラと魔人が互いに首を傾げる。

 するとヴィエラの背後から「あっ」と何かに気付いた声が漏れた。


「……ノンナちゃん?」

「……な、何じゃヴィエラ嬢よ? ほれ魔人の前だぞこっちを見るんじゃない」


 顔を赤くして必死にヴィエラの目から逸らそうとするノンナ。


「素なの?」

「す、素じゃないぞ! ただ単にあの変態を見て動揺しただけじゃ!」

「やっぱり素じゃないの」

「別にお祖父様に憧れてこういう口調になったわけじゃないぞ! これがワシの本来の口調じゃ!! 本当じゃぞ!!」

「もう遅いわよ」


 ぐぅううううとまるで獣のように唸りを上げるノンナ。

 ノンナ自身あのような露出狂の変態に出くわす事など初めての経験のため、ついうっかり本来の口調と甘えたがりで気弱な性格が出て来てしまったのだ。


「ねぇ終わったー? 似非合法幼女の掘り下げとか後からでも出来るでしょ〜?」

「こっちもこっちで緊張感がないわね……」


 だが腐っても魔人の一体だ。

 現に隙を探そうにも、隙らしい隙が見当たらなく、もしあったとしても罠である予感がヴィエラの動きを鈍くする。

 そんな彼女の様子を見た魔人は笑みを浮かべて自分を誇示するように両腕を広げる。


「では自己紹介と行こうか『』さん。僕の名前はザイア。偉大なる魔王様の眷属にして解放の魔人、ザイア」


 ザイアの自己紹介にヴィエラは目を細める。

 相手の名前に興味はないが、それでも自己紹介で多少の情報をくれるのはありがたい。これから来る勇者達のために、今ここで戦い相手の能力を把握しなければならないからだ。


(……現状分かっているのは、どうやら相手はこちらの考えを読める事)


 そして、解放の魔人という言葉。

 誇示するようにその二つ名を自称するという事は、恐らくその単語に何かしらの意味がある筈だ。それが例えどうでも良いような物であろうとも、意識の片隅に置いた方がいいだろう。


「……」

「あっそうだ」

「?」

「僕はこの後来る勇者と聖女にもう一回自己紹介しないと行けないから、まだ覚えなくても良いよ?」

「……随分舐めた事を言ってくれるじゃないの」


 まるでお前は眼中にないと言われたようなものである。

 確かにヴィエラは勇者や聖女ではない。だがそれでも勇者パーティーの一員で、近衛騎士団の団長を務めていた熟練の戦士だ。


 頭を冷静に、だが心は熱く。

 先ずはその油断し切った顔を叩き切る。

 そう思い、ヴィエラは瞬時に相手の懐へと飛び掛かった。


 だが。


 結論から言えばあと数分いや、あと数秒待っていれば結末は変わったかもしれない。

 しかしヴィエラはそれを知る術はなく、だからこそもう遅かった。




 ◇




「気を付けて!! もうすぐ接敵するよ!!」

「了解!!」


 サラが魔人の反応を感知してから、ノエルと共にヴィエラ達の元へと駆け付けたのに掛かった時間は約三分。それほど長い時間ではなく、一部の戦闘を除きまだ間に合う時間の筈だ。


「ヴィエラ! ノンナ! キング! ……!?」

「今から加勢する……ね……?」


 辿り着いた二人は目の前の光景に目を見開く。


「おーっとお早いご到着で〜。まぁ早さで言えば僕の方が早かったけどね!」


 魔人の言葉に二人は反応出来ない。

 何故ならそこには。


「ブルルル……ッ!」


 ボロボロになりながらも懸命に『何か』を守ろうと立ちはだかるキング。

 彼の後ろを見れば、二人の人影が見えた。


「くっ……!」


 痛みによって苦悶の表情を浮かべ、片足をついているノンナ。

 そしてそのノンナの近くには。


「……ヴィエラ、さん?」

「そんな……」


 騎士の鎧はボロボロに砕かれており、あれだけ頼もしかった盾にヒビが刻まれていた。


「……」


 地面に倒れ伏し、何も反応しないヴィエラが、そこにいたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る