第7話 代入(Substitution)


「お断りします。

 誰かを身代わりにして生き延びたと思いながら、この先を生きていくのは嫌」

 今度の返事も迷いなく、すぐに返された。


「身代わりじゃない。

 どうせ死ぬんだ。俺の生命を渡すんじゃない。ただ、捨てどころとタイミングを合わせるだけだ。

 そこのどこに問題がある?」

 俺はさらにそう押した。


 美子さんは、なにも言わず、唇をきゅっと引き締めて俺を睨んだ。

 その手も固く握りしめられている。

 でも、その姿すらもとても綺麗だった。


 俺はその姿を見ながら思う。

 償いで死ぬことには、達成感も満足感もない。ただ虚無があるだけだ。

 でも、この娘のための死という意義が持てるのであれば、その2つが得られる。償いという意味を見失う気はないけれど、それでも俺は嬉しい。


「120日後の場所……」

 と俺は言いかけて、俺は思い留まった。

 美子さんが、それを俺に話すはずなんかないって思ったからだ。

 彼女が話さない以上、莉絵さんだって話さないだろう。

 ここで、「言え」「嫌だ」の言い争いをしてもなんにもならない、それより、すでに2人の身元の確定ができた。それができていれば、ネット上での情報収集も含めてできることはたくさんある。

 この2人にいたずらにガードをあげさせるより、あっさり引き下がって油断してもらう方がいい。


 よし。

 そう決心してしまえば、ここで時間を引き伸ばす意味はない。

 この場は撤収だ。

 120日後、俺は美子さんと土壇場ですり替わる。

 そこで俺は、自分のしたことの償いをする。

 それまで、精一杯生きよう。

 56年もの灰色の人生のかわりに、120日の前向きな人生を手に入れられたと思えば、むしろありがたいくらいだ。


「立ち入った話をしてしまって、ごめんなさい。

 俺、帰ります。

 本当にごめんなさい」

 俺は、そう言い終わる前から腰を浮かせて、逃げる体勢を整えた。


「ちょっと待ちなさ……」

 莉絵さんの言葉を振り切って、俺は振り返らず歩き出した。


 彼女たちが本気で俺を止めようとするならば、先ほどの鉛筆を切断した力を俺に対して使うという可能性はあった。

 でも、俺はその可能性は果てしなく低いと判断していた。


 簡単なことだ。

 俺の足をもつれさせたって、俺は這ってでもこの場から離れる。

 俺を本気で止めようとしたら、もっと生命機能に直結する場所に力を使う必要がある。

 あの鉛筆をへし折る荒々しい力で、俺の血管なりに力を加えたら、血流を止めて貧血を起こさせようとしても、引き千切ってしまうだろう。そうしたら、俺は即死だ。いくらなんでも、彼女たちにそこまでの覚悟はないだろう。

 つまり、パワーとしては素晴らしいけど、精妙に使えなければ、事故が起きても構わないという覚悟がなければ、能力として実用にはならないんだ。


 2人が席から立ったのが視界の隅に映ったけど、俺は構わずエスカレータを駆け下りていた。

 120日後というのが、大雑把なものかもしれないので、そうだな、117日後くらいから、俺は彼女たちのストーカーとなって、に備えよう。ま、誤差はプラスマイナス3日として、6日間のことだ。

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