菊の花冠を君の町へ

七種夏生

前編

 通学路、振り返るとそこにいた。

 迷子の女の子が。


「おうちにつれていって」


 艶やかな長い黒髪の少女は薄汚れた灰色の浴衣を着ており、座敷童を彷彿させた。八歳くらいの、日本人形のような女の子。

 九月初頭なのにお祭りでもあるのかなどの疑念はあるがそれよりも、高校一年生の僕でも見惚れるほど整った顔立ち、美しい少女の姿に、野暮な質問をすることは出来なかった。


「おうち?」


 三十センチ下にある女の子の顔を見下ろし、僕はスマホを取り出して時間をチェックする。

 八時七分。チャイムが鳴るまで残り八分、ここから高校まで歩いて五分。


「っ〜……いいよ、交番に行こうか」


 どうせ間に合わないなら言い訳として利用させてもらおう。そんな軽い気持ちで、ついて行ってしまった。



 警察には行かない、と少女は言った。

 訳あり家出少女かもしれない。最近よくある、虐待や親の再婚などで家に帰りたくないとかそんなところだろう。子どもは大人が思っているよりずっと、敏感で繊細な生き物なのだ。

 聞き出せた情報は、という名前だけ。住所や親に関して、彼女は頑なに口を閉ざした。今年で九歳になる歳の離れた妹がいる僕だが、ハナオは妹より随分落ち着いていて、子どもらしくなかった。


「お花、かってほしいんだけど」

「花? え?」


 駅前の商店街を歩いている時、ハナオがポツリと呟いた。彼女の目線の先には、個人経営の小さな花屋。


「なんで花?」

「お供えしたいから」

「おそなえ? 誰に?」

「みんなに」


 ハナオの表情は変わらない、澄ました顔で花屋の入口を見つめている。

 訳ありだということは理解していた。だけど助けてあげたいという気持ちが先行して、ここまでついて来たけれど。


「君、迷子なんだよね?」


 さすがに不審に思って尋ねると、ハナオが小さくため息をついた。


「かってくれないの?」

「花と迷子は関係ないよね?」

「……そっか、残念」


 もう一度ため息をついたハナオが、浴衣の袖からピンク色のハンカチを取り出した。そこに描かれた兎の模様を僕に見せつける。


「これ、大事なものでしょ?」

「えっ、ちょ……」

「返して欲しかったら、言うこと聞いてくれる?」


 急に大人びた口調、表情を見せるハナオ。慌ててズボンのポケットを触るが、そこに入れていたはずのハンカチは見つからなかった。

 そりゃそうだ。だってそれは今、ハナオの手の中にあるんだから。


「可愛いハンカチ持ってるね、お兄さん」

「そ、それは、妹にもらったやつで!」

「妹?」

「君と同じ歳くらいで……そのハンカチは去年の誕生日に妹がお小遣い注ぎ込んで買ってくれたものなんだ」

「へぇ。だから私に対して警戒心なく優しくしてくれたのね」

「か、返して!」

「条件がある、って言ったでしょ?」


 先ほどまでのあどけない幼女はどこへやら。

 にやりと微笑んだハナオが、背中の後ろにハンカチを隠した。その仕草、言葉づかいは明らかに、八歳の女の子のそれではない。


「菊の花を五本。白を一本入れて、残り四本は何色でもいい」

「買うとは言ってないだろ!」

「ハンカチ、いいの?」

「それは返して欲しいけど! ていうか、いつ盗ったの?」

「最初に振り返った時。私、後ろにいたでしょ?」

「うそっ、気付かなかった! そっちの才能あるよ、君! ていうか迷子は?」

「煩い人だね、お兄さん」


 信じられない。

 わけがわからない。

 頭を抱える僕に、ハナオがにんまりと微笑んだ。年相応とは程遠い見事な作り笑顔。


「菊の花、五本」

「……支払いは?」

「千円札が四枚入ってたけど、それで足りると思うよ?」


 ごそごそと袖をあさるハナオが取り出したのは、ハンカチと一緒にズボンのポケットに入れていた僕の折畳財布。


「中身には手を出してないから安心して。そっちには私、興味ないから」


 笑みを浮かべるハナオから財布を受け取り、花屋へと向かった。このまま逃げようかと思ったがハンカチが盗られているので諦めた。

 花屋の硝子ドアを開ける時に違和感を感じて振り返ったが、ハナオは変わらずそこにいて僕を見つめていた。



 白一本と黄色、淡い黄色と濃い紫、淡いピンク。カラフルな五本の菊を簡素に包んでもらい花屋を出ると、外で待っていたハナオがにこっと微笑んだ。


「千二百円かかりました」

「お金足りてよかったね、ありがとう」


 ありがとうじゃねーよ。

 その言葉は飲み込んだ。

 ハンカチをぴらぴらと僕に見せつけるハナオが、それを袖の中に収めて商店街の先を見つめる。


「私の名前の由来、わかる?」


 ハナオの視線の先にはJRの駅がある。僕が先ほど電車を降りた、高校の最寄駅だ。


「ここから三駅行った田舎に、花緒町ってとこがあるんだけど、知ってる?」

「花緒? えっ、花緒地区?」


 驚き慄く僕を見て、ハナオが不思議そうに首を傾げた。花緒地区は地元で有名な、恐ろしい噂がある場所だ。


「花緒地区って言ったら、人喰い鬼が住んでる場所でしょ?」

「人喰い鬼?」

「大昔に災害があって町が一つ潰れて、そこに鬼が住み着いたって伝説があるって……」

「なにその話」


 ハナオの顔が歪んだ。怪訝そうに、嫌らしいものを見つめるような視線を僕に向ける。


「そんなこと言われてるの?」

「知らないの? 妹の小学校でも有名な話だよ?」

「それ、いつから?」

「いつ? えぇー……」

「五年、いや六年前はそんなこと言われてなかったでしょ?」

「六年前なら僕は小学生……確かに、僕がこの話聞いたの、中学の時かも」

「今からその花緒地区に行きます」


 スタスタと歩みを進めるハナオの後を、僕は慌てて追いかける。

「なんで?」「やめよう?」

 抵抗したがその都度ハンカチを見せつけられ、従うしかなかった。



 駅の改札でカードをかざす。ピッという読み取りの電子音とともに、僕とハナオは改札を抜ける。

 駅員さんはなにも言わない。


「……君はお金払わなくていいの? 切符は?」

 

 平然と僕の後についてくるハナオに向き直ると、彼女はまた無表情に戻り、じっと僕を見つめた。


「そろそろ、わかってるでしょ? 私の姿は貴方以外に見えていない」


 駅のホームで向かい合う僕たちの傍を、快速列車が通り過ぎた。

 ガタンガタンという走行音、吹き抜ける風がハナオの髪を撫でる。


「お墓参りを、して欲しいの」


 電車が通り過ぎた後で、ハナオの凛とした鈴音の声が駅のホームに響いた。

 僕は息を吸い込み、吐き出すと同時にハナオを見つめる。


「それは君のお墓? それとも君が殺した人たちの?」


 ハナオは答えず、じっと僕を見返した。


「僕は君に喰われるのかな?」


 やはり返答は得られず、大袈裟なブレーキ音を響かせながら僕たちの乗る電車がホームに到着した。

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