第5話 クロックムッシュとパンケーキ

週明けは何かと忙しく、書類の整理や定例会機、各店舗の訪問。予算案の打ち合わせ等々、時間がいくらあっても足らないくらいだ。

1日が48時間だったらなと思う。

親父の口癖だったけど、まさか自分も同じ考えをする様になるなんて驚きだ。

イタリアンレストランを全国に展開する僕の会社は、今流行りのブラック企業で、けれど賃金はそれなりに貰っている。

お金の為に働いているのか、自分の為に働いているのかは僕には判らなかった。


18時に仕事を終えてマノンに向かうと、すでに彼女はカウンターの隅の席に座っていた。

いつものカフェラテといつもの飾り気のない化粧で、笑いながら手を振っている。

だけどその表情は何処か無理がある。

僕は彼女の隣に座って炭火珈琲を注文した。


「クロックムッシュ食べる?」


と僕が言うと、彼女は首を横に振った。


「じゃあ、軽いものとかにしようか? パンケーキなんかどお?」


僕の提案に、彼女は笑顔で頷いた。

本題に入るまでの時間は気まずくて、でもその雰囲気で彼女の言いたい事は察しがついた。

『別れ話』を切り出す勇気がないのだろう。

彼女はパンケーキをちびちび食べながら、仕事の話をしている。

今までにそんな話なんてした事もなかったから、僕は彼女を気の毒に思ってこう言った。


「ほんとはもっと大事な話をしたいんでしょ?」


と。

彼女はうつむいて、しばらくしてから呟いた。


「清人はなんでも出来ちゃうから、、、」


「うん、よく言われる、、、」


「ひとりでなんでも出来ちゃうから、、、」


「そうでもないんだけどね、、、」


顔を上げた彼女の瞳が潤んでいた。

僕も別れを考えていた。

だけど、切り出すタイミングが判らなかった。

彼女の真っ直ぐな瞳が 『卑怯者』と僕を罵っている。だけど怒りや哀しみはなくて、淡々と聞いていられる自分が『冷酷なニンゲン』に成り下がってしまった事実に虚しくなってしまった。

彼女は言った。


「あたしなんていなくても大丈夫だよね?」


その真っ赤な鼻頭。

潤んだ瞳。

震える唇が僕を責めている。


「好きな人とか出来たの?」


僕の問いに、彼女は寂しそうに笑った。

どれくらいぶりにこの喫茶店へ来たんだろう。

付き合い当初は毎日の様に訪れて、2人で笑いながらクロックムッシュを食べていた。

あの頃は時間も心の余裕あった。

いつからこうなってしまったんだろう。

彼女は僕を知らない。

ひとりで何でも出来る訳がない。

僕だって無理していたんだ。

淋しくてやり切れない日も、人肌恋しくなる夜もあった。だけどそんな事は言えない。

たくさんの想いが駆け巡る。

僕の隣の空いた席に、彼女の痕跡はもはや見つからない。

探し出そうとしても、その手は空を切るばかりだ。

その時、ふと感じた。


『僕だって、彼女の事を知らなかったのかも知れない』


ノラジョーンズの歌声が、ひとりぼっちにされた空間に響いている。

パンケーキの味は今の僕には甘過ぎる。

そんな気がした。

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