84 欠けた牙

 フラグ、という言葉がある。

 具体的に言うと「俺、この戦争が終わったら結婚するんだ」とか言った人物が、次の瞬間には死んでいるというものである。

 もちろん物語上の演出であって、そんなことが実際にあってもそれは偶然でしかない。

 そのフラグの中の一つに、こちらが渾身の一撃の攻撃を加えた後、敵の姿が土煙などで見えなくなる、という場合がある。

 その時に「やったか」などと言ってしまうと、たいがいはやってないのである。

 お約束に忠実な一行は、内心では期待しながらも、それを口に出したりはしなかった。

「駄目だな、ほとんど無傷だ」

 むしろアルスはそんなことまで言ってしまった。



 その姿を見た時、ゲルマンはほとんどの魔力を使い切り、逃走の準備に入っていた。

 神竜のブレスである。さすがに少しは痛かっただろう。その報復を考えると、今すぐにでもこの場から立ち去るのが正しい。

「すまん。健闘を祈る」

 短くそう言って、彼は転移していった。

「無責任な……。怒ったあれを相手に、どうやって戦えと……」

 セリナは呟くが、すぐに頭を切り替える。

 身にまとっていた衣服の類にはかなりの損傷があるが、ネクロ自身の肉体には大きな傷は見かけられない。せいぜい髪の毛が焦げたくらいか。

 そしてその目の中には、それまでとは全く違う怒りの炎が揺らめいていた。

「貴様―――!」

 だが見回す範囲にゲルマンはいない。おそらく他の大陸にでも転移したのだろう。

 だがネクロが腕を振り、空間を掴むようにして引きずると、足をつかまれたゲルマンの姿が空中から現れる。

「転移しても無理なのか」

 半ば呆れつつも、接近したセリナはゲルマンの足を切断した。悲鳴を上げているが、そのまま放っておくと殺されるだけだったので、正しい判断である。



 ネクロの狙いはゲルマンを助けたセリナに向けられた。その拳が音速を超え、亜光速にまで加速する。

 大地が――いや、大陸が割れた。

 大気中の成分はプラズマ化すらせず、ただ消滅した。

 空間が沸騰し、爆裂し、時間の流れが歪んだ。

 前動作から直撃の軌道を見切っていたセリナはかわしたが、それでも左半身が消滅した。

 狙ってもいない読者サービスである。グロい内臓に興奮する人間もいるだろう。



 普通なら……いや、普通でなくても死ぬほどのダメージだが、セリナは肉体を再生させる。とりあえず即死さえしなければ、セラが一瞬で治癒してくれる。

 半裸の状態であるが、わざわざ鎧を着直す時間がもったいない。そもそも役に立たないのだ。

 戦線は膠着している。足を切断したゲルマンはプルの手によってセラの傍まで投げ飛ばされ、すぐに再生している。

 しかし手詰まりだった。



 千日手に近い状態である。しかし状況は、圧倒的にこちらに不利である。

 こちらの攻撃は、ほとんど相手の防御力を貫けない。大して相手の攻撃は、こちらに致命傷を与えてくる。

 こちらの傷もすぐに回復し、即死しなければ大丈夫とは言っても、わずかなミスで即死の危険はある。

 何より無軌道に己の力を振るうだけのネクロに対して、セリナたちは集中力を限界まで高めて戦っている。

 もはや時間の問題、とさえ言える。何か有利な点を考えるとすれば、こちらにはあちらと違って、わずかながら援軍の期待があるということか。



「師匠や先生はどこにいるんですか?」

 呼吸を整えながらセリナはアルスに尋ねる。隣でやはり荒く呼吸するアルスは、不機嫌な声で応じた。

「神竜はあいつらとは戦えない。もし殺され――滅ぼされたら、世界に重大な問題が起きるからだ。古竜程度なら出してくれるだろうが、あれを相手には意味がない」

 古竜の力は絶大だが、人種と同じ程度の体格をして、人種をはるかに凌駕するネクロを相手にしては、小回りが利かない分むしろ不利であろう。

 そもそも古竜も生まれつき強い存在であって、戦闘の技術を学んでいるわけではない。

 それは神竜も同様で、唯一の例外がレイアナである。イリーナとラヴェルナも多少の心得はあるが。



「こんな状況だと、ジークフェッドでもいいから戦力が欲しいですね。神々の援護はないんですか?」

「ないな。神々は臆病者だ。だが実は兵站では援護してくれている。悪しき神々も含めてな」

 その話は初耳である。それにしても、悪しき神々までが協力してくれているとは。

 この状況がどれだけ絶望的か、それが逆に証明してくれている。



「しかしまあ、時間稼ぎはどうにか終了したみたいだぞ」

 アルスの言葉に、セリナは首を傾げた。

 ネクロとの戦いは、突発的なものであったにしろ、どちらかが死ぬまで続く類のものだったはずだ。しかしアルスは時間稼ぎと言う。

 アルスが指を空に向ける。そこにあったのは次元の断層とも言うべき黒い罅割れであったが、それが徐々に小さくなっている。

 アルスの動作でネクロもそれに気付いたようであった。顔を憎憎しげに歪めながらも、宙に浮いてその穴の中へ進む。



 なるほど、これが時間稼ぎだったのか。

 セリナが思うに、これはこの場にいない神竜の力によるものだろう。通路が閉ざされてしまう前に、ネクロは撤退せざるをえない。

「運のいいことだ。しかし次があれば、こうはいかん」

 世界間を渡る穴の手前で、ネクロは魔力を練る。

「これは置き土産だ」

 高エネルギー反応。間違いなく水爆以上、流星雨よりもはるかに上の威力はある。

「さらば」

 そして去り際に、その力を解放した。







 灼熱の光が、大地を照らした。

 砂も岩も蒸発していき、その爆風は大地を削りながら、はるか彼方の山塊まで届く。そしてその山をも砕いて石や砂に変えていく。

 セリナたちは一箇所にかたまり、渾身の力で結界を張っていた。

 結界の外はおそらく数百万度を超えている。そんなエネルギーが、竜牙大陸の南方を削り取っていった。



 やがてそれは収まる。

 人種が呼吸できないような大気が、まだ残っている。沸騰する大地の中心で、一行は爆発の影響が消えるのを待っていた。

 人間が聖地と崇め、他種族を排斥していた竜牙大陸南部、アセロア地方。

 この日、その土地はまさに、生物の存在しない不毛の大地ですらなく、存在自体が消滅した。







「終わった……。今回はマジで死ぬかと思った……」

 周囲に海水が津波のように流れ込んでくる中、地面に座り込み、アルスがうめく。

 勇者としての魔王との戦い、大魔王としての黒猫との戦い、神将たちとの戦いなど、何度も強敵を相手にしてはきていたが、今回ほど勝ち筋の見えない戦いはなかった。

 敵を向こうの世界に撃退したのであるから、勝ちは勝ちだ。だが戦略的に見れば、問題しか残らない戦いであった。

「まあ、人間の聖地を消し去るという目的は達成しましたね」

 同じく座り込んでいるセリナが言う。限界突破を発動し続けていたせいで、両腕の筋肉は何箇所も断裂していた。

「ここなあ……。完全に不毛の大地になったな」

 ネクロの最後の一撃で、周辺数十メートルの範囲を除き、その周囲は海抜以下の土地へと変わっていた。。



 ちなみに撤退していった魔王軍も、あの一撃の余波だけでかなりの数を減らしてしまっていた。

 今後武力が必要とする局面は少なくなったろうが、それでも軍事力が低下したのは問題でしかない。

「しかし物理的に聖地が消滅するとは、その発想はなかった」

 アルスが呆れているが、大陸を消し飛ばす程度のことは、神竜でも出来るのである。

「何百万人の単位で人が死んだでしょうね」

 少なくともセリナの地図によれば、あの一撃から逃げ延びたのはここにいる数名の仲間と、退却が間に合った魔王軍の数も、多くはない。

 この周辺に比べればあの爆発の威力は低いので、将軍たちが懸命に結界を張ったのか、絶望的な破綻とはなっていないが。



 とりあえず、竜牙大陸の動乱は終結した。

 争うべき土地自体がなくなってしまえば、人間もそれに固執することは出来なくなる。

 故郷と呼べるような場所を失ってしまったのは気の毒だが、アセロア地方にいてそのまま消滅した人々よりはマシだろう。

「……こんな極端な手段でなくても、神竜に頼んでここら一帯を魔境にすれば、戦争はなくなった気がする……」

 ミラが今更なことを言っているが、確かにその通りであるかもしれない。

「人間を舐めたらいかんよ。狂信者というのはその目的のためなら、どんな深い魔境でも切り拓いていくもんだ」

 しみじみとした口調でアルスは言って、セリナもまた頷いた。二人の頭にあるのは、地球での開拓史であろう。



 大波が襲ってくる前に、一行は転移をしてニホン列島に移動した。

 地震や大波による被害で数万人は死ぬだろうが、そのあたりの感覚は全員が麻痺していたし、何より疲れきっていた。



 体を何度も欠損したりはしたが、結局のところ致命的な傷が残った者はいない。

「かなり手加減されてたからな。運が良かったというか、相手が甘かったというか」

 アルスのそんな感想に詳しい話を聞くと、彼やレイアナは今回と同等の敵を相手に、異空間を作って戦ったらしい。

 その時の敵は、創り上げた惑星規模の世界を軽く破壊し、ネアースに侵攻する危険があったため、異世界をいくつも転移して撒いたそうな。

 神帝という称号を持つ敵は、それほどの力があるのだ。



 勝てない、というのが全員が出した結論だった。

 おそらく神竜全員と、人種の最強レベル、そして古竜の大半を動員して、ようやく倒せるかもしれないという存在らしい。

 邪神帝ジンの言葉によると、勇者の素質を持つ人種が数万年から数億年の修行をして、ようやく並び立つことが出来るということだそうな。

「まあ、一応切り札はあるんだけどな」

 アルスはそう言ったが、その切り札は一度きりしか使えない上に、代償があまりにも大きいらしい。







「それで、これからどうするんです?」

 セリナはそう問うた。あの怪物どもがネアースに侵攻してくるなら、その相手をするのは自分たちのような強者の中でも、さらに上澄みの一部となるだろう。

 それまでは訓練をして、少しでもレベルを上げるべきだろう。もはや上位の神々でも倒さない限り、劇的なレベルアップは期待出来ないだろうが。

 セリナの感じた限りでは、単純なフィジカルを鍛えるよりは、技量を鍛えたほうが、まだしも役に立つだろう。魔法に関してもまだ研鑽の余地はある。



「そうだねえ。竜爪大陸の悪魔どもを狩って、レベルの底上げをするのは第一として」

 高所から眺めるアルスの視線の先には、巨大な波が沿岸を飲み込もうとしていた。

「とりあえずこの災害をどうにかしないとねえ」

 そして一行は自然環境を変えてしまう猛威の前に、残った力を搾り出すこととなった。

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