第三部 幻想崩壊 神帝降臨編

82 降臨

 戦争が終わった。



 おそらく全ての魔王軍将兵が、それを感じていただろう。

 もちろん他の地方のわずかばかりの残敵はいる。それの掃討もそれなりに大変な仕事になるだろう。

 だが、戦争と呼べるだけの戦いは終わったのだ。組織だった敵勢力は、もはや存在しない。



 流星雨によって作られた、生命の存在しない灼熱の大地。そこは熱を持って、靴の底を溶かす。

「……やりすぎたな」

 何も後悔してないようなプルの言葉に、セリナも頷く。



 流星雨の破壊力は絶大であった。人間や虫、植物に至るまで、全ての生物が消滅したと言っていい。

 さすがは水爆以上の攻撃力を誇る魔法である。しかもそれを連続で。

 空間はまだ魔力の残りの影響で揺らぎ、時間の流れさえも一定ではない。

 これほどの威力は明らかにオーバーキルであったが、見せしめという点では間違いなく効果的だったろう。



 異常な空間を前に、魔王軍の精鋭たちも、冷や汗をかかざるをえない。将軍たちでさえ、これほどの魔法の使い手はそうそう見るものではないのだ。

 油断をしないセリナやシズも、吐息をついてわずかな安堵感に浸った。







 だからそれに気が付いたのは、ライザだけであった。







「!?」







 そして世界の各地で、様々な強者が気付いた。







 流星雨の過剰な破壊力で、空間が歪んでいた。それを待っていた者がいた。

 蒸気にかすむ青空に、黒い裂け目が走った。

 それはすぐに大きさを増し。空の青を砕き、巨大な黒い空間を出現させた。



 ――転移。



 時空魔法の兆候である。それは分かるが、こんな現象はセリナの知る限りでは一度きり。

「逃げて!」

 ライザの声が風に乗って、魔王軍の全軍に響き渡る。しかし彼女がそんな叫びを上げることがどれだけ異常か知らない者たちは、正体不明の出来事に対処できなかった。



 黒い裂け目をさらに大きく拡張しつつ、一人の男が降りてきた。

 いや、男と言うべきなのか。

 それは少なくとも、ネアースで確認される人種ではなかった。

 緑色の皮膚はゴブリンを思わせるが、矮小な体躯ではない。両目の上にさらに、一対の複眼があった。

 そしてその男が周囲を睥睨した瞬間――視界に入った魔王軍の兵の過半数が死亡した。



 即死眼。強力な能力ではあるが、よほど力量に差がない限り、発動しないものでもある。

 しかし男の即死眼は数万の兵を死に導き、また数万の兵の動きを止めた。



(やばい)

「な! 何が起こってる!」

 さすがに将軍たちは個人の戦闘力にも優れているため、即死眼の能力で倒れた者はいないようだ。しかし状況を把握できていない。

「即死眼の力だ! 将兵はただちに撤退せよ!」

 完全な逸脱行為であるが、セリナは風に乗せてそう叫んだ。異常事態に対して、とにかく味方の被害を避けなければいけない。

「セラ、蘇生は」

「無理」

 死亡した兵たちは、一見して何ら傷を負っていないように見える。だがセラには分かる。

 既に兵たちの魂は、肉体から遠く離れて輪廻の輪に入ってしまっている。



 セリナの致死感知が、これまでに感じたどの事態よりも深刻な警鐘を鳴らしている。横ではシズが既に抜いた刀をついついと動かしていた。

 他の四人の仲間も、即死眼で動きを封じられたりダメージを受けたりはしていない。だが精神的なショックは受けているようだった。



「なるほど、ここが新しい世界か」

 大地に降り立った男が言った。どこか満足そうな、それでいて蔑むような、視線と声音。

 セリナの竜眼では男のステータスは見えない。横を見てプルと目が合うが、彼女も同じく首を振るだけだった。

 こいつは、あれだ。

 レイアナの前に現れた、第三の勇者。あれと同じような存在だ。



 判断がまとまらないまま、セリナも刀を抜いた。ミラは鉤爪を出し、ライザとセラは後ろに下がる。

 この状況で戦闘するという判断を持ったのはセリナたちだけであった。将軍たちの役目は他にある。

 せっかく温存できた将兵が、数万規模で失われた。戦場において強者である個人が軍を蹂躙するということはあるが、これはそんなレベルの話ではない。



 ――勝てるのか?



 セリナの致死感知は警鐘を鳴らし続けている。神竜と戦うのと同じぐらいに、この戦場に降り立った男は常軌を逸している。

 おそらくは、異世界からの侵入者。

 ジンという名前の、三人目の勇者。あれと同じような存在感がある。

 だがレイアナは言っていた。この超越者たちにも弱点はあると。



「私とシズで接近戦を行う。他の皆は、それをフォローして」

「なんかわし、死にそうなんじゃけど」

 シズは苦笑したが、刀を持つ手に震えはない。

 この世界では接近戦に超越した技能を持つ二人。それに対して四人がフォローをする。

 だが、それでも足りない。



「間に合ったな!」

 歪んだ空間をさらに歪ませ、人影が三つセリナたちの前に現れる。

「ゲルマン!」

「まだ始まってなかったか。ギリギリか?」

 そしてゲルマンのさらに前に立つのは、黒髪の青年と男装の少女。

 直接会ったことのある人物は少ないだろうが、この世界において最も有名な二人。

 即ち、二人の大魔王。

 アルスとフェルナ。二人の大魔王が援軍として現れた。







 アルス・ガーハルトは初代の大魔王にして、事実上この世界を統治する存在である。

 フェルナはその後継者であるが、支配下にあるのはガーハルト帝国と各地の魔王でしかない。

 しかしどちらにしろ、この世界のトップである。そんな二人が現れるという状況は、目の前の敵が異常であることをさらに裏付けてくれていた。

「魔法はほとんど効果はない。魔法使いは前衛に付与をかけることを前提に動け。あるいは敵の態勢を崩せ」

 そう言ったアルスは、一歩前に出る。その手には長剣が握られている。聖剣とも呼ばれる、彼が前魔王を討伐した神器とも言えるものだ。

 青い鎧まで完全武装のアルスだったが、油断は出来るはずもない。切り札である魔王機械神はまだ修復中である。

 この目の前の化物に対しては、はなはだ心もとない武装である。



 そんな彼の心中を知らず、セリナたちはわずかに緩んでいた。

 大魔王アルス・ガーハルトの強さを知らない者はいない。事実彼は圧倒的強者であり、ネアースの人種の中では最強とも言える。

「前衛二人、三人がかりでやるぞ」

 その言葉に、セリナとシズも無言で頷く。戦闘に一対一など求めはしない。ただただ勝利を目的とする。



 シズが独特の歩法で間合いを詰め、異形の男に刀を振り下ろす。

 烈火の装備は双剣だが、両の肩から袈裟懸けにという、型の正道を外した攻撃。

 男は反応することもなく、その斬撃を受けた。

「そういえば、まだ名乗っていなかったな」

 シズの攻撃は、かわされることも防がれることもなかった。

 男の肉体の表面で、ただ止まっていた。

「呪神帝ネクロ。お前たちを殺す者だよ」

 無造作にネクロは、シズの両刀を叩き折った。







 馬鹿な、というのがその場の者たちの感想であった。

 シズの武器は神器とも呼べる神竜レイアナの鍛えた刀であり、それを操るシズの腕前は、おそらくこの世界でも五指に入る。

 それをかわすでも防ぐでもなく、ただ受けた。それも肉体の硬い部分ではなく、首筋で。

「まあ、こんなものか」

 男は絶対的な優位者の目で、シズを見つめる。それに対してシズはわずかに退いた。

「武装・剣聖」

 ただ諦めの色を見せず、シズは対個人戦闘では最も適した武装に切り替える。

「なるほど、工夫するものだな。弱者にとってはそれもやむをえんか」

 ネクロの両手に得物はない。だがただ単にその身にある力だけで、神竜の鍛えた武具を破壊したのだ。

 そして次の一手も、想像を超越したものだった。

 空を薙いだその衝撃が、アルスの横を駆け抜け、フェルナを吹き飛ばした。

「!?」

 衝撃波は他の者にも余波を伝えたが、吹き飛ばされたフェルナほどではない。彼女も魔法の結界を多重にかけていたので、傷を負うということもなかった。



 だがこの一瞬に、ネクロはシズとの間合いを詰めていた。可視化出来る速度の限界を超えたその攻撃に、シズの回避は間に合わない。

 刀で受けるという無駄な選択をせず、シズはただひたすらに体を捻った。それでも左腕が抉り取られた。

 声をかける間もない。そこからネクロはアルスに向かって素手で掴みかかった。

 熟練の技を感じさせることもない、無造作な動き。だがそれは一撃必殺の攻撃である。

 アルスはカウンターで聖剣を叩き込むが、その刃はやはりネクロの皮膚に阻まれた。



 なんだこれは、と誰もが思った。

 あまりにも理不尽すぎる。ネアース世界で十指に入るような戦士を相手に、まるで竜が人を踏み潰すかのように、あっけなく叩き潰していく。

「……異世界の神でも……これはありえない……」

 日頃のふざけた様子も捨てて、すぐさまシズの肉体を再生させていたセラが呟く。

 彼女は神だ。ネアースの外からやってきた、歴史のはるか以前からいる神の記憶にも、これほど圧倒的な力の持ち主はいなかった。

 以前に現れた第三の勇者も非常識だったが、こちらの非常識さは方向性が違う。

 技も何もない。ただ力だけでこちらの戦力を削っていく。不条理な存在。

 その前に、セリナは立っていた。



 セリナの持つ刀は、神竜レイアナより渡された、童子切り安綱写しの改。

 前世地球においては天下五剣の中でも筆頭とされ、試し斬りにおいては罪人を六人重ねたものを両断し、さらにその土台にまで達したという記録がある。

 確かに性能においては、これ以上はないという切れ味を持っている。しかも材質はオリハルコンと竜の牙の合金。魔法の付与まであって、シズの持つ刀よりもさらに一段階上の逸物である。

 だがわずかに、問題はある。童子切りは打ち刀ではなく太刀なのである。

 単純に言って、間合いが長い。セリナの魂にまで染み付いた感覚とは、そこが違う。



 それでも、この目の前の男に対しては、これを使うしかなかった。

(いくらなんでも、これなら傷を与えられるはず)

 セリナは担ぐように、童子切りを構えた。

 定跡でない構え。そこから導き出される太刀筋は一つのみ。

 ネクロの身体能力なら、かわせる程度のものだろう。だがセリナが全力で一撃を加えれば、敵の防御力を突破出来るかもしれない。



 相手の弱点は、油断である。おそらくこのネクロという男は、種族的には個人的にかは分からないが、生来の強者であったのだろう。

 かつてセリナが前世で共に旅した神竜ラヴェルナは、とてつもない能力の高さを誇っていながら、武器の取り回しは苦手であった。

 肉体能力になけ依存した敵なら、勝機はある。

「ふむ、先ほどの女よりは強そうだが」

 歩法も知らない強者に向かって、セリナはゆっくりと踏み出した。

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