69 真の勇者
「ネアース世界の歴史において、最も重要な人物が、アルス・ガーハルトです」
かつてカーラはセイにそう教えた。不貞腐れたような表情で、リアもそれに頷いた。
人間を異世界から連れて来た帝国の初代皇帝『聖帝』シファカや、後に神竜となった『竜帝』レイアナ、そして人間以外の亜人や魔族を含めても、それに異論は出ないという。
英雄はいた。勇者はいた。時代を代表する人種は数多くいた。偉大なる為政者も多かった。
だが世界を――社会でなく世界を導き、歴史の流れを作り、神竜さえも欺き掌の上で動かし、まして神竜を一柱滅ぼした者など、彼以外にはいない。
勇者として召喚され魔王の軍勢と戦い、魔王を滅ぼし、頭をなくした魔族において魔王として君臨し、力を至上とする蛮族の傾向があった魔族の文明化を進めた。
圧倒的な力と、ささやかな知識と、バランスの良い知恵を使い、魔族を統治した。そして千年紀を迎え、イストリアの軍師やオーガスの執政ギネヴィアをも欺き、偉大な将軍であるレムドリアのシオン王子を排除し、大崩壊を引き起こした。
ネアースという世界を救い、自らの故郷である地球を滅ぼした。史上最悪の殺戮者でもある。だがそのおかげで、人種は千年紀という悪夢のシステムから解放された。
彼は世界史上において必ず語られる存在だ。知力、政治力、武力、統率力、魅力がカンストしているような存在として歴史には残っている。
しかしその実像は、果たしてどうだったのか。
今その謎が、明らかになろうとしていた。
魔王城の地下へ、エレベーターで移動する。転移は使えないように結界が張ってある。
ゴーレムに守護されたいくつもの扉を開け、フェルナはセイ一人を伴って、その奥へ歩を進める。
やがてたどりついたのが、螺旋状の階段である。
そこをまた深く深く潜っていく。これは徒歩である。
「魔法の力がしますね。それとこれは……科学ですか?」
セイが感じているのは、魔力と魔力を変換したエネルギーだ。
「アルス様は冷凍睡眠の状態にあります。魔法だけではなく、科学の知識も使って、その眠りを穏やかなものとしているのです」
フェルナに案内されてセイは歩を進めるのだが、そこには驚愕が待っていた。
人間や亜人、魔族の精鋭である衛兵は浅い階層までで、途中からはゴーレムがその守護を担っている。
ミスリルゴーレムやアイアンゴーレムではない。黄金回廊でセイがどうにか対抗した、オリハルコンのゴーレムが何体も控えている。
(どんだけ無茶苦茶な国なんだ、ガーハルト)
領土、人口、技術、全てにおいて他の国とは一線を画している。
地球で言えばアメリカをさらに強くしたようなものだろうか。それでいて他国へ干渉することはほとんどない。
現在の大魔王フェルナもだが、ガーハルトは他国に影響を与えることを好んでいない。もちろんそれは領地が山に囲まれていることや、魔族の多い国であることも関係しているのであろうが。
やがてフェルナがたどり着いたのは、気密ロックにでもなっているかのような、小さな扉だった。
お約束どおり三重になっていて、横に、縦に、斜めに開いていく。
そして二人は、アルスの寝所に足を踏み入れた。
壁面を覆う金属に、数値の表示されたパネル。
いかにも科学の匂いを感じさせる、SF的な部屋であった。
そしてその中央に、半透明の素材で覆われ、液体に満たされたたポッドに眠る、一人の青年がいた。
黒髪黒目は日本人として当たり前の容姿であるが、人種はおろか種族さえ多彩なこの世界では、逆に珍しい。まあセイはマコがいるので、あまりそんな感じはしないのだが。
ポッドの横にある装置をフェルナが操作していく。それほどの間もなく、全て完了したようだ。
液体が抜かれて、半透明だった材質が透明になっていく。
「あの、こんな簡単に冷凍睡眠から目覚められるものなんですか?」
冷凍睡眠の常識なぞ知らないセイだが、それでもこの段取りは早いように思える。
「アルス様が作られ、実験も成功したものです。ただ……千年以上に渡る長期間の冷凍睡眠は、確かに前例がありませんが」
フェルナもセイの言葉に、やや不安な面持ちをしている。だが覚醒の手順は進み、ポッドの透明のカバーが開いた。
黒髪の、まだ20歳ほどにしか見えない青年だ。セイは思わず鑑定を使ってみたが、その結果に目を疑った。
レベル399だ。カーラやクオルフォスよりも、さらに高い。そして確認できる範囲では、ものすごい数の技能がカンストしている。
これでさらに機械神というものに乗るのだから、下級の神はおろか、現在の四柱の悪しき神々とも戦えるのだろう。
鑑定の結果、生きていることは間違いない。だがすぐ目覚めるということもないようだった。
しばらく迷っていたフェルナだが、やがて意を決して魔法を使う。
『目覚め』
強制的に睡眠状態から覚醒させる魔法だが、眠気を取り除くという効果もある。
『完全回復』『完全治癒』『完全状態』
高レベルの治癒系魔法を使うフェルナ。そして青年の目が開かれる。
ゆっくりと、勇者にして大魔王たるアルスは、その眠りから目覚めた。
「あ~……」
手で顔を覆い、傍らに佇むフェルナを見つめる。
「フェルナ……今何年だ?」
「統一暦6005年です、アルス様」
「……けっこう眠ったなあ。それで、何が起こったんだい?」
まだ少し呆けたような表情だが、アルスはポッドから完全に起き上がり、その外へ出た。
術衣のような服装が、その一歩で体に合わせた着衣となる。
創世魔法。かつてそう呼ばれた、現在は無限魔法と呼ばれる至高の魔法。
「悪しき神々が復活し、竜骨大陸を除く三つの大陸で戦乱が起こりました。竜牙大陸の神はイリーナの手によって封印されましたが、特に強大な四柱が、竜翼大陸と竜爪大陸で勢力を拡大しています」
アルスは頭をぼりぼり掻くと、またフェルナに問いかける。
「それだけなら神竜がどうにかしそうだけど、他に何が?」
「勇者が召喚されました。36人」
「はあ? 前よりも多いじゃないか。それで現状は?」
「召喚した国は竜によって滅ぼされましたが、勇者は世界各地に転移しました。それも既に半分以上は地球に帰還させたのですが、残りの勇者は悪しき神々の勢力内に多くいて、また悪しき神々は新たな眷属を生み出しました。神竜は勇者を警戒して、接触を出来るだけ避けています」
「なるほど、それで残りの勇者の始末と、ついでに悪しき神々を再度封印させるってところかな。そっちのお嬢さんは?」
「地球の神によって遣わされた、勇者を帰還させるための人間です」
「……詳しい話を聞こうか」
転移を防ぐ結界が張られているはずのその場所から、アルスはフェルナとセイを連れて、王城の上層部に転移した。
恐ろしく緻密なその術式構成は、カーラをも上回るもので、セイはこの青年が本当に歴史を動かすほどの力を持っているのだと実感する。
セイのパーティーとフェルナが一室に集まり、アルスに現状を伝えることになった。
「今回は、地球の神も動いているわけか。前の時は帰還先を調べるのが一番面倒だったらしいしね」
大魔王とも呼ばれる存在でありながら、アルスの態度は気さくなものだった。そしてセイの状態をも簡単に見抜いたようだ。
「レイアナは相変わらず無茶な鍛え方をするなあ。それで、そちらのお嬢さんが勇者の一人と。不死身の祝福なんて、かなり無茶だけど、暴食ほどじゃないか」
彼の感覚的には、マコの暴食はかなり危険なものらしい。
それにしても、偽装隠蔽がかかったステータスを、何気に看破している。
「暗黒竜の眷属って……ひょっとして元は男だったり?」
「はあ、実はそうですが……」
「相変わらず問答無用で我が道を行く人だなあ。あ、もう人じゃないか」
自分の言葉に、アルスはへらりと笑った。
悪しき神々と勇者についての話をおおよそ聞き終えた後、今度は自分が眠りについてからの情報を仕入れていく。
「そうか、レイとアスカはまだ生きてるのか……。他にあの頃生きていてまだ存命なのは、カーラにクオルフォスに……サージ君もか。クリスは俺と同じで眠っていると。世界地図はけっこう変わったなあ」
およそ1500年の時間の経過に、アルスは色々と感慨深い思いがあるようだ。
「神竜が二柱増えたってのが一番大きいかな。それにしても……いくら幼いとは言え、竜爪大陸には神竜を追い詰めるほど強い神がいるって事か」
「私はまだ戦えた。けれど眷属が無理に転移させた」
少し憤慨するような口調でラヴィが訴える。
「上級神が三柱も集まれば、万一のことはある。その判断は間違いなかったと思うよ。……実際今の君なら、竜になっても俺一人で倒せると思う」
計略を駆使したとは言え、神竜を過去に滅ぼした男の言葉には説得力があった。
それからアルスとフェルナは、勇者と神々への対策を話し始めた。
「竜翼大陸に独立している一柱の神、これはそれほど問題はない。眷属神がいるとしても、俺とフェルナの機械神を使えば、簡単に倒せるだろう。勇者への対処はそちらに任せるけど……」
アルスは少し考え込む。自らの体験と、今回の勇者の持つ特殊な祝福に対して。
「ガーハルトに一人、そして残りの七人が二つの大陸にいるわけか…。これは厄介な相手になるかもしれないな」
当然のことだが、レベルや技能レベルは強い相手を倒し、様々な経験をした方が上がりやすい。
そして竜翼大陸と竜爪大陸の勇者は、強力な悪しき神々の眷属と戦っているはずで、そのレベルも上がっているだろう。
マコから聞いた破滅の勇者以外にも、強力な祝福を得ている勇者がいる。
リアとカーラは割と楽観視していたが、慎重なアルスに言わせれば、死闘を乗り越えてきた勇者は自分の祝福の弱点にも気付いているだろう。
単純な戦歴で言えば、勇者として魔族と戦い、魔王になるため魔族と戦い、魔王として人間や亜人と戦ってきたアルスの経験は、リアにも優るものだろう。
もっとも勇者たちが敵対せずに素直に帰ってもらえば、それが一番ありがたいのだが。
アルスとフェルナは、機械神を起動させる準備に入ることになった。
セイたち一行は、ガーハルト領にいるもう一人の勇者を回収する手はずである。それから竜骨大陸を東の果てまで移動し、そこからは船旅だ。ここまで緯度が高いと、巨大で厄介な海凄の魔物も少ないらしい。
それでもやはり大陸棚より先の海は危険であるらしいが。
「海を行くよりまだ空の方が安全って、なんとなく不思議だね」
地球の常識を持つマコがそう言って、セイも頷いた。
セイたちが向かうのは、主要な路線から今度は南に向けた地方である。
そこはゴブリンや獣人など、魔族の中でも特に人間との容姿が離れている種族が混淆して暮らしているらしい。
そしてまたお約束どおり迷宮があるのかと思えば、今度は違った。
そこにあるのは遺跡である。遺跡と迷宮の違いは、遺跡は人種の作ったもので、迷宮は魔物たちを創造する魔素に満ちていることだろう。
もっともその遺跡は4000年前に魔王が根拠地としていた都の跡で、魔素も溜まりやすくなり、半分迷宮化しているとのことだ。
しかしながらかつての魔王の城だからして歴史的な価値も高く、護衛を雇って観光をする変わり者もいるらしい。
そしてその遺跡に挑み、魔王城の中から残されたお宝を手に入れようとする探索者たちがいる。
今度の勇者はその探索者の中にいるようだった。
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