第109話 傲慢の魔王
「地球だと!」
ものすごい勢いで立ち上がったリアは、隣のアルスの襟を締め上げる。
「貴様正気か!?」
アルスは困ったような顔をして、リアに向けられた剣を止める。
レイとフェルナの剣が、リアの首筋直前で止まる。
それを全く無視して、リアはアルスを締め上げ続ける。
「ラビリンスの話が本当なら、つながるのは21世紀の地球だ。お前の知り合いもたくさんいるはずじゃないのか!?」
「そのために、移民を選別する」
「馬鹿な……。第一、地球とこの世界では文明のレベルが違う。核兵器を使われたらどう対抗するんだ……」
「禁呪を使えば核兵器の破壊力は防げる。もちろん放射能汚染もね。何よりこちらの世界を守る存在として竜がいる」
アルスはゆっくりとリアの手を放させる。思わず一歩、リアはよろめいた。
「リア……」
椅子に腰をおろしたリアの肩に、そっとカーラが手を置く。
レイとフェルナも、その剣を納めた。
「俺からも聞かせてもらう。正気で言っているのか?」
声を上げたのは、黒騎士トール。先々代の勇者。2000年の時を生きる者。
地球より召喚された、魔王と対抗する存在。
「たとえ10億の人間をこちらに移住させるにしても……60億以上の人間を殺すことになるぞ」
その威圧感。厳しい視線。たとえ2000年生き精神が老いても、とてもアルスの発言は許容出来ない。故郷にはまだ多くの知り合いがいる。
「透さん……」
アルスは力ない笑みを浮かべた。
「賽は投げられたんですよ」
「今からでも大戦を起こして、魔族と人間の争いを繰り返した方が、犠牲は少なくて済むな」
氷のような声音でリアは言う。だがアルスは肩をすくめただけだった。
「そして10億の人間、亜人、魔族を殺す気ですか? また千年紀のたびにそれを何度も繰り返すと?」
リアの思考に靄がかかったようになる。大崩壊で世界と世界が衝突するという話は聞いていた。だがまさか、それが地球が相手とは。
いや、むしろ考慮に入れておくべきだったのだ。
地球からの転生者が多いというこの世界。衝突するとしたら、それは地球だろう。
それにバルスは言ったのだ。地球とこの世界はかつて接触していると。
「地球とは、勇者様方が召喚される世界だが……」
ホリン王が声を上げた。
「その戦力はどのくらいのものなのだ? 第一世界を崩壊させるなぞ、可能なのか?」
さすがに年を重ねているだけあって、混乱から立ち直るのも早い。アルスの言葉の内容も理解しているようだ。
それに対して、発言したのはアルスではない。
「我が命と引き換えにすれば、世界を破壊することは可能だ」
暗黒竜バルス。
黄金の瞳を目蓋の裏に隠しながら、彼女は断言した。
「そしてかつて神々と戦った経験からして、地球の神々を滅ぼすことも不可能ではない。地球独自の魔法も、我らにはさほど効果がないだろう」
竜。
かつて暗黒迷宮の深奥で見かけた光景を、リアは思い出す。
洞窟の奥に眠る、無数の竜。
あれが全て天を舞い、地球の大空を征服するとすれば……。
それに、地球の神々。
生前はまさかいると思っていなかった神だが、転生の折にはその存在を確認している。
わざわざ転生までさせてくれたあの神々と、戦うことになるのか。
地球各地に伝承される神々。一神教から多神教まで、それこそ八百万の神がいるだろう。
「地球の神々は弱い」
リアの内心を見通すかのように、バルスは言った。
「そもそも人間の想像により作られた存在だ。肉体を持たない、精神だけの存在。我々竜とは根底からして違う。人間の信仰心がなければ、満足な力は振るえない」
そういうものか。だがリアが神々からもらったギフトは、相当に力のあるものだったが。
「地球の人間の戦力は、我々魔族が無力化する。神々の相手も、弱い神相手ならば充分だろう。だが大きな宗教の主神には、竜族の力を借りたい」
アルスがバルスに語りかける。神竜の中でも、彼女が中心となっているのだろう。他の神竜は口を出さない。
「元より我ら竜は、世界を守るために存在する」
世界を守る。それがこの場合は、人間や魔族を守ることにつながっている。アルスの思惑通り、竜の力が振るわれることになる。
リアは後悔していた。
コルドバとの戦いで魔族が手助けしてくれたことを感謝していた自分を呪いたい。人魔共生の理想の到達点が、ここか。
「リアよ」
それまで口を開いていなかったネイアス、つまりリアの父が言葉を発した。
「自国のためには他国の犠牲もいとわない。それが為政者の務めだ。それがたとえ……はるかに多くの人命を損なうものだとしても」
それはごく当然の理屈だ。ましてこの場合は、世界の運命がかかっている。
それにアルスの言うことが本当だとすれば、これでこの先の長い時間を、この世界は千年紀を迎えずにすむ。
「父上……」
リアは力なく言った。
「私はその地球からの転生者なのですよ……」
沈黙が室内を満たした。
「それは……真か……」
それでもネイアスは掠れた声を出し、問いただす。
「事実です」
リアはその場の全員に向けて宣言した。
「私は地球で42年の生涯を送り、天災によって死に、この世界に生まれ変わりました」
また室内がざわめきに満ちた。各地の王たちにとって、それがどういう意味を持つのか、リアには分からない。
「あのさ、この世界より長い時間を地球で送ってきたのは分かるけど、地球ってそんなに守る価値のあるものかな?」
軽い口調でアルスが問いかける。
「人口爆発に環境汚染、貧富の格差、なくならない戦争。放っておいても近いうちに限界を迎えると思うんだよね。それならまだまだ人間を許容する余地があり、資源もある、汚染されていない自然を持つこの世界に地球人を迎える方が、あちらにとっても幸せだと思うんだけど」
それは、あまりに一方的な、傲慢な言葉だった。
ああ、そうか。リアは理解した。
目の前の男は、確かに魔王だ。
大殺戮を平然と口にする、世界を破壊する、魔王だ。
そして……あまりにも人間らしい邪悪さを持っている。
「理解してもらえたかな?」
笑みさえ浮かべるその魔王に向かって、リアは抜刀していた。
レイもフェルナも止める間のないその斬撃は、しかし魔王の不可視の壁に受け止められる。
「君は血の気が多すぎるよ。ここはまだ話し合いの場だよ?」
大げさに両手を上げて魔王が言う。レイとフェルナは既に抜剣している。リアの背後ではカーラも抜剣している気配があった。
「控えよ」
その言葉の圧力に、戦闘態勢に入っていた4人が膝をつく。
暗黒竜バルスが、ゆったりと立ち上がる。
「賽は投げられたとは、確かに面白い言葉だ。既に大崩壊は避けられない。ならばアルスの提案が、この世界にとって最もましなものだとは思わぬか」
最善とは言わない。だが避けられない危機に向けて、アルスは既に充分な準備をしている。
事実、千年紀は魔族の圧勝に終わったと言っていい。対した人間側の戦力も残されている。
コルドバとの戦いでさえ、オーガスはさほどの国力を使わずに勝利した。全てアルスの思うがままに。
「我ら竜族は、アルスを支持する」
それは事実上の、会議の終了を意味した。
リアは一同を見回す。そこには溜め息をついた顔しか見えない。
先々代の勇者トールでさえ、深く息を吐き、諦めたような表情でいる。
リアの味方はカーラだけか。
「当代の勇者を排除したのは、このためか?」
姿勢を崩さないまま、シファカが問う。彼は水竜ラナの力により、召喚された勇者が他の世界へ送られたことを知っている。
確かに地球から召喚された勇者が残っていれば、リアに同調しただろう。
「あれは……ちょっと計算違いだったんですよ。僕は魔王として、すぐさま彼を殺そうとしました。ですが彼は……単純に言えば強すぎたんですね」
アルスは肩をすくめた。変わらず軽々しい挙動。かすかに浮かべる笑み。
「彼の持つ……この世界には存在しなかった魔法と、僕の魔法が対消滅し、この世界が破壊されかけました。それをクラリス様が己の命と引き換えに、最小限の被害に食い止めたんです」
帝都全てと、その周辺、300万以上の人命を最小限という。アルスの言葉の中で、やはり人の命は驚くほど軽い。
「なるほどそういうことだったか」
表情を変えずにバルスが頷く。
「大量殺人という重荷に、彼は耐えられなかったんですね。それでラナ様に頼んで、この世界から逃げ出した」
「そう誘導したのはあなたでしょうに」
それまで一言も口を開かなかったラナが、軽く咎めるように口を挟んだ。
「まあ、そういうことです。では何か質問や提案はありますか?」
アルスがそう言っても、円卓の人間は明らかにされた情報を整理するのに手一杯だった。
リアの心には、空虚なものが生まれている。自分の今までにやってきたことは、全てアルスの手の内だったということか。
「その、大崩壊は具体的にいつになるのかな?」
手を上げて発言したのはアルヴィスだった。
確かにその時期がいつになるのかは大切だ。
指摘を受けたアルスは、そのまま視線をバルスに向ける。
「望むなら、今すぐにでも。自然のままに任せるなら……50日後だな。我が力で引き伸ばしたとしても、100日後ぐらいだろう」
「分かりました。50日あれば充分です」
一人頷くアルヴィスに、トールが問いかける。
「何か準備をするのか?」
特に抑えた声でもなかったので、満座にそれは聞こえた。アルヴィスはその視線をやや鋭いものに変えて、宣言した。
「ええ、浮遊大陸を浮上させます」
浮遊大陸。それは伝説の存在。
この世界を周遊する、巨大な大陸だという。それは文献のみに記されるだけで、実際に目にした者はいないとされる。
だが、この場には世界の神秘に通じた者が何人もいる。
「なるほど、確かにあれは戦力になるな」
ごく普通にシファカが頷き、黒猫のメンバーが同意した。
「50日で整備が可能なのですか?」
アゼルの問いに、アルヴィスは軽く頷いた。
「元々自己整備機能があるからね。君に手伝ってもらえば一週間もかからないだろう」
「浮遊大陸……本当にあるのか……」
それまで口を開かなかった少年王カノンが、目を輝かせる。
「ええ。よろしければお目にかけますよ。実際には少し大きな島というもので、大陸というほどの大きさはありませんが」
アルヴィスが軽く肯定すると、また王族たちがざわめきだす。
「元々人間はあれを使ってこの世界にやってきたのだ。旧帝都に拠点を作ってしばらくは赤道上を巡っていたが、魔力の消耗を抑えるため、竜牙大陸の近くに着水させたのだがな」
シファカの言葉にざわめく室内において、ただ一人。
リアは己の浅はかさを呪っていた。
リアは42年の歳月を地球で過ごしてきた。喜怒哀楽、全てをもたらすものを見てきた。接してきた。
そして地球が……人間がどうしようもない愚かさと、愛しさとを持っていると知っている。
おそらくアルスは知らないのだろう。
「魔王よ、あなたがこの世界に召喚されたのは何歳の時だ?」
「15歳だったよ。ひどいよね、せめて18歳まで待ってくれれば、高校で習う知識とかをこの世界に活かせたのに」
「あなたは15年しか地球で生きていない。だから地球に、故郷に対する愛着がなくて、そんな非道な行いが出来るのではないか?」
その言葉に、アルスはふむ、と顎を触りながら考えた。
「どうなのかな? 確かに感情は磨り減っていると思うけど、残してきた家族や友人は率先して助ける気でいるよ。ずるいかもしれないけど、その程度には愛着がある。君も大切な人を優先して助ければいい」
つくづく傲慢だ、この魔王は。
自分の行為の悪を認識しながらも、それを許容する。あるいはそれが、王というものなのかもしれない。
リアは沈黙し、それをもってこの会議は終わった。
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