第86話 故郷
リュクレイアーナ・クリストール・カサリア・オーガスが、故郷へ戻ってくる。
それはカサリアにとっても、一つの事件だった。
現国王の長子にして庶子、それでいて長女という、どうにも扱いに困る存在だからである。
さらに困ったことに、彼女は竜人であった。
竜人について詳しいことなど誰も知らなかったのだが、両性具有だか雌雄同体だかで、男として子孫を残すことが可能であるという。
実際にマネーシャに残してきた二人の妻は、両方とも既に子供を妊娠しているという情報まで、しっかりと宮廷には入ってきていた。
リアがアナイアスに戻るのには、それなりの集団を連れて来る必要があった。
オーガの精鋭500、ドワーフの精鋭300、獣人の精鋭1000に加えて、人間族1000である。
これはオーガスという国が完全な多種族国家であることを意味する。たったの3000という数は、カサリアに無用の刺激を与えないためであるし、単純にサージがいないので食料の運搬が大変だからである。
それにしても、その集団の中で漆黒の鎧を着て、裏地の赤い黒マントを羽織ったリアは目立った。
この日は仮面も着けず、市民に素顔を晒したままの入城であった。その姿を見た市民の中で、失神した者が多数出たというのだから、この日に備えて相当に磨いたものだろう。
城門を入ったところで馬を下りる。王族であればもう一つの門までは騎乗できるのだが、既に大公として家臣の位についているという証である。
だが身に寸鉄も帯びずに、それほども大きくないはずの姿が、宮廷内の廊下を堂々と進む。すると自然と、遠くからそれを見つめる臣下たちが、手を組んで頭を下げる。
人間としての格が違うのだ。
ついうっかりとその竜眼を見た者は、その場で腰を抜かして、跪くしかなかった。
謁見の間では、リアは片膝を付き、家族ではなく臣下としての礼をもって対した。
父王ネイアスは、あくまでも娘としてリアを迎えた。
「立つがよい、わが娘よ」
声が弱くなった、とリアは感じた。
思えばリアが逃げ出した宮廷の複雑怪奇な事情に、父はちゃんと立ち向かっていたのだ。それしか選択肢がなかったとしても、それは誉められていいことだと思う。
「背が伸びたな。思えばもう、二年も経つか」
その間にリアにはさらに兄弟が出来たそうだが、またややこしいことになっているのではないだろうか。
階段の上の父王は、玉座によって、ようやく支えられているように見えた。
竜眼を使うまでもなく、その疲労がどうなっているのか分かる。
階下の大臣が、リアの業績を挙げていく。それは全て事実であったが、これが事実だとしたら、それはもはや英雄の事業であろう。
既に知らされているとは言え、実際に並びたてられていくと、確かに信じられないのも無理はない。
かつてこの宮殿では感じたことのない、畏敬の念と、やはり感じたことのない嫉妬の念がリアの皮膚を刺す。
大臣がリアの業績を全て述べた後、王が玉座から立ち上がる。
「改めて我が娘リュクレイアーナを、新たなる大公家オーガスの主と認める」
王の宣言に合わせて、歓声と拍手が上がった。
「それにしても父上、やつれましたね」
「半分はお前のせいだわい」
謁見の間から執務室に場所を移し、閣僚たちとリアが顔を並べている。
「私の?」
「コルドバを滅ぼしたその功績に、お前をカサリアの女王にしようという動きが一部あったのだ」
「それは無理でしょう。オーガスとカサリアは地政学的に離れています。一人の王が治めるのは、国土に限界があります」
それで、強大な力を持っていても、帝国は大陸の支配を企図したりしなかったのだ。
「まあその動きを潰すのにいろいろあってな。やっと一息つけたというわけだ」
よく見れば父王の顔色は悪いが、気分はそう悪そうではない。宮廷内のいざこざが解決したというのは本当なのだろう。
「これでカサリアとオーガスは、千年紀に完全に備えられますね」
「千年紀か…」
顎に手をやって国王は考え込んだ。
「本当に、そんなもんがやってくるのかね」
「何を今更」
そうリアは思うが、ラビリンスや魔王と直接会ったことにない人間には、千年紀など伝説の存在にしか思えないのだろう。
「私は千年前に千年紀を戦った迷宮の主と話し、10年以内にそれが来ると聞きました。そしてつい先日、魔王の側近と戦い ――」
それはライアスからも報告がいってないはずなので、誰もが驚いた。
「直接、魔王と戦いました」
がたんと椅子から落ちそうになる閣僚たち。
「先代の勇者が心変わりし、魔王となって、三年以内に攻めてくると言ったのです」
それこそは、オーガスの最高機密。
リアとカーラ、そしてギネヴィアしか知らない秘密であった。
三年。
それはあまりにも短い。
「さ、三年だと……」
思わずうなる大臣たちに、リアは続けた。
「これはうちのマネーシャ公爵が言っていたことなんだが……」
まずカサリアは、旧帝国北西部を併合し、巨大な王国を作る。
そして同じく旧帝国の一部を併合したレムドリアと同盟を結び、対千年紀の体制を整える。
オーガスはカサリアやレムドリアに、新兵器を渡し、戦力の増強を図る。
「しかしそれでは、こちらにあまりにも有利でないのか?」
千年紀が終われば、また愚かにも人同士の戦いが始まるであろう。
それにも関わらず、オーガスは最新の技術を提供するという。
「構わんのか?」
千年紀というものを、父王は甘く見ている、
それに何より、他の人間はあの魔王を知らない。
かつての千年紀では、人間はその数を十分の一や百分の一まで減らしたという。
だがあの魔王は、それ以上の何かを考えている。
大崩壊。
3000年前に起こった、それ以前の歴史全てを洗い流したという混沌。
「レムドリアともイストリアとも、連携を深めていく必要があるでしょうね。なにしろもう、帝国はないのですから」
帝国がない。人類を守っていてくれた、黄金竜クラリスがいない。
人類は、今持つ技術と能力で、千年紀を乗り越える必要がある。
「お前の言うとおりだな……」
父王は深く頷いた。
さて、公式な仕事をとりあえず果たしたリアが、どうしてもなさなければいけないことがある。
クリステラ伯爵に、お嬢さんをお嫁にくださいという話である。
そのクリステラ伯の邸宅に呼ばれたリアは、初めてフィオの父と会うこととなった。
宮廷で出会わなかったのも無理はない。クリステラ伯は、前伯爵ということで、既に70を超えていた。父と言うよりは、祖父といった年齢である。
その前伯爵は屋敷の敷地に建てられた離れで、リアを迎えたのだった。
「フィオは老いらくの恋で生まれた子でしてな。なんとか結婚するまでは見たいと、魔法で寿命を延ばしていたのだが……」
ということは、実は見かけよりもさらに年上ということか。
「まさか、こういう結果になるとは……」
前伯爵は不本意そうだが、同時に諦めたようにも見える溜め息をついた。
「お父様……」
フィオは老いた父を抱くと、何度も頷いた。
思ったよりもずっとあっけなくフィオの身柄を確保したリアたちだったが、後にフィオの年の離れた兄たちとの間で確執が生まれるのであるが、それはまた別の話。
城を抜け出したリアは、本当の故郷と言える実家、アガサの店へと帰ってきていた。
最初からのメンバー5人とフィオ。ここにサージがいないのは、少し寂しかった。
「それにしても、昔から普通じゃないとは思ってたけど……」
アガサが変わらない視線で、フィオを見つめる。
「まさか女の子をお嫁さんにするとは思わなかったわ」
そっちであるか。
「あと、王様になったのも意外よね。オーガの王様ってのは意外ではないけど」
そうですか。
所詮人間、自分のおしめを変えてくれた人には敵わないのである。
本音を言えば、アガサにはオーガスに来て欲しかった。だがそれを許さない理由がある。
一つはアガサ自身がそれを望まなかったこと。長年やってきた店を畳むというのは、彼女の愛着が許さなかった。
また、リアにとっての人質と言う面もある。オーガスがカサリアと敵対しないと言う保証に、彼女の存在がなるのである。
そしてこれはリアが望んだことだが、アナイアスは安全と言うことである。
ます魔族が侵攻してきた場合、それはイストリア、聖山、オーガスの三箇所になるであろう。それに比べたら、カサリアの首都は危険度が少ない。
「まあ、次に来るときは孫を連れてくるよ。母さんもお婆ちゃんだね」
そのリアの台詞に、アガサは固まったものである。
リアとカサリア首脳部の話は、比較的友好的に終わった。
問題があったとすれば、千年紀に対する危機感の違いであったろうか。
カサリアの首脳部は、ただの魔族との戦争と思っているのに対し、リアは何か違うものだと感じている。
でなければコルドバとの戦いで、あそこまでリアたちの味方をしてくれたはずがない。
大崩壊につながる、何かがあるはずなのだ。そして大崩壊の詳細を知る者は、おそらくもう人間の側にはいない。
連日の会議と祝宴の後、リアはオーガスに帰ることになった。
そう、リアの帰る場所は、もはやアナイアスではない。アナイアスは故郷だが、リアの心は、マネーシャにある。
次に来るときは、もしかしたらアナイアスは存在しないかもしれない。逆に、マネーシャが存在しない可能性もある。
何度も王城を振り返り、リアはアナイアスを後にした。
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