第58話 カーラ

「お断りします」

 その美しい声が、リアが初めて聞いたカーラの声だった。

 あまりにも声まで美しかったので、リアはその内容を聞き逃してしまった。

「え?」

「まず第一に、あなたと戦う理由がありません」

 カーラの声は凛々しかったが、同時に優しくもあった。聞く者に安心感を与える声だ。

「そして第二に……」

 視線を周囲に向ける。突然の状況に戸惑う人々の群れ。

「ここで、あなたと戦うわけにはいきません」


 なるほどいちいち、納得させてくれる。

 確かに、ここでリアが全力を出して戦えば、とんでもないことになるだろう。

「ですから」

 カーラは言葉を続けた。

「理由が出来、戦う場所が用意されれば、お相手いたします」

 全く悪意も戦意もなく、彼女は戦うと言った。

 リアを相手にしてそんな自然さで、戦うと言う。それがどれだけ不思議なことか。

 こんな相手は初めてだった。

「ありがたい」

 仮面を付け直したリアは、自分の前に割れる人混みの中に入っていく。

 仲間と合流し、さあ風呂だ、と何事もなかったかのように言った。


 その姿を見送った親衛隊は、やがてざわめきと共に動き出す。

「カーラ様、よろしかったのですか?」

 女の副官が声をかけてくる。カーラの視線は前に向けられたままだ。

「なんなら、今からでも捕まえて――」

「それは無理です」

 カーラの言葉は端的だ。

「あの方は、私を憎んでいたわけではありません」

 事実だけを述べていく。

「それに、予感がします」

「予感、ですか?」

 そういう曖昧な言葉を、普段のカーラはあまり使わない。

「ええ、そうです」

 とても静かな瞳に、全く動揺の色も見せず、カーラは断言した。

「私は、ずっとあの人を待っていた気がします」




 人混みの中に、少女が一人。

 周囲がざわめく中、ふむふむと頷く男装の少女。

 誰でも知ってる自称秘密結社『黒猫』の幹部フェルナは、事態の推移に興味深々であった。

「これは、面白くなってきました」

「全くですね」

 予想もしていなかった同意に慌てて振り向くと、そこには見知った顔がある。

「ああ、ハルトさん……」

「お久しぶりです、フェルナさん」

 行商人を名乗る、黒髪黒目の男、ハルトである。フェルナとは何度も商会の都合で顔を合わせているが、どこか正体のつかめない男だ。

 しかし、悪人ではない。むしろその穏やかな瞳は、一介の商人を超えた威風さえ感じさせる。

「竜殺しのカーラ様と、迷宮踏破者のリュクレイアーナ王女ですか」


「え!?」

 前者は分かる。だが、後者は名前しか知らない。確かに鑑定が通用しないので、只者ではないと思ってはいたが。

「間違いないはずです。部下の報告した人相と完全に一致します」

「それは…そうですか……」

 黒猫の幹部でも知らないことを、この青年は平然と口にしたりする。大陸の情勢については、ひょっとして黒猫をも上回る情報網を持っているのではないか。

 普段は一人で荷馬車を走らせる行商人だと言うが、部下がいるというのは前からも言っていた。

 黒猫と経営統合でもしないかな、とフェルナは思うのだが、口にはしない。彼にはどこか、一国の主である風韻がある。

「もし、二人が本当に戦うことになったら……」

「それは、見逃せませんね!」

 ハルトの誘導に、フェルナは強く頷く。

「もし見に行くとしたら、ご一緒しませんか?」

「ハルトさんとですか?」

「ええ、フェルナさんなら魔法で飛び火してきたものも防げるでしょう?」

 ハルトも腕っ節に自信がないわけではないらしいが、フェルナは彼の前で、度々大規模な魔法を使うのを見せてきた。

 観衆になるには用心棒が欲しいということだろう。

「いいですよ。ハルトさんにはお世話になっていますし」

「では、宿泊先を教えてください」

 二人は連絡先を交換して別れる。そしてハルトは考える。


 行商人ハルトは考える。

 魔王アルス・ガーハルトは考える。

 元勇者アリスガワ・ハルトはとにかく考える。

 あの二人の出会いが、この大陸に何をもたらすのか。

 己の強さに全く自信を持たない魔王は、ひたすら知恵を絞るのだった。

 自らの守るべき、大切なもののために。




 月光が夜の闇を仄かに明るくしている。

 部屋の窓枠に、薄衣一枚の姿で座るリアは、それでもすぐ手の届くところに刀を置いている。

「ねえ……寝ないの?」

 ベッドの中からシズナが小さく囁く。

「ああ、先に寝ておいてくれ」

 リアの返答はにべもない。誘っているつもりではなかったが、シズナはなんだか悲しくなった。


 あれから、浴場に行ったリアは、湯船に浸かりながらも何かを考えていた。


 宿に戻ると、カルロスが早速明日にも会見するという女王の返答を持ってきていた。

 前もってオーガの里から連絡が行っていたとは言え、さすがにすぐ翌日の訪問がかなうとは思っていなかったが、フットワークの軽い女性らしい。

 そういう腰の軽さはリアは嫌いではない。またカルロスが往復し、時間帯を決めてきた。

 リアは衣装を用意し、一行の衣装も作り直す。

 黒を基調とした男装の麗人という姿になって、リアはシズナに感想を求めたものだ。


 明日、謁見の間に行くのは、仲間のうちでも限られた者だけだ。

 まず当然のごとくリア、そして騎士のカルロス。

 オーガの代表としてギグ、獣人の代表としてマール。

 そして竜であるイリーナの五人だ。

 サージ、ルルー、シズナの三人は完全なる平民なので、控えの間にて待つことになる。

 そう、シズナが感じているのは、自分とリアの世界の差だ。

「何を考えてるの?」

 再びシズナは声をかけたが、返ってきた答えは思いもよらないものだった。

「ああ、あの女に勝つには、どうやって戦えばいいかな、と」


 シズナは耳を疑った。

 まるで恋する人を語るように、戦うことを語る愛しい人。

 女心の分からない女だ。

 シズナは背を向けて、不貞寝した。




 王宮は質実剛健なものだった。内実は、竜の襲来によって破壊された内装の再建に、女王が力を入れなかったことによる。

 扉を開けて謁見の間に迎えられる五人。はるか先の玉座には、黒髪の女性が座っている。

 美貌だ。なるほどリアに似ている。いや、むしろバルスに似ているのか。リアほど武張った雰囲気はない。

 金色の瞳はこちらを威圧してくるが、それに屈服する程度の胆力の持ち主はいない。

 そして女王の背後に立つ、美貌の騎士。


 カーラ・ラパーバ・ウスラン。

 見ている。

 見られている。

 見透かされている気がする。


 玉座の階段へ数歩を残した地点で一行は止まり、リアとイリーナ以外の三人が膝を着く。

 ギネヴィアは玉座から立ち上がり、階段を降り、リアの前に立つ。

「お初にお目にかかります。マネーシャ公爵ギネヴィアです」

 まずギネヴィアが頭を下げ、それに対してリアは騎士の礼を返す。

「ご丁寧な挨拶痛み入ります、閣下。リュクレイアーナ・クリストール・カサリアです。そしてこちらが」

 イリーナを掌で示す。

「黄金竜クラリス様と暗黒竜バルス様のご息女、イリーナ様です」

 謁見の間の廷臣たちがざわめく。だが全く動揺していないのが二人。

 ギネヴィアとカーラだ。


「神竜のご息女を前に、このような場で語るのも滑稽なこと。場所を移しませんか?」

 ギネヴィアはそう提案してきた。ようするに堅苦しい話し方はやめて、もっと率直な話し合いがしたいということだ。リアも同意である。

「どうぞこちらへ。もっと寛いだ場所を用意してますの」

 頷いたリアを、女王自らが案内する。その後ろには数人の廷臣と、カーラが続いている。

「出来れば私の供をしてきた者も一緒にお願いしたい。色々と話が通じる者がいるので」

「分かりましたわ」

 女王が目で合図しただけで、女官が駆けていく。

「あと、話が終わった後でいいのだが」

 むしろリアとしては、そちらをメインとしたいぐらいなのだが。

「竜殺しのカーラ殿と、一手お手合わせ願いたい」


「あら~」

 それを聞いたギネヴィアはむしろ嬉しそうだった。

「カーラ、どう?」

「姫様が望まれるなら」

 美貌の騎士は、涼しげに答えた。だが、その目が言ってる。

 自分もそれを望んでいると。


 それにしても、女王なのに姫様なのか。子供も一人いるはずなのだが。

 リアはそんなどうでもいいことを思った。

「じゃあ、後からと言わずすぐ始めましょう。最低限の準備は必要だけどね」

 ギネヴィアの合図で、また女官が駆けていく。どのような準備が必要なのかは分からないが、上位下達が行き届いている。




 女王の私室に一行は通された。離れていた三人も来ている。

「あ、楽にして。私も楽にするから」

 口調まで変えてそう言った女王は、ソファーにどっかり座ると、ぽいぽいと靴を脱いだ。

「こんな私だけど、いいわよね? あなたも王女様のくせに探索者なんかしてるんだから、堅苦しいのは嫌いでしょ?」

 それはそうなのだが、ここまであけすけなのは初めてだ。

 頷いてリアはソファーに深く沈みこむ。他のメンバーは、用意された少し小さめのソファーに浅く座った。

「紹介するわね。右から宰相、国務大臣、外務大臣、軍務大臣、情報局長。詳しくはまた話す機会に。それと、私の親衛隊長のカーラ。こちらは、もうよく知っているみたいだけど」

 閣僚たちは手を振られて部屋から出て行く。室内に残ったのは、女官を除けばカーラだけだ。

 リアも仲間たちを紹介していく。その中で女王の目が留まったのはイリーナと、サージだった。

 イリーナは分かる。何せ人の姿をしているとはいえ、元が竜なのだから。しかしサージは転生者とはいえ一般人の子供である。

「純粋な人間で私より魔力が多い人を見たのは初めてだわ」

 それが原因だったか。

 確かにサージの魔力は高い。高レベルとはいえ年齢を考えれば異常である。

 もっとも身近にリアやイリーナといった例外が存在するので、あまり普段は意識しないのだが。

「それに色々不思議なスキルを持っているし……それが暗黒竜様の力? それならカーラも一度踏破してみた方がいいわね。時間さえあれば、私も行ってみたいんだけど」

 こちらの力を丸裸にされるというのは、こんなにも怖いことなのか。サージは既に隠蔽という看破を強烈に阻害する魔法を使っているのだが、それも通用していないらしい。

 それに、この女王は頭の回転が速い。

 知力の能力値がこれほど高い人間を見るのは、リアは初めてだった。なにしろルーファスよりも高いのだ。当然リア自身よりも高い。


「かあさま」

 話を中断させてやってきたのは、まだ小さな子供だった。

 侍女に傅かれてギネヴィアの下に駆けてくるのは、この国の王子、ギネヴィアの一人息子だ

 父親は不明である。女王の愛人の誰かなのであろうが、王配として立てられてはいない。

 母に抱き上げられた王子は、やはりまずリアを見た。

「紹介するわ。私の息子、シンジよ」


 げほっ、とサージが飲みかけていた茶でむせた。

「あら、どうしたの? ちょっと変わってる名前だけど可愛い子でしょ」

 黒髪黒目の、愛らしい子である。しかしサージがむせたのは、その名前による。

「女王陛下、失礼ながら質問をさせていただいてもよろしいでしょうか」

 必死で丁寧な口調で喋るサージであるが、これは確認しておかなければいけないことだ。

「いいわよ。自由に話して」

 リアもまた、サージに向き直っている。彼女の知識では、サージが混乱している理由が分からない。


「王子殿下のお名前は、お父上である方が決められたのでは? そしておそらく、男の子ならシンジ、女の子ならレイと……」

 がたん、と勢いよく女王は立ち上がった。それまでの余裕が、一切消えた顔だった。

「あなた! あの方が今どこにいるか知ってるの!?」

 知らぬとは言わせぬ、というばかりの形相の女王を、カーラがそっと引き止める。

 しかし彼女の青い瞳もまた、サージをひたむきに見つめていた。

「どこにいるかは知りません。ただ、知っていそうな人を知っているというか……」

「姫様、それ以上は、ここでは」

 周囲の目を気にしてカーラが抑えたので、ギネヴィアもすぐに冷静さを取り戻したようだった。腕の中で硬直している我が子を侍女に預け、どっかりと座り込む。

「あなたには、色々と訊きたい事があるわね」


 そしてまた女王は話題を変える。

「それで、どうしてあなたはカーラと戦いたいの?」

 再び子供っぽさを見せる興味津々の瞳で、ギネヴィアはリアに問いかける。

 リアの返答は端的だった。

「そこに、山があるから」

 ギネヴィアはくしゃりと笑った。

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