第47話 神に抗う者

「り ――」

 動いたのは、動けたのは、マールだけだった。

「リアちゃん!」

 腰から装填済みの弩を、バルスに向ける。そう、神に武器を向けたのだ。

 視線だけで殺される。誰もがそう思った。だがバルスは寛容だった。

 放たれた矢は、バルスの纏う衣に当たって、ただその場に落ちた。




「慌てるな、小さき子よ」

 バルスはむしろ、優しげとすら見える笑みを浮かべていた。

 彼女の足元に倒れるリアの肉体からは、膨大な魔力が溢れてその身を隠している。

 その現象を、マールは見たことがある。

 この中でマールとサージだけが知っている。

 魔力が物質化し、リアの身を覆う。黒光りするその形は、まさに卵だった。

 そう、新たな力を得るための、蛹の段階。

 迷宮都市での再現だった。


「さて、お前たちにも、祝福を与えよう」

 バルスの手が振られる。その瞬間、一行の全てが、自分の中の力が爆発的に上昇したのを感じた。

 サージの鑑定では、一気にレベルが10上がり、様々なスキルが付与されたのが分かった。

「強すぎる力はかえって破滅をもたらすからな。それぐらいがよかろう」

 それぐらい、と軽々しく言う。

 各種耐性、能力値の強化、治癒・回復速度の上昇。それらの力がそれぐらい。


 まさに神の力だった。

 これに比べれば、ラビリンスの力は羽虫に過ぎない。

「あの、ごめんなさい」

 マールが頭を下げる。自分の膝に額を当てるほどの柔軟な下げっぷりだった。

 反射的なこととは言え、神にも等しき存在に矢を射掛けたのだ。

「構わん」

 バルスは再び席に戻った。同じ神でも、ギリシア神話の神などとは比べ物にならない寛容さである。

「それで、どうする? 他に願いがなければ地上まで送ろう」

 一行は互いに顔を見合わせる。困惑顔しかない。

 神を前にして、何を求めるのか。

 おそらくどんな願いでも叶えてくれそうではあるが、いざこうなると、何も思い浮かばない。


「あの」

 おそるおそる、ルルーが手を上げた。

「たとえば、なんですけど、バルス様は死者を生き返らせることが出来ますか?」

「出来る」

 造作も無い、という口調でバルスは答えた。

「しかしあまり意味が無いし、代償が大きい。条件にもよるが」

「あたしの4年前に死んだ祖父を、生き返らせること、出来ますか?」

「出来る。それぐらいなら難しくはない」

「そ、その代償というのは?」

「こちらへ」

 バルスが手招きして、おそるおそるルルーは近づく。

 額に触れてきた指先は、ひんやりとしていた。

「お前の祖父は、既に転生している。そこから魂を引き剥がし、拡散した記憶を植え、肉体を再生し、甦らせる必要がある。お前はそれを望むか?」


 ルルーが望んでいたのは、そんなことではない。

 ただ、もう一度だけ会いたかった。会って、ありがとうと言いたかった。

「いえ……」

 魂は転生する。

 民間でもそう信じられていたことを、バルスは確かなことだと断言した。

 新たな人生を送っている祖父を、自分のわがままで甦らせるなど、してはいけないことだろう。


「あ、あの……」

 周囲から肘で押されて、ゲイツが立ち上がる。

「私の妻が、体調を崩してまして、それを治すとか……出来ます……よね?」

「出来る。こちらへ」

 そしてまた、同じことが繰り返された。

 帰還後、回復するどころか若返りさえした妻の姿にゲイツは驚くのだが、それは後の話。


 同じように、ささやかな願いを皆が叶えてもらっていった。

 あるいは、叶わずにいる方が良いのだと教えてもらった。

 不老不死でさえ、バルスの力をもってすれば他愛もないのだと。

 だがいずれ、それを望んだ者たちは、死を願うようになるのだと。

 だから望むのは、癒えない古傷を癒してもらったり、健康を取り戻したり。

 不思議と金銭を望むものはいなかった。あまり即物的なものなど、かえってもったいないと思った。


 サージだけは、何も望まなかった。

 否、望むのはこれからだった。




「では、お前たちを地上に送ろう」

「あの、出来れば麓の街まで送っていただければ」

 バルガスの言葉にも、バルスは鷹揚に頷いた。

「あの、リアちゃんは……」

「このまま、しばし時を待て。孵化すれば、我が幼子が送り届けよう」

「ここで待っていたら駄目ですか?」

 マールは待っていたかった。前回ではサージに説得されて、自分だけが先に帰還したのだ。今度は傍にいたい。

「よかろう」

「じゃあ、おいらも残るよ。食料とか水とか必要だし」

 サージは適当な理由をつけたが、元々残って訊きたい事があったのだ。


 まだ些か呆然とした一行が、転移の魔法で空間から消え去る。

「ちょっと、お腹すいたかも」

「ほら」

 サージの取り出したパンを食べ始めたマールをよそに、バルスは寄り添う幼子の角を撫でていた。

 考えて見れば、実の娘なのだから、母親としては可愛いのだろう。可愛いという当たり前の感情が神竜にあればだが、愛を語るからには子への愛情もあるはずだ。

「さて、人の子よ」

 視線は己の子に向けつつ、声はサージに向けられていた。

「お前はまだ、我に用があるのだろう?」

 見抜かれていた。当然のことだろう。あるいは人の心さえ読めるのかもしれないが。いや、読めて当然と思った方がいいのか。

「はい、ではまず一つ質問を」

 もう最初ほど怖くはない。慣れたということもあるが、精神に影響を与える異常に対する耐性を手に入れたからでもあろう。

「あなたは、もしかして転生者ですか?」


「転生というのはな、人の子よ」

 バルスは静かに語りかける。

「強靭な魂が、脆弱な肉体と精神を何度も乗り換えることを言うのだ。我ら竜は魂が摩滅するまで、同じ肉体であり続ける」

『ならばどうして、あなたは日本語を話せるのですか?』

 突然サージの口から洩れた未知の言語に、マールがぎょっとしている。だが今はとにかく、この疑問の問いが欲しい。

『あの形の世界とは何度もつながったことがある。その言語を覚えることは、難しいことではない』

 バルスもまた、日本語を使ってきた。


 サージは混乱した。

 かつてラビリンスと話した時に、元の世界に戻れないかと訊いた事がある。あっさりと否定された。

 それが今は、何度もつながったことがあると言う。

 ラビリンスは1000年を生きていた。

 最低でも3000年を生きている暗黒竜とは、知識の量が違うのだろう。

『あの、あなたはいったい何年生きているんですか?』

『分からん。だがこの惑星が生まれて間もなく、我は我で在ることを自覚した』

 それは、数億年、あるいは数十億年か。地球の歴史に比して考えると、それぐらいの年数になるだろう。

 これは、生物ではない。神ですらない。存在。ただ、そこに在るものだ。




 サージは溜め息をついた。

 異世界に転生すると決まったとき、わくわくしたのを覚えている。前世に未練がなかったわけではないが、新たな人生をブースト付きで送れると言われたとき、確かに嬉しかった。

 マンガや小説の主人公のように、魔法で無双することを夢見ていた。実際はオークに殺されかけて、リアに助けられたわけだが。

 この世界を物語とするなら、主人公はリアだ。あるいはまだ出会っていないが、存在するという勇者だろう。

 その中で自分は名脇役を演じたかった。

 そしてあわよくば美人の嫁さんを!

 ……そんな夢を持っていた。


 サージは即物的で、平凡な人間だった。

 魔法の天稟をもらっても、そもそも精神構造が違うのだ。

 それこそ、魂の強度だろう。リアがなぜ1012ポイントも貰って、この世界に転生したのか納得出来る。

 最初はチートだと思ったが、オーガキングとの戦いや、サイクロプスとの戦いを見れば、それは違うのだと分かった。

 リアは何も持たなくても強かっただろう。間違いない。

 だからと言って、自分の可能性を諦めてしまうのも嫌なのだ。

 せっかくだからおれTUEEEEEしたいのだ。

『あの、バルス様』

 ダイの○冒険における大魔法使いさんぐらいの活躍を夢見ても、罰は当たらないだろう。

『私に、スキルを与えてほしいのですが』


 その願いは叶えられた。




「さて、では次に ――」

 席に戻って卵を見守るサージとマール。

「待たせたな。入って来い」

 その言葉に、二人は素早く入り口を振り返る。

 誰もいない。

 いや、そう見えていただけだ。

「精霊魔法……」

 マールの呟きがサージの耳に入る。瞬きする間に、人影が現れていた。

 砂色の外套に、フードを被ったその姿。

 探索者だろう。だが、たったの一人。

 一人でここまで来るなど、リアでも不可能ではないのか。リアでさえ、休息は取っていたのだ。


 人影がフードを下ろす。露になったその顔に、二人は思わず身構える。

 彫刻のような美貌だった。褐色の肌に、長い銀髪。そして笹穂耳。

「ダークエルフ……」

 今度はサージが呟いていた。

 ダークエルフは魔族の一員だ。その魔力の高さは魔族の中でも屈指と有名だ。


 そしておっぱいが大きい。


 エルフと違って、ダークエルフはおっぱいが大きい。これは実は世界の常識である。

 外套を脱いだその服装は、白を基調としたものだったが、盛り上がる胸が目立った。

「お初にお目にかかります、暗黒竜バルス様」

 その場で跪いたダークエルフは、朗々と名乗りを挙げた。

「私は魔王陛下が臣、魔将軍が一人、レイ・ブラットフォードと申します」

 目にした瞬間、サージは鑑定を使っていた。


 レベル40


 ありえない。

 戦士ではないサージでも、これまでの戦闘経験から、雰囲気で相手の強さはある程度分かるつもりだ。

 鑑定のスキルは目の前のダークエルフが、たったのレベル40だと教えてくれている。

 能力値もそれほど高くない。スキルとしては、斥候系のスキル構成をしている。

 だが目の前の存在は、少なくともシズナよりは強いはずだ。そんな雰囲気がある。そもそもそんなレベルでは、この迷宮を踏破出来ないだろう。

 そこでサージは、ラビリンスに貰った魔道書にあった、より上位の鑑定魔法を使った。


 成竜たちには効果がなかったが、リアの能力は見えた魔法である。

 その時は意外なレベルの低さと、それに比例しない高い能力値に驚いたものだ。


 神照看破。

 まだ多量の魔力を必要とする魔法だが、サージは迷いなくその魔法を使った。

 そして分かる。やはり魔族は能力を偽装していた。


 ダークエルフさん、レベル138です。


 そして明らかになる能力値、技能。

 斥候というよりは、まるで暗殺者のようだ。いや、姿を隠していたことからしても、正面から戦うタイプではないのだろう。

 しかし強い。間違いなく強い。


「それで、我に何の用だ?」

 バルスが声をかける。その声には特に何の感情も含まれていない。相手が魔族の、しかも幹部であるというのに。

「私は主の命により、リアという人間を調べていただけです。しかしもし叶うなら」 

 ダークエルフの声には、必死さが滲んでいた。

「来るべき千年紀において、我が主にご助力を賜りたい」

「それは駄目だ。いや、不可能だ」

 バルスの答えに容赦はなかった。

「そもそもお前の主が何を考えているかが分からん。元勇者の魔王など、我の記憶においてもあれだけしかおらん」


 え?


「ちょ、ちょちょちょちょちょ、ちょっと待って! お話中すみません。ちょっと待ってください!」

 思わずサージは突っ込んでいた。慌てていた。動転していた。

「え? 魔王って魔族の王様ですよね? それを倒すために勇者が生まれるか、異世界から召喚されるんですよね? 元勇者の魔王ってなんなんですか!?」

 そう、田舎の子供でも知っている物語だ。

 千年紀において、魔王を倒すのは勇者だ。魔族の侵攻から人間を守るのだ。それが勇者だ。

 神々の祝福を受けて生まれたり、神々の残した魔法によって召喚される。

 だいたい最後はお姫様と結婚して、幸せに過ごすのが勇者のはずだ。

 勇者はいたはずだ。魔王を倒したはずだ。

「1000年前、勇者は召喚された」

 会話を邪魔されたにも関わらず、特に気分を害した様子もなく、バルスは答えた。

「アナイア達と共に魔王を倒し、その後魔王となった」


 それだけの話だ、とでも言わんばかりの、全く疑問を感じていないバルスの口調だった。

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