第35話 真紅の魔剣士

 都市国家ジェバーグは、シャシミール同様に、迷宮から産出される魔石や魔結晶の中継基地として成立している都市である。

 訪れるのは商人か探索者のみ。ごく稀に竜討伐を目的とした愚かな勇者が現れるが、全て屍を晒してきた。

 暗黒迷宮。その迷宮の主こそ、暗黒竜バルス。

 始祖レイテ・アナイアの伴侶にして、大陸最強の存在である。その力は神をも上回るという。




 入市税を払って街へと入るわけだが、簡単な質疑応答があった。

「商人には見えないが……探索者か?」

 疑問を持たれるのも無理はないだろう。ヘルハウンドはともかくとして、明らかな子供も含めた探索者など、そうそういないはずだ。

「いや、うちのお嬢が、竜が見たいと言うんでね」

 守衛の男は呆れた顔をした。

「飛竜はともかく、竜はそうそう見ることはないぞ。それに見つかったら、まず即死だ。せいぜい気を付けろ」

 薄情な言い方だが、変にまとわりつかれなくて良かったと思おう。


 ジェバーグの街は、シャシミール以上に力に溢れた街だった。

 行き交う人々に、明らかに探索者と知れる者達が多く、その技量も、迷宮都市を上回っているように思えた。

 何より、魔力の強い者が多い。純粋な戦士に見えても、おそらくは身体強化系の魔法を使うのだろう。


 守衛に教えてもらった宿に、馬車と馬を預けると、一行はギルドに向かった。ルドルフはギルドの使い魔専用厩舎に預けることになっている。迷宮には同行してもらう予定だ。




 ギルドの扉を開けると、そこは異世界だった。

 ただの比喩である。目付きの悪い男共が多数と、目付きの悪い女共が少数、新たに入ってきた集団に目を向ける。そして凍りつく。

 先頭に入ってきたのがリアだったからだ。

 鄙にも稀なる美少女である。卵から孵化して以来、ますますその美しさには磨きがかかっているのだが、あまり周囲からは言及されていない。


 しかしこの街の野卑な男共にとっては、目も眩むようなお宝に見えた。

 ギルドのカウンターに進む前に、リアの前に立ちふさがった男が現れた。

「お嬢ちゃん、こんな所になんの用だい?」

 浮かべる表情はひたすら下品、そして好色。

 リアの年齢に対してその反応はないだろうと思うのだが、発育がいいのがこの場合は裏目に出た。

「お前たちには関係ないな」

 そう言って横を通ろうとしたリアの前を、また違う男が塞ぐ。

 このあたりで、リアのさして大きくもない堪忍袋の緒が切れかける。

 慌てたのはカルロスやギグである。このところの殺伐とした旅路で、リアが好戦的になっているのは彼らにも分かった。

 そして好戦的なのはギグも同じなのだった。

「てめえら、姉御の邪魔をするんじゃねえ」

 そう言ったギグの巨体にも、チンピラどもはさほど威圧感を受けた様子でもない。

 感覚が麻痺しているか、それともそれなりの実力があるのか。どちらの理由もそれなりにありそうだった。

「兄ちゃんなら簡単に勝てるレベルだから、無茶してもいいよ」

 鑑定したサージはのんびりとカルロスに声をかけるが、それがまた三下どもの気に食わなかったようだ。

「なんだと小僧!」

「あんたらレベル32と34だろ? カルロスの兄ちゃんは67だよ」

 魔法使いの杖をこれ見よがしに振り、サージは言った。鑑定の魔法を使ったという証明である。

「上等だ、てめえ!」

「やってやるぞ、こらあ!」

「刃物は抜くんじゃないよ!」

 ギルドカウンターから声が飛んだが、止めようとはしない。


 そこからは、まあごく普通の展開だった。

 カルロスとギグが素手で片方ずつの相手をボコボコにして、ギルドの外へと放り出したのだ。

「いやあ、お嬢から体術を習っていて良かったな」

「全くだ」

 ハイタッチを交わす二人である。

 ようやく登録に向かおうとするリアだったが、まだその前に立ちふさがる人物がいた。

 

 女だった。いや、少女と言ってもいいぐらいの年齢か。

 さすがにリアよりは年上だろうが、ふてぶてしそうな面構えは、歴戦の探索者を思わせた。

 燃えるような赤い短髪。鎧も合わせたように赤い。黒尽くめのリアと見比べると面白い。

「やるじゃないか、あんたの護衛は」

 こちらを値踏みするような視線が不快でないのは、少女が美しかったからである。

 護衛じゃなくて、お目付け役と弟子なのだが、わざわざ訂正する必要もないだろう。リアは目の前の少女を観察する。

 腰には剣を吊るしている。立ち位置は肩幅。腰の位置、肩の線。剣の腕前は相当だとリアは見た。

 鑑定すればはっきりするのだろうが、全体の雰囲気から察するのも大事だとリアは考える。

(カルロスよりも強いかな?)

「まだ何かあるのか?」

 目の前の美少女には興味があるが、とりあえず登録を先にしたいのだ。

「いやね、今叩き出されたやつらは、一応あたしの子分でさ」

 ギラギラとしたいい目をしている。

「のされたまんま帰したんじゃ、面子が立たないんだよ」

 勝手な言い草である。それに対し、リアは二本指を立てた。

「一つ、最初にちょっかいをかけてきたのはそちらだ。二つ、騎士は女を斬れない」

 道理である。だがこの街では道理が通らないようだった。

 誰も止めようとはしない。むしろ囃し立てるばかりだ。カルロスとギグは顔を見合わせたが、どちらも少女と戦いたいとは思わない。

「この街で大事なのは、面子と力さ。がたがた抜かさず、相手になってもらおうか」

 リアがぐるりと振り返る。目で語る。キラキラと輝いている。

 この厄介ごとを、心底楽しんでいる。

 カルロスもギグも、それに対して頷くしかなかった。

「いいだろう。私が相手になってやろう」


 これには相手の少女も予想外だったろう。

「あんたが? お嬢ちゃん相手にしたら、この『真紅の魔剣士』シズナの名が廃るってもんよ」

「知らんよ」

 二つ名を名乗る相手に、すたすたとリアは歩み寄った。あまりにもさりげないその動きに、シズナは気を挫かれた。

 気が付けば、拳で撃ち合える距離だった。


 リアが手を伸ばす。視界を遮るように伸ばされた手を、シズナが払う。

 払おうとした手をそのまま巻き込み、リアは回転した。

「うあ!」

 関節を極める動きに、シズナは自らその場に転がった。


 膝立ちのシズナを、リアは見下ろす。その顔に笑みが広がっているのを見て、シズナの頭に血が上る。

「上等だ。表に出な」

 こんな簡単に転ばされて見逃したのでは、自分の面子が立たない。しかも相手は嘲笑っている。

 これはシズナの勘違いだった。

 仲間内でも、ルルーとカルロスしか知らない、リアの悪い癖だった。

 自分が強いと勘違いしている威勢のいい若者を、こてんぱんに叩きのめす。カサリア王国の騎士団や兵隊で、これにやられた者は多い。

 そういう時、リアは非常にいい笑顔をするのだ。

「面白くなってきたな」

 リアはますます笑いながら、ギルドの外に出る。ルルーが天を仰いで額に手を当てた。


 ギルドの前の通りで、見世物が始まった。

 走り出たシズナが剣を抜く。赤い光を帯びた、ミスリルの魔剣だ。

「姉ちゃん、その剣結構やばいよ」

 詳しくはサージも言わない。レベル125のオーガキングに勝ち、さらにその後も強くなっているリアには、それ以上の情報は無用と思った。

 それに鑑定によると、剣の力はリアには効果がないはずだ。

 通りを囲む観客は、無責任な調子で両者の比較をしている。だが今日この街に来たばかりのリアに、高い評価をつける者はいない。


 二つ名持ちのシズナは、その若さと外見から侮られることが多かった。

 その度に殴り合い、あるいは斬り合い、この街でその名を高めてきた。

 だが今までの相手は全て、見た目でそうと感じるだけの技量を持っていた。せいぜい同い年で、身長も自分と変わらない少女に侮られるなど、あってはならないことだった。

「抜きな」

 このままでいい、と言いそうになったリアだったが、いくらなんでも素手で相手をしてしまうのも可哀想だろうと思った。

 すらりと刀を抜く。手入れされたその刃は、日光の下で美しく輝いた。

 珍しい曲刀だが、その立ち姿は様になっている。シズナの頭は少し冷えた。

「ところで、こんな人通りの多い所で武器を振り回して、警邏の者に捕まらないのか?」

 今更の質問だが、重要なことではあった。

「周りを巻き込まない限り、お互いが承知の上なら死んでも大丈夫だよ」

 観客の中から声が上がる。リアはにっこりと笑ってそちらに会釈した。

 ならば問題はないだろう。たっぷりと楽しませてもらおう。

「おいで。遊んであげよう」

 シズナの顔が憤怒の赤に染まる。

「死ねえ!」

 渾身の突きでいきなり襲い掛かる。

 リアの虎徹がそれを受け流す。

 お互いの位置が変わった。

「そういえば、名乗っていなかったな」

 リアはまだ笑みを浮かべている。だがそれは、相手を嘲るものなどではない。

「私はリア。二つ名は…」

 ただ、戦うことを楽しむ笑みだった。


「お前を倒してから、ゆっくり考えよう」

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