第3話 竜への進化
その世界には名前が無い。
もちろん、神々に便宜上付けられた名前はあるのだが、世界に住む者たちはそれを知らない。よってその地はこう呼ばれている。
竜骨大陸と。
大陸の北西部に位置するカサリア王国。その王都アナイアスの下町に、アガサの魔法の店はあった。
庭付きの住居兼用の店である。アガサの10年間の冒険で得た財宝で買った、小さいながらも住みよい我が家である。
早朝、アガサは二階の自室で目覚めると、まず窓から見える庭を確認する。そこには日常となった光景があった。
「…どうしてああなったのかしら…」
広くもない庭で、自作の木刀を振るう愛娘の姿が、そこにあった。
レイアナ・クリストール、5歳。彼女の朝は日の出前に始まる。
動きやすい服に着替えて、自作の木刀を持って庭に出る。これは母から借りたミスリルのナイフで自作した木刀で、下手な金属より硬い黒鋼樹の枝から作った物だ。
庭に出るとまず柔軟体操をする。子供の柔軟性はたいしたもので、前世のストレッチがバカらしくなるほど簡単に、体が温まる。
基本となる動きで木刀を振った後、対する相手を想定して動く。
この世界には魔獣がいる。
狼や熊などという危険な野生生物はもちろん、究極のところは竜である。ドラゴンである。
アガサの話によると上位の竜は軽く一国を滅ぼすほどの力があるらしい。
そしてその竜の力を持つのがリアなのだ。
(と言っても、どうしたら使えるのかな)
見た目に反して凄まじい筋力や体力は既にある。
『自己認識』で確認できるのは『竜の血脈』の中にある祝福である。
『剛力』『高速再生』『高速回復』『頑健』『五感鋭敏』『熱耐性』が今のところ確認出来ている。このうち『熱耐性』は熱いスープを飲んでいた時に発現したもので、他は訓練をしている間に現れていた。
ちなみに技能の方は、前世で身につけたものがかなり再現されている。
一番高いのは『剣術』Lv7である。母の話によると、Lv7というのは達人レベルだそうだ。前世での修行が報われたようで嬉しい。
だが神にも等しいという竜の力と言うには、あまりにもしょぼいのも確かだ。
(やっぱりレベルを上げていくしかないのか)
現在のリアのレベルは5である。訓練をしていくうちに上がっていた。ちなみにアガサのレベルは35だ。
若い頃は相当無茶な冒険をしていたらしい。
そのアガサには、魔法も教えてもらっている。最初はさっぱりだったが、この世界の魔力というものが前世での気のようなものだと分かってからは早かった。
アガサは火魔法、風魔法、水魔法、物理魔法、術理魔法などを満遍なく覚えていて、それをリアに教えるのを日課にしている。
フェイと一緒に習っているのだが、制御はともかく出力ではあっという間に追い越してしまった。
「才能って…残酷です…」
フェイは言ったものだ。それはある、とリアは思った。とにかくこの肉体は、凄まじく高スペックなのだ。記憶力なども明らかに前世より良くなっている。
魔法の練習は詠唱によるものから始まって、魔法文字によるもの、そして自分の脳の中で構成する無詠唱まで、三段階に分かれている。
発動するのは詠唱が一番簡単だが、詠唱に時間がかかる。魔法文字によるものは、その場で字を書くか、書かれた物を持っている必要がある。
頭の中で構成するのは一番短いが、明確なイメージが必要だ。
この明確なイメージというのも、日本からの転生者にはアドバンテージがある。
魔法文字を頭の中に浮かべるのだが、その構成は日本語に近いのだ。漢字のように意味のある文字に、接続詞は平仮名。前世が日本人であるというだけでどれだけ有利か、リアはしみじみと体感したものだ。
リアが一番最初に教わったのは『能力鑑定』の魔法だった。アガサ曰く『敵を知らなければ死ぬ』ということだ。
この魔法を使うと、相手の祝福、技能、能力が全て分かる。もちろん対抗する魔法もあるが、基本的なモンスターには通用するらしい。敵の能力を知るというのは、確かに大事なことだ。
あまりにもレベル差があっても使えないらしいが、アガサの能力を鑑定するのには成功した。
アガサはこの他にも、実際の冒険で役に立ちそうな魔法を優先して教えてくれた。着火や浄水、治癒、解毒などといった魔法である。攻撃魔法はまだ習っていない。
リアの興味は肉体強化の魔法にあるのだが、それは今のところ祝福のおかげで間に合っている。
「リアならそのうち、時空魔法も使えるようになるかもね」
冗談っぽくアガサは言ったが、時空魔法というのが魔法体系の最高峰に位置するらしい。
後にリアは知るのだが、究極のものは創世魔法という。理論上でしか存在しない魔法であると言われている。
さて、朝の訓練を終えたリアは井戸から水を汲み、汗を拭くわけだが…。
(はあ……)
水に映った己の顔を見る。
(可愛い)
おそらく十人が十人、可愛らしいという容姿だろう。ふっくらとした唇。切れ長の目、肌は白磁のようで、鼻筋は通っている。
しかし、それが自分。それが俺。
ちなみに男になる魔法はないのか、と既にアガサには尋ねてみた。
「あるわよ」というのが返事であった。
「幻影の魔法を使うのが一番簡単ね。体から変えるなら変身の魔法が必要だけど」
おお、あるのかと驚いたところ、機能までは変わらないらしい。時間制限もあるそうな。
つまり本物の男になる方法は、アガサは知らないらしい。
ため息をつきつつ、リアは体を拭いていく。アナイアスの平均的な家には上下水道が引いてあるのだが、さすがに風呂まではない。
タオルでゴシゴシと体の汗を落していくうちに、リアは気づいた。
胸元が、固くなっている。
皮膚とは明らかに違う感触だった。よく見てみると、ちょうどみぞおちのすぐ上あたりが、4枚のウロコ状になっている。色は黒い。
(え? え?)
さすがにこれは驚いた。
「お母さーん!」
「これは…何かしらね?」
「リザードマンの血が混じっているとか?」
「リザードマンと人間は混血しないから、それはないと思うけど」
アガサとフェイがウロコを見つつ話し合う。
「竜人…かな? 何かの病気かもしれないけど」
「店長、その竜人というのは?」
ぴょこんと人差し指を立てて、アガサは解説を始める。
「竜と契約し、竜の力の一部をその身に宿したものよ。その象徴として、体の一部に竜の特徴が現れるんだけど…」
「契約してませんよね?」
「そうよね~」
では何かの病気なのか、と慌てて神殿に運び込まれる。この世界では神殿が医者を兼ねている場合が多いのだ。
「分かりませんな。というか、鑑定の魔法が効果がないというのは…」
あっさりと匙を投げられてしまった。
とぼとぼと神殿からの帰路を辿る三人であったが、途中でぴたりとアガサは足を止める。
「こうなったら、最後の手段に頼るしかないわね。フェイ、リアを連れて先に帰っていてちょうだい」
ローブを翻し、アガサは今来た道を戻っていく。それを見送ったフェイは、ため息をつきつつリアを見る。
「帰ろうか。大丈夫、店長に任せておけば、なんとかしてくれるよ」
「うん」
沈んだ様子を見せるリアであったが、なんとなく事態は把握していた。おそらくアガサの最初に言っていたことが正しい。
リアは竜と契約など結んでいないが、竜の血脈というギフトを持っている。これが関係しているのは、ほぼ間違いないだろう。
しかしそれを言ってしまえば、今まで隠していたことも話さなければいけないだろう。
転生し、前世の、しかも男の記憶を持つ子供。常識で考えたら気持ち悪いはずである。
しかもリアはその子供の特権を利用し、アガサの豊かな胸や、フェイのささやかな胸を、これまで存分に堪能してきたのだ。
うとまれるならまだいい。しかし捨てられでもしたら…。
(いや、なんとかなるかな?)
神殿に行って孤児院に入り、治癒魔法でお手伝い。もう少し大きくなったら剣の腕を活かした商売に就けばいい。
この世界、女の傭兵なんかもけっこういるのである。
人生を悲観しかけたリアだったが、その日は結局何もなかった。アガサも普通に魔法の練習をさせるだけだった。
次の日も何もなく、拍子抜けしたリアだったが、さらにその次の日に変化があった。
今までにない一張羅の服をリアに着せ、アガサ自身は上等のローブを羽織り、いかにも魔法使いでございという格好をしている。
店をフェイに任せた二人は、なんと馬車まで手配して、街の中心部を駆けていく。
「お母さん、どこ行くの?」
「お城よ。あまり気は進まないんだけどね」
お城!
「え? どうしてお城? まさかお母さん、貴族のお姫様だったとか?」
「いやいや、私は普通の農村出身の庶民だけど。ちょっと宮廷魔術師にコネがあるから、あなたを見てもらおうと思うのよ」
なるほど、それでこの格好というわけか。
馬車は巨大な門の前で止まり、そこから二人は徒歩となる。事前に話をしてあるので、咎められることもなく中に入る。
「おお~」
思わず声を上げるリアである。20メートルはある城壁の中は、石材で出来た建物が並んでいた。
前世の外国の建築には詳しくなかったが、ヨーロッパの街並みよりはむしろ、イスラムの建築を思わせる。
「リア、こっちよ」
迷いなくアガサは歩みを進める。目的地はしっかりとしているようだ。
やがてたどり着いたのは、あまり装飾の感じられない、図書館のような建物だった。
「ここがカサリア王国魔法省。賢者ルーファス様のいるところよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます