第7章 8

 天窓から伸びる月光の帯を横切ったのは、白く煌く氷の華だった。

 はらはらと舞い散る欠片は無残に抉れた黒い床を、ひび割れたドームの内壁を清めるように埋め尽くし、そして瞬きする間に凍てつかせていく。

 張り詰めた静寂と冷気に覆われた壮絶な白さの中、ウォルメントはゆっくりと顔を上げた。

『……っ……ふふふ……』

 恐ろしく美しい冷眼の先で、くぐもった……しかしあくまで軽やかな声が上がる。

 崩れた壁の岩砕にぐったりともたれたまま、ケレスは呻くように言葉を紡いだ。

『さすがは……オース家の呪力、だね。あのハラーレに競り勝っただけは、ある……』

 低く嗤うその動止に合わせて垂れ落ちるのは、赤い花弁を思わせるような彩。鮮やかな緑衣に包まれた少年の脾腹はざっくりと引き裂かれ、止め処なく噴き出す朱に濡れている。傷は内腑にまで達しているのか、口端から溢れる血もそのまま、少年は再びゆらりと身を起こした。

 僅かな距離を置いて向かい合ったふたりの周囲には、ばらばらに毀れ、折れ飛んだ鉱物片が散乱している。そのいずれもが完全に凍り付き、霜に覆われていることをみれば、どちらの力が勝っているかは一目瞭然と言うほかなかった。

 ふらつきながらももたげられた細い腕が、再び群れなす結晶を喚ぶ。

 血塗れた唇を歪めて嗤ったケレスの貌を、ウォルメントの双眸がひたと捉えた。

『……遅い』

 火花めいた燐光とともに、身を刺すような冷気が弾ける。

 雨霰と飛び来た緑晶を止めたのは、凍てついた地面から幻の如く出来した無数の氷刃だった。

 ひとつひとつが錐の如く研ぎ澄まされたその裡で、蒼白い呪力ちからが軋むような音を立てて煌めく。

 瞬きする間に伸張した絶対零度の槍衾は、明滅する翠を土塊の如く砕き、その勢いのまま小柄な体を思いきり串刺しにした。

『……っ、あ……!!』

 砕けた結晶とともに散った赤い飛沫が、蒼白い世界の上でグロテスクに弾ける。

 白い頚を晒したまま転げたケレスを、嫌味なまでに平明な声が打った。

『いくら貴族あなたでも、これ以上血を流せば死にますよ。いい加減、無駄な抵抗はしないことです』

『相変わらず……酷い、言い草、だね……』

 無残に抉られた左肩を、震える右手で覆いながら、少年はゆらりと顔を起こした。

『無駄な事なんて、何ひとつ、ない、のに……。全部、あのひとの……ため、なのに、さ』

『……まだ言いますか』

 寒気がする程美しい無表情を保ったまま、ウォルメントは不愉快そうに眉をひそめた。

『貴方の‘あのひと’を……ザフェル=トヴァ・カルタラス帝をその望みごとたおそうとしているのは、他ならぬ貴方自身でしょうに。それとも、彼の御方の望みが死であるとのたまうつもりですか?この国を昏迷に沈め、‘白き女神シュリンガ’の辱めに曝すことだとでも?』

 ゆっくりと広がり始めた血溜まりを震わせ、絶対零度の糾弾は続く。

 真冬の空を思わせるような眼差しと科白に応じたのは……しかしながら、麗人が予想だにしなかった反応だった。

『ふふ……あはは……あはははははは!!』

 塵埃まじりの静寂を無遠慮に裂いて響いたのは、甲高く爆ぜるような哄笑。

 見開かれた唐紅色の瞳の先で、赤黒く染まった唇が歪む。骨ごと引き裂かれた酷い創傷にその身を覆われてなお、少年の瞳は、不気味なまでに炯々と輝いていた。

『あのひとが……死を望んでる、だって……?何てこと……!!』

 血混じりの咳とともに嗤いながら、ケレスは心底呆れたとばかりに無事な右肩を竦めた。

『ルナンも、フィルナも……何も、関係ない。あのひとは、誰よりも生きることを望んでいる。誰よりも、ね』

 蒼白になった貌を傲然と上げたまま、少年はうっとりとした口調で言の葉を紡いだ。

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