第7章 3

『な……何しやがる!危ねぇだろうが!!』

『最後の仕上げじゃ。を加えて、色が変わるまでかき混ぜよ。そうしたら、完成よ』

『い……色が変わるまでって……』

『そうよのう……』

 手の内のガラスを見つつ青年が零した科白に、マリアンはひょこりと首を傾げてみせた。

『半日……くらいかの』

『は……!?』

『ハル様ー!手元ヤバいヨー!』

 思わず荒らげようとした声は、間延びしたシネインの科白に呆気なくかき消される。慌てて手を動かし始めたハルの様子を知ってか知らでか、下がり気味の瞳を瞬かせながら、マリアンはふと気怠けだるげな吐息を零した。

『それまで、退屈よの。何ぞ面白いことでもしてみせよ』

『そんな余裕があるように見えるか!?自分の暇ぐらい自分で潰せ!!』

『じゃ、じゃあ、ワタシ!一発芸やります!!今ウチの地元で流行ってる踊りなんですけど……』

『馬鹿、止せ!器具が倒れる!!あっちでやれ!!』

『ハル!ツクエ、ヤバイ!キケン!』

『うるせぇ!!お前は黙ってろ!!』

 肩を怒らせて叫ぶ己と、妙なテンションで奇怪な動きを始めたシネイン、そして彼女の横でおろおろするアースをよそに、少女貴族はころころと笑うばかり。

 その麗らかな声を伴に、ハルが思わず零したのは……明らかな絶望と、もはや悟入の域にまで達した諦めの吐息。いずれにせよ一抹どころではない悲壮感を湛えたまま、ハルはやけくそじみた勢いで玻璃瓶の栓を抜いた。

『……言い忘れておったがの、真冷水は急激に空気に晒すと爆発するぞ。気を付けよ』

『そういうことは、先に言え――!!』

 再びこだました魂の叫びに、甲高い破裂音が重なる。

 周囲で勃発した喧騒の渦の中、ラグの上の白猫だけは、幸福そうな顔でただとろとろとまどろみ続けていた。




 ルナン帝国の首都ランス――古い言葉で‘黒の都’を意味するというこの一大都市は、今や華やかな宵を迎えようとしていた。

 なだらかな丘陵地帯に建てられた壮麗な皇宮は幻燈のような赤い灯に照らされ、漆黒の城壁を蜃気楼の如く浮かび上がらせている。その周囲を幾重にも囲うようにして建つ貴族の館と思しき建造物群もまた、外壁は黒一色ながらも、色とりどりの灯りによってそれぞれ艶やかに彩られていた。

 悲鳴のような音とともにデッキを抜ける夜風は、早朝の薄氷の如く清冽で冷たい。

 浮遊船の甲板を囲む手摺に軽く腰かけたまま、青年は、地上に広がる幻想じみた光景をぼんやりと見下ろしていた。

燐燈りんとうよ』

 振り返ったハルの背後に音もなく現れていたのは、彼よりも幾分小柄な影だった。

 薄水色のドレスの裾が、微かな音を立てて甲板を滑る。その腕に抱いた白猫をゆるゆると撫でながら、マリアンは再び言の葉を継いだ。

『第三位以上の貴族はランスに居を構えるのが決まりじゃが、黒一色の館など無粋であろう?故に、家章の色を付けた燈水晶で飾り立てるのよ。表札代わりと思うておけばよいわ』

 再び下界を映した青年の視界を、か細く真っ白な指が過ぎる。その先には、皇宮からやや離れた一角で蛍火のように揺らめく色彩の群があった。

『そなたの家も……ほれ、そこに。あれが、ヴァイナスの館よ』

 美しい色が様々にひしめく中、一際大きく輝いていたのは、不気味なまでに濃い紫色。

 思わず身を乗り出した青年を面白そうに見遣りつつ、マリアンは腕の中の愛猫をするりと離した。

『昼間は御苦労であったの』

 駆け去った白い影――幸いにも、正気を取り戻したらしい――を見送った少女貴族が懐から取り出したのは、ごくごく小さな硝子瓶だった。

 内で揺蕩たゆたうのは、彼女の装束と同じ色をたたえた透明な液体。美しくも妖しげなその彩は、青年が作った渋面をまるで鏡のように映し出していた。

『なかなか良い仕事ぶりであったぞ。褒めてつかわす』

『……どうも』

 ぶすくれた一言とともに手摺から降りたハルをよそに、マリアンはあくまで優雅に口角を上げた。

『なに、初めてにしては上出来じゃ。ハラーレは、配合を間違えてものの見事に爆発させおった。おかげで、わらわの館は阿鼻叫喚の地獄絵図よ。無論、後できつく灸を据えたがの』

『父上の事、知って……!?』

『……そこそこに、長い付き合いよ』

 驚きに詰まったハルの問いに、美しき少女貴族はふと婀娜っぽい笑みを深めた。

戦場いくさばでは天魔のように働きよるくせに、それ以外ではまあもうどうしようもない野暮天での。よう尻を叩いて絞り上げたものじゃ。そなたと瓜二つの阿呆顔で、馬鹿騒ぎをしておった故の』

 深紅の瞳を微かに駆けた驚きはしかし、程なく閃いた事解の中に溶けた。

 ‘強力な呪力は、その持ち主に長い寿命と不老の肉体をもたらす’という方式――所謂‘ギモールの範’――はフィルナでもルナンでも等しく理解されており、特にルナン貴族は全員がその範疇に入る。多くは二十代から三十代にかけて身体の成長が止まると言われているが――例外も、それなりにはいるらしい。

 思わず黙した青年を知ってか知らでか。艶やかな断髪を夜風に遊ばせたまま、マリアンは再び口を開いた。

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