第3章 9

『……発言をお許しいただけるのならば、陛下にひとつ、お伺いしたい儀がございます』

 血の気の引いた唇から零れ出た声が、朧に揺らめく篝火を揺らす。

 返された沈黙を是と取り、セレナは震えを帯びた両の手を再びきつく握り締めた。

『五年前、御国とフィルナ国家連合との間に休戦協定が結ばれた際、兄と私は十八になるまでフィルナ西王国に身を置くよう、取り決められたと聞いております。我が父が西王国にそう要請し、ルナン帝国側もそれを認めたと。それなのに……いえ、未だその時には至っておりませんのに……何故、このような形で私をお召しになったのですか』

 恐ろしく丁寧な糾弾にも似た問いに、熾火のような虹彩が明度を増す。

 口元に刻んだ微笑を深め、男はセレナのおとがいに掛けた指をつと滑らせた。

 ガラス細工のような爪は滑らかな頬を伝い、そのまま桜色の唇へと辿り着く。

 視線と挙動の両方で言葉を封じられた乙女を、甘やかながらも酷薄な声が包んだ。

『……なかなか良い声で啼く。それに……風と水か。複数の呪力要素ちからを重ね持つ者など、皇家以外には滅多に出ぬというのに。なるほど、フィルナに置いておくには、確かに惜しい』 

 低い嗤いとともに指を引いた男は、豪奢な衣をさばいてふわりと立ち上がった。

 その所作に反応し、即座に暗がりから進み出てきたのは、自動人形オートマタさながらに表情のない二人の美童。

 彼らが捧げ持ってきた鮮やかな緋色のローブをその身に纏いながら、美貌の帝は優雅に眼を細めた。

『……ハラーレ・ヴァイナスが第二子、セレナ・ヴァイナスよ。ルナン皇帝ザフェル=トヴァ・カルタラスの名において、この皇宮に留まることを許す』

 複雑な模様が織り込まれた綾錦が、罅ひびひとつない漆黒の床を艶やかに彩る。

 しかし、次の瞬間。その美しい対比を縫って響いた声は、セレナが必死で保ってきた平常心を一気に突き崩すこととなった。

『東の塔を与えるゆえ、ゆるりと寛ぐがよい。そう……そなたの兄がここにまかり越すまで』

『…………!?』

 厚情の名を騙った紛れもない「命令」に、乙女のかんばせが今度こそ完全に凍りつく。

 終には思考までをも封じられたセレナをよそに、ルナン皇帝――ザフェルは、残酷なまでに麗しい貌で微笑わらった。

『そなたの兄も、面白き歌を奏でると聞いておる。いつか存分に啼かせてみたいと、我が使い魔が褒めておったわ』

『……まさか……陛下……!!』

 思わず立ち上がりかけたセレナの挙措は、しかし甲高い金属音とともに瞬時に止まった。

 一瞬のうちに彼女を阻んだのは、無貌の少年達が掲げる美々しくも鋭い儀仗。

 哀れ囚われた籠の鳥の横を、血が滴るが如き赫色が滑らかに通り抜ける。

 背後を一顧だにせぬまま発せられた科白は、気に入りの玩具を見つけた子どもの歓声のようにも……あるいは、人形を弄ぶ傀儡師の嘲笑のようにも聞こえた。

『丁度日常に倦んでいたところよ。せいぜい、無聊を慰めてもらおうぞ』




彼の者は、‘闇夜の王クヴェラウス’が現世うつしよに産み落とした熾火おきびの種


その右手に荒ぶる炎王の刃を握り


その左手に凍える肌の水妖を従え


その右足を大いなる風神の翼に運ばせ


その左足には旧き地霊をもぬかずかせる


四色の闇の力を以って常夜の国を平らげ、‘白き女神シュリンガ’をも喰らわんとする赫なる龍トヴァ・カルタラスなり



~赫なる龍の四眷属――フィルナ西王国古詩歌集『挽歌』より~

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る