第2章 7

 ――こいつ、貴族か……!?

 ルナンの皇族あるいは貴族は各々の家章シンボルカラーの古称を姓として用いており、その彩度が高ければ高い程、身分も上がると言われている。

 皇家の赫色カルタラスを筆頭に、瑠璃色オース深緑色ファイズ紫色ヴァイナス黄色イクス……それらの次点程度には列挙されるであろう翡翠色ヒルズを挙げた少年の名乗りは、青年の脳裏に紛う事なき戦慄の網をかけた。

『てめぇ、一体…………』

『何しにきたんだ、って?』

 警戒の度を増した青年の言葉をこともなげに継ぎ、少年ケレスはゆっくりと両手を組んだ。

『強いて言えば、‘奪還’……かな?取り返しに来たんだ。僕達の、正当な権利をね』

『正当な……権利……?』

『君のことだよ、ハラーレ=ラィル』

『…………?』

 再び疑問に曇った青年の視界を、天使の微笑がふわりと過った。

『ヴァイナス家は帝国第三の大貴族。ハラーレを含めて、過去に何人もの‘支配者’を出している名家なんだ。その時期当主を……いくらの遺言とはいえ、いつまでもフィルナこんなところに置いておくわけにはいかないでしょう?』

『…………!!』

 つらつらと並べられる苦笑じみた科白に、ハルの頬にさっと朱が差す。

 驚愕から疑念、そして憎悪にも似た怒りへ。その理由をめまぐるしく変えながら歪んだ貌を置き去りにしたまま、弾むようなケレスの声は続いた。

『はやくルナンこっちによこしてって何度も書簡を送ったのに、は拒否すらせずに無視を決め込む始末。だから……いい加減、痺れを切らして迎えに来たってわけさ。君を、ね』

『ふざけるな!』

 少年の言葉を遮るように迸ったハルの声は、激昂で半ば割れていた。

『なめた口を叩くのも大概にしろ!その先代を……父上を殺したのは、お前達だろうに!!』

『……殺すとは、人聞きの悪い』

 殺気を孕んだ紅眼を無感動に見下ろし、ケレスはするりと瞳を絞った。

『僕達はただ、ハラーレの意思を尊重しただけだよ?彼が決めた事をしかるべき方法で裁定した上で、それなりの対処をしたまでさ。まあ……結果として、彼の首と胴とを切り離すことになっちゃったけれど、ね』

『…………っ!!』

 眼も眩むような激情に染まった視界の中、相も変わらず軽やかな声がくつくつと響く。愛らしいその残滓をどこか遠くで聞きながら、ハルは焼け爛れた両掌をきつく握り締めた。

『……父上が俺をフィルナに遣った理由が、よく分かったぜ』

 中空に佇む少年を振り仰いだ青年が、感情のない口調で言の葉を紡ぐ。しかし……その瞳はまるでふつふつと燃える熾火の如く、静かな滾りに震えていた。

『ヴァイナス家の事情なんぞ、体のいい言い訳だ。お前等はそれをダシに、戦の道具を取りにきただけだろう……‘死神’の代わりにフィルナを潰させるための、人形をな!!』

 怒号とともに振り上げられた大鎌の軌跡が、甲高い風の唸りとともに閃く。鋭く光るその切っ先は、真っ直ぐに少年の細首へと向けられていた。

『俺は、ルナンおまえらの道具にはならない……!どっちに付くかは、俺自身で決めてやる!!』

 抜けるような蒼空を突き抜け、激烈な呵責にも似た鋭い咆哮こえはわんわんと響く。

 しかし……焔のようなその啖呵に相対したのは、どういうわけか場違いな程間延びしたため息だった。

『……やっぱり、そう言うかぁ』

 一瞬戻った静寂を捉えた声は、相も変わらず無邪気な気色を保ったまま。

 紛い物の翅を器用に萎れさせながら、少年は芝居じみた仕草でがっくりと脱力した。

『というかむしろ、それが普通の反応だよね。まあ、分かってはいたけれど……』

 気の抜けた愚痴のような科白に気勢を削がれたのか……無言で佇むハルを映した緋眼が、苦笑じみた色を乗せて瞬きした。

『いきなり来た見知らぬ人間に、四の五の言わず一緒に来い!……なんて言われたら、普通は引くよ。第一、今回の事は君自身にとっても相当の一大事だもの。嫌だと言われてしまえば、それこそ仕方がないさ。両方の意味で、ね』

 文字通りお手上げと言わんばかりに手を振り振り、少年は道化者のように嗤う。しかし……その両の目の奥には、驚く程に冷徹な光が宿っていた。

『だけど……僕達も、手ぶらで帰るわけにはいかないんだよね』

 不意に間を穿った唇が、三日月のようにつり上がる。

 そこから漏れた言の葉は……次の瞬間、ハルの脳を氷の彫像へと変えた。

『だから、それを見越して、予防策を用意してきたのさ。そう……にも頼んでみるっていう、対案をね』

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