助けた自殺未遂の美人OLは初恋の女の子でした

きり抹茶

前編 ~絶望から救われた手~

 平日の昼下がり。社畜な俺は駅のホームに設置されたベンチに腰掛けていた。


「はぁ……」


 無意識に溜め息がこぼれる。今は帰宅中だ。長く続いた労働から解放され今や自由の身なのである。せっかく三時間空き時間を貰えたのだから全身全霊で喜ぶべきなのだろう。だが今の俺には元気が無い。


「辛い……」


 家に帰るのは一週間ぶりになるはずだ。記憶が曖昧でよく覚えていないが。ろくに寝ないで徹夜状態が続くと頭がまともに回らないんだよなぁ。帰ったら即爆睡してやる。


 ベンチの背もたれにどっかりと腰掛けて辺りを見回してみる。杖をついたおばあちゃんや買い物帰りと思われる奥様方などがちらほら電車待ちをしていたが、人通りはまばらで平穏な時間が流れているように思えた。


 そんな中、背広を羽織り今にも死にそうな顔のが一人。周囲からはさぞ冷ややかな目で見られていることだろう。あぁ、会社辞めてぇ。働きたくないしなにもしたくねぇ。


 自嘲気味に笑い、視線を遠方に移す。するとホームの端の方でぽつんと女性が立っているのが見えた。


「何してるんだ……?」


 女性の周囲に人はいない。だがそれもそのはず。この時間に走る電車は短い編成なので彼女がいる辺りに列車は停まらないのだ。もしかして気付かないで待っているのだろうか。


 しかし俺は嫌な予感がした。同族の匂いを感じたというか……。眠たい目を凝らしてよく見てみると、女性はかなり若いようでリクルートスーツを身にまとっており項垂うなだれた格好をしていた。

 あれは社畜かストレスに押し潰された新入社員だな。絶望というマイナスオーラが遠くからも伝わってくるぜ……。


 会社に行きたくない、でも逃げられない。そしていよいよ追い詰められた時、人はどうするのか。果たして、ホームの端に立つ女性は本当に電車を待っているだけなのだろうか。

 ちなみにこの駅は急行列車が猛スピードで通過する――まさか飛び込むつもりか、あの子。


 俺の思い違いかもしれない。だがもし本当に今、ここで飛び込まれたら非常に困る。人身事故になれば間違いなく電車は足止めされるし、俺は帰宅の手段を変えざるを得なくなる。

 つまり俺の超貴重な休憩時間を浪費することになるわけで、それだけは絶対に阻止したいと思うのだ。自ら命を絶ったらダメよ、とか人様に迷惑をかけちゃダメでしょ、なんて思いもあるが、今はとにかく自分を優先したかった。暖かい布団で寝たいんだよこっちは。


 重い腰を上げて歩き出す。通過列車はもうすぐ来るだろう。呑気に考えている暇はない。もし俺の勘違いだったとしても相手は所詮見ず知らずの他人だ。どうせ二度と会わないのだから思い切って引き止めよう。


 ただ……ストレートに飛び込むなと言うのは不味いだろう。興奮して暴れられたら困るし。そしてセクハラまがいで通報されたら俺の人生詰むし。


 ではどうやって声を掛けるべきか……。歩きながら考えてみたが、徹夜状態の脳ではピンとくるアイデアが浮かばず、結局女性の前まで来てしまった。


 女性が俺の存在に気付き、こちらに振り向く。近くで見ると顔のやつれ具合がよく分かったが――同時にとても整った顔をしているのだと気付いた。

 小さくて丸い輪郭に大きな瞳と艶やかな唇……。茶髪のボブカットも彼女によく似合っていて可愛らしいと思った。


 まさかこの子が本当に……? 見た目で判断するのは愚かだと思うが、こんなにも可愛いのなら他に逃げ道があるのではないか……?

 しかし他人の事情は俺には分からない。今更引き返すこともできないから、とりあえず声を掛けるとしよう。



「あの……。いい天気ですね」


 うわあああああ何言ってるんだ俺は。

 いきなり会話に困ったときの常套句を繰り出してどうするんだよ。ナンパだと思われたかもしれんぞ。……いや、ナンパでも天気の話題なんて振らねぇわ。


「え…………!?」


 俺は今すぐ脇の線路に飛び込みたい衝動に駆られたが、女性はドン引きするような素振りはなく、むしろ目を丸くして驚いているようだった。一種の高等ギャグと勘違いしたのだろうか。知らんけど。


「みっくん……?」

「……えっ!?」


 戸惑いながらも彼女が発した言葉に、今度は俺が驚いた。何故、という思いが脳内を駆け巡る。


 何故……なんでこの子は俺のを知っているんだ。しかもその呼び方って小学生の頃の――


 記憶がぱらぱらとページを捲るように蘇っていく。この子は誰だ。同級生か、友人か……?

 いや待て。俺を「みっくん」と呼んでた子って一人しかいなかったじゃないか。まさか。


 女性の姿を今一度よく見てみる。透き通った瞳と小ぶりな鼻、丸い輪郭……。頭の中に残る映像と照らし合わせてみると思い当たる節が次々と湧いてきて、疑念が確信に置き換わった。


夏鈴かりんちゃん……?」


 十年以上前、同じクラスで仲良くなって子供ながら恋愛感情を覚えた初恋の女の子――倉島くらしま夏鈴かりんに間違いなかった。両想いで恋人ごっこをしていたけれど、彼女が突然転校することになって以来会っていなかったんだよな。


「うん……! やっぱりみっくんなんだ。でもなんで……。あ、私もう死んじゃった? ならここは天国、地獄なのかな? でもみっくんがいるなら天国か」

「いや勝手に俺を殺すな!」


 とんだ巻き添いを食らった気分である。それにしても……少し抜けた感じというか、天然な所は変わってないな。懐かしい……。


「じゃあ……本当に私、みっくんと会えているの? 凄い、信じられない……」

「俺もだ。東京に転校したのは聞いてたけどまさか会えるとは思わなかったから」


 俺も社会人になって東京に引っ越したから、もしかして夏鈴ちゃんと再会できるかも……なんて淡い期待も当初は抱いていたが、そもそも連絡先は知らないし、約1400万人いる都内から1人を見つけ出すなんて無理ゲーだから期待するだけ無駄だと思っていたのだ。今この瞬間に至ったまでの全ての事象に感謝したい。


「凄いよ、本当凄い。マジで凄いよ」

「語彙力低下してるぞ」

「だってもうヤバいんだもん……。今みっくんと会えるなんて奇跡だもん……」


 と言ったのが意味深に聞こえたが、夏鈴ちゃんも俺と同じく驚いているようだった。それにしても……。あの頃と比べるとかなり変わったよな。なんせ十年以上経っているのだから当然ではあるが。


「髪、短くしたんだね。昔は長かったのに」

「そうそう! 短大に入る時にイメチェンになるかなーって思って切ってみたの」

「なるほど……。ってか短大に行ってたんだね」

「そうなんだよ! あー、お互い知らない事ばかりだね」

「……だな」


 まるで未来にタイムスリップしたような感覚だ。俺の知る夏鈴ちゃんは元気でおてんばな小学生だったから、こうして大人に成長した彼女を見ると……感慨深い気分になる。


 転校してからの彼女はどのように過ごしてきたのだろうか。学生生活は楽しめていたのだろうか。そして今……まるでこの世の全てに絶望しているかのような顔をしていたが、一体何があったのだろうか……。



 ホームに通過列車が近付いている旨のアナウンスが鳴り響く。線路の先にはぐんぐんとこちらに向かってくる電車が確認できた。


 俺が話し掛けなければ彼女はあの電車に――想像するだけで胸が押し潰されそうな気持ちになる。でも、夏鈴ちゃんはまだ諦めていないかもしれない。


 列車がホームに滑り込み、俺達のすぐ脇を通り過ぎる時……。俺は半ば強引に夏鈴ちゃんの肩を掴み、引き寄せながら抱き締めた。どこにも行ってほしくない。その思いだけで反射的に動いた行動だった。


 彼女の驚いたような声が聞こえたが、通り過ぎる列車の轟音でかき消されてしまう。ただ、抵抗はしていないようなので一先ず安心できた。


 列車は一瞬で過ぎ去り、ホームは再び平穏で静かな時間が流れ始める。もう夏鈴ちゃんを手放しても問題ないだろう。しかしまだ彼女に触れていたいという己のエゴイズムが脳内を支配していた。

 華奢な身体だけど暖かくて確実に生きている感触。間に合って良かった。本当に、良かった……。


「みっくん……?」

「あ、悪い!」


 慌てて腕を離す。夏鈴ちゃんの頬は赤く染まっていた。いくら恋人の経験があったとはいえ、いきなり抱き締められるのは嫌だったか……。

 それと何故か視界がぼやけてきたな。疲労と睡眠不足の所為だろうか。目の前にいる夏鈴ちゃんの表情がよく見えなくなる。


「みっくん……泣いてる?」

「え……!?」


 咄嗟に手のひらで目元を拭う。すると視界が元に戻り、今自分が涙を流していたことに気付いた。無意識に泣いてたのか、俺……。


「恥ずかしいな……。夏鈴ちゃんに会えたのが嬉しすぎて泣いちゃったみたいだ」

「もう止めてよそんな事言うの。…………私まで泣きたくなるじゃん」


 今度は夏鈴ちゃんの方から身体を俺に預けてくる。胸元に触れている彼女の髪から女子特有の甘い香りが漂ってきた。それはどうにも形容し難いものだけど……恋人時代の当時を思い出させるような懐かしい香りだった。


「もう私飛び込まないから……大丈夫だよ」


 ポツリと一言。震えた声で夏鈴ちゃんが呟いた。表情は伺えないが、恐らく彼女は涙を流しているのだろう。


「……分かった」


 やはり自ら命を絶つ決意をしていたのだ。元気に満ち溢れていたあの夏鈴ちゃんがここまで追い詰められていたなんて……。できればもっと早く助けたかったが、生きている時に会えて良かった。本当にこの一言に尽きる。


 夏鈴ちゃんは俺のジャケットを両手で摘みながら泣いていた。身体を震わせながら静かに泣いていた。落ち着いて満足するまで……俺は無言で彼女の髪を撫で続けた。

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