第42話 わたしのきおく

「何がトリキの錬金術師よ! 飲食業が大変なことになってるってのに、どうして自分が得することしか考えられないわけ?!」



 何杯目か数えることもやめたビールのジョッキを空にして、私は一人クダを巻く。

 いつもよりも回転の遅い店内。

 釜飯だけを頼む客の多さ。

 何もかもが気に触る。


 そもそも仕事でミスをして機嫌が悪かったところにこれだ。

 大好きなトリキに来ればストレスも解消できるはずだったのに。


 ここから見える釜飯を食べている人たち全員が、みな七十九円しかトリキにお金を落とさないのかと考えると、悲しくなった。

 せめて私が、あの人たちの分までお金を落とそう。

 私はひたすらビールを飲んだ。

 焼き鳥を焼くよりも、チューハイを作るよりも、ビールを注ぐ方が店員さんの手間にならないんじゃないかと思って。


 散々飲んで酔っ払った私は、財布に入っていた現金を全てレジのお兄さんに渡して店を出た。

 釣りは要らないと言う私にお兄さんは困惑していたけれど、無理やり押し付けた形である。

 定期があるから電車賃も必要ないし、明日は休みで予定もないし、財布に現金がなくても問題なし。


 目の前でエレベーターの扉が閉まってしまったので、私は階段を降りることにした。

 古びたビルの階段。

 少し蹴上の高い階段を降りていく。

 ずっと座って飲んでいたからか、歩く度に身体中にアルコールが回っていくような気がした。

 ここ最近は忙しすぎて、お酒もあまり飲めていなかったから、余計に酔っ払ってしまったようだ。


 踊り場から足を踏み出して片足だけになった時、視界が揺れてバランスを崩す。

 危ないから手すりに掴まろうと手を出したが、既に身体は想像以上に傾いていて。

 声を上げる間もなく、私は意識を手放した。



(これ、私が死んだ時の記憶? ……このあと……どうなったんだっけ……私がどうやってフローリアになったのか、何も覚えてない……それに、フローリア自身の記憶も……六歳くらいからしかないし……)



 階段から落下して死んだ後、どうやら私は肉体から抜け出したらしい。

 魂というやつなのだろうか。

 とはいえほとんど自力で動くことはできず、くらげのように気流に乗って流されていた。


 時の流れも曖昧になって、死んでからどれだけ経ったのかも分からない。

 いつからか乗っていた流れは、遥か上空にある大きな歪みに向かって吸い寄せられているようだった。

 初めはゆっくりだった流れは歪みに近付くほど早くなり、最終的に物凄いスピードで吸い込まれた私は、その勢いのまま別の場所へと吐き出された。

 空中に飛び出たと思った次の瞬間には目の前に地面があって、地中深くまで潜り込んでようやく止まった。


 何に遮られるわけでもないため、地上に向かって進むのは苦ではなかったが、自力で動くことはかなりしんどい。

 自分を形作っているものが、どんどんすり減っていくのを感じていた。

 ようやく地上に出れたのだが、そこは森の中。

 地球とは空気が違うのか、いくつもの気流が複雑に絡み合っていて、乗ってはみたものの気持ちのいいものではなかった。

 それに、気流に乗っているだけのはずなのに消耗していくスピードは変わらず、このまま何もせずにいれば私は消えてしまうのだろうなと思った。


 何がしたいわけでもなかったけれど、消えてしまうのは悲しい。

 どうにかしたいが、どうすればいいのだろう。

 少し漂っていると、遠くの方から何かの気配がした。

 そういう気配みたいなものを感じ取ったのが初めてだったから、私は漂うのをやめ、気配の方向に進んでみることにする。


 小屋と呼ぶには立派すぎるが、家と呼ぶにはこじんまりとした建物が見えてきて、感じる気配がいっそう強くなった。

 扉には魔法陣が刻まれていて、中には入れないようにしてあるようだった。

 感覚的にだが、今の自分には効果のないものだと分かり、そのまま壁をすり抜けて中に入ると、そこには人の形をしたナニかが大量に転がっていた。



(これ……全部私だ……私の身体? でも、生きてない……そもそもこれは……人間じゃない……よくできた人形? それにしてはあまりにもリアル……。扉に書かれてたのはおじいちゃん以外の立ち入りを禁じる魔法陣だった……おじいちゃんはフローリアを作ろうとしてたの? でも人体の錬成方法が載ってる資料なんて見たことない……そもそもそういうのって禁忌だったりするんじゃないの? まぁ……禁忌だからって手を出さない人ではないけど……)



 幼い頃の自分と全く同じ見た目をしたナニか。

 その全てから、それぞれ小さな力を感じる。

 肉体の中心に埋め込まれている核から発せられているらしい。

 さっき感じた強い気配もその中に紛れていて、重なり合う身体をすり抜けながら探すと、山の中程にソレはあった。


 薄い桃色のソレは、私に反応しているようだった。

 私が近付くと反応が強くなり、薄かった桃色がどんどん濃くなっていく。

 これと同化すれば、消えなくて済むかもしれない。


 考えている時間はなかった。

 私はほとんど消えかけていて、この建物から出ることすら、もう叶わないだろうと思った。


 私は溶けるようにソレに吸い込まれ、そして、同化した。



(消耗が激し過ぎて、記憶として残らなかったんだ、たぶん。)



 そしてフローリアは目を開いた。

 得た肉体を動かそうとするが、上手く扱えない。

 動かそうと思ったところとは別のところが動いてしまう感覚で、私はとりあえず手当たり次第に全身を動かした。

 室内に動くものがあれば感知するようにしていたのか、すぐに小屋におじいちゃんがやってきた。

 おじいちゃんは私を見て大いに喜び、涙し、そして私を育ててくれた。



(六歳くらいまでの記憶がなかったのは、そもそも存在しなかったからか……そういえば私、どうしてこんなの見てるんだろう、何してたんだっけ……)



 どこかから、私を呼ぶ声がする。



(ああ、そうか、コーリリアを庇って……あれ? でも刺されたくらいじゃどうにもならないと思うんだけど……あのナイフ、なんか特別製だったのかな。うわ、もしかして背中の魔法陣になんかあった? おじいちゃんに怒られる……やだーーー!)



 目の前の世界が回転し、私の叫びは飲み込まれた。

 私を呼ぶ声に引っ張られるように、意識が浮上する。


 目を開けて上半身を起こしかけた私は、号泣したコーリリアにものすごい勢いで抱きつかれて倒れ、後頭部を強かに打ち付けて再び意識を失ったのだった。

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