第7話 少女の読みは、外れない

 時折庭園に風が吹き抜けて、葉の擦れる音が耳を掠める。世界に取り残されたようにゆっくりと時間の進むその空間では、チェス盤に駒が走るカツカツという無機質な音が、異様に大きく感じられた。


「リリアーシャ、他に欲しいものはないか?」


 一手、また一手と順が回るたびに白と黒の駒の数が変動する。駒がチェス盤や他の駒にぶつかる音に聞き入りながら、やっと精神力を取り戻したアウレリウスは、目の前の少女に声をかけた。どうしても過保護になってしまうというか、馬鹿な息子から現在進行系で受けている悪評被害を、軽くしてやりたい、いや、せねばならぬと意気込んでいる。彼女を縛り付けているのは他でもなく、アウレリウスなのだから。


 少女は意外そうにアウレリウスの瞳を見返してから、ふむ、と長考するように顎に手を当てた。


「でしたら紹介状を一筆いただけますと幸いです」

「紹介状?」


 コツ、と黒い駒が白い駒を倒す。倒れた駒を拾い、リリアーシャに渡してやる。


「ことが済みましたら王室と繋がりのある宝石商に、陛下から頂いた宝石を換金に参りますので」

「う、売るのか!? 私と王妃の贈り物を!?」


 本日三度目の驚愕、アウレリウスはテーブルにバンと手をついて勢いよく立ち上がった。先ほどとは違って打ち所が悪かったのか、じんじんと手のひらが痺れている。


 それもそうだろう、どうにかして繋ぎ止めたいと思い贈ろうとしている宝石が、用が済んだら即金に換えられるなどと、誰が予測したことか。しかも、売ってもいいよと自分で紹介状を書く羽目になろうなどとは。悪い冗談などでは済まされない。


「ええ、婚約破棄されたのち、我が公爵家はこの国を離れますので」

「それはいかん!」

「いかんと仰られましても、わたくしは国外追放されるのです」


 追撃による追撃。目の前の少女は一体何を言っているのだろう。会話が成り立っていないような気がする。目の前がぐるぐると回り、不安定になってくる。この時ばかりはアウレリウスも、試合の最中だが熱い紅茶を飲みたくなった。テーブルに突いた手をぎゅうと握り、一刻も早く打開策を見つけねばと頭を回転させる。これなら隣国と戦争を起こす方がまだ簡単にさえ思えてくる。


「……し、しかし、それは全て、君の、想像だろう……?」


 そう、長々と話を聞いてきたが、これはまだ起こっていない事件なのだ。寧ろ今までの話を踏まえ、対策が取れるのではないか。今から警備の騎士たちに声をかけ、アザロスの取り巻きたちを言い伏せて、卒業式にアザロスと特待生を隔離させていれば、或いは。


「無駄ですわ」

「な、なぜ言い切れる」



───だって。



 ふわり、と風が頬を撫でた。赤い髪が風に流され、線の細い輪郭があらわになる。仄かに色づいたリリアーシャの唇は、緩い弧を描いているように見えた。



「わたくしの読みが外れたこと、未だかつて御座いまして?」



 ゴトリ。


 白の王が、黒の兵に蹴倒された。


 これは詰みなのだと、アウレリウスは悟るしかなかった。

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