第2話 リリアーシャ・ルティアという少女

 リリアーシャ・ルティアという少女は、とても頭が良かった。幼くして王太子の婚約者に成ることが出来たのは、国王の学友・悪友であり若き頃のライバル───二人が取り合った麗しい女性は、現在王妃として万人に愛されている───である伯爵の溺愛する娘だから、という理由ではない。それも切っ掛けのひとつではあるが、リリアーシャは齢8つにして、チェスの大会で優勝するほどの才を見せたのだ。先読みの力があり、彼女の読みが外れることはなかった。


 国王という地位にあっては大会に参加することができないアウレリウスに、伯爵は煩いほど娘の英姿を語って聞かせた。あまりの煩さにアウレリウスは「それが本当だったら第一王子の正妃として迎え入れてもいい」と切り出したところ、伯爵は「貴様のところに嫁がせるなど言語道断」と切り上げてしまった。


 いっときの平穏を手にれたアウレリウスは、伯爵が去った後に飛び込んできた、最年少の大会優勝者の名に目を丸くする。優勝者の名はリリアーシャ・ルティア。先ほど怒って帰って行った伯爵の娘である。10歳以下の子どもが参加する小さなものではなく、年齢制限なしの公式大会で、8歳の少女が優勝するなどとは。ああ言った手前、切り出すのは難儀したが、娘を溺愛している伯爵にそれとなく娘の話をもちかければ、あっさりと釣れた。


「リリアーシャ・ルティアと申します」


 紅葉よりも鮮やかな赤毛と新緑の瞳を併せ持つ神秘的な少女は、抑揚のない声で、そして優雅なカーテシーでアウレリウスと王妃の前で挨拶して見せた。にこりともしない冷たい表情の話は予め伯爵から聞かされていた。家族や使用人たちの間では、あの鉄面皮から何かしら表情を読み取ることができているらしく、伯爵はにこやかに「緊張しなくていい、近所のおじさんだと思って」などと勝手なことを言っている。


 君はチェスが強いと聞いてね───アウレリウスがそう切り出すと、リリアーシャは顔を俯かせ、淡い黄色のワンピースドレスの裾をぎゅうと握り締めた。伯爵を見れば「続けて」とアイコンタクトを送ってきたので、なるべく硬い言葉は使わずに、自分の息子にするよりも穏やかな声色で、先日の大会でリリアーシャが優勝したと聞いた、と語り始めた。


 他にも伯爵との関係や、リリアーシャのことになると伯爵が煩くなることなどを暴露して場が和んだと思われる頃、アウレリウスは一番優しい声で、リリアーシャに語りかけた。


「私もね、チェスが大好きなんだ。 リリアーシャ、君さえ良ければ私と一局交えてくれないだろうか」


 俯いたままの少女が、その一言でバッと顔をあげた。まん丸で大きな緑の瞳はキラキラと輝いている。アウレリウスはその瞳を見て悟った。これは強い相手に飢えている目だ、と。



  その日は三局指したが、アウレリウスは一勝も出来なかった。幼い少女に徹底的に叩きのめされたというのに、とても清々しい。今まで国王である身分ゆえ、忖度だとか接待だとかで自分を勝たせにくる相手ばかりだったのだ。だから、とても楽しかった。目の前の少女はどうだろうか。


「リリアーシャ。 また私と対戦してくれるかい?」

「……」


 無口な少女は無言のまま頷き、父である伯爵の足の後ろへと隠れてしまった。伯爵曰く、リリアーシャは人見知りで、一度負かした相手との対局は滅多に望まないそうだ。ということは、リリアーシャも今日の対局が楽しかったと思っている、ということで良いのだろうか。伯爵がアウレリウスに嫉妬の視線を送っているので、間違ってはいないようである。


「近所のおじさんだと思って、好きなときに遊びに来るといい」


 伯爵の言葉を借り、聡明な少女の小さな手に口付けをして、再会を願った。



 そして、嫌がる伯爵を無視してリリアーシャと第一王子との婚約も取り付けておいた。

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