第85話 ないしょばなし④

 夜、なんとなく寝付けなくて庭を散歩する。

 昼間に見る時とはまた違って見えて、どの花もとても綺麗だ。

 見上げてみると、一面の星空。こんなにたくさんの自然も、遮るもののない星空も、見たことはなかったな。

 のんびり歩いて、藤棚のある場所までやってくる。夜の藤の花は幻想的で、美しい。影を落としたような淡い紫色が、不思議とぼんやりと光っているようだった。

 上から降ってくるような藤の花で、まるでかくれんぼでもしているみたいだ。


「……イヅル」

「こっち、こっち」


 ふと、精霊さんの声がした。

 いつもの元気な声とは打って変わって、静かな声。しかも、姿は見えない。

 声のした方に行ってみると、精霊さんは藤の花にすっかり隠れたようにしていた。

 これは声を掛けられない限り、見つけられそうにないなあと思う。いつぞやのかくれんぼを思い出して、くすりと笑ってしまった。


「こんばんは、精霊さん」

 精霊さんに合わせるように、僕も内緒話をしているみたいな小さな声で喋る。

 そうすると精霊さんは嬉しそうに騒ごうとして、慌てて手でお互いの口を塞いでいた。うーん、可愛い。

 ここにいる精霊さんは、どうやら二人だけのようだ。

 いつもはもう少し多い精霊さんがまわりを飛んでいるので、そういうところも珍しい。


「あのね、あのね」

「ないしょのおはなし」


 藤の花に紛れて、精霊さんが顔を寄せる。

「内緒なの?」


「うん」

「精霊王様に怒られちゃうかも」

「でもね、でもね、ぼくたち」

「イヅルには笑ってほしいの」

「だからね、えっとね」

「すこしだけ、ないしょのおはなし」


「精霊さん……」

 あちらの世界のことについて、最近よく考えていた。今日は尚更、勇者たちのことも聞いたからかな。精霊さんから見て、僕はあまり元気がないように見えたのかな。

 嬉しいけれど、勝手に話したらやっぱりノヴァ様に怒られてしまうんじゃないだろうか。

 精霊さんを悲しませてまで、聞くのは良くない。


「あのね、イヅル」

「ぼくたちが言いたいの」

「ぼくたちが聞いてほしいの」

「イヅルの力になりたい」

「ほんのすこしでも」

「ちょっと怒られるだけだから」

「大丈夫なの」

「伝えたいの」


 断ろうと考えた僕の言葉を先回りするように、精霊さんが矢継ぎ早に話す。

 泣きそうになるほど、純粋な好意だった。

「……ありがとう、精霊さん」


「いいのよー」

「ぼくたちイヅルが大好きだから」

「イヅルが幸せになれないのなら、ぼいこっとなのよ」

「許すまじなの」


「精霊さんにそこまで思ってもらえるなんて、僕は果報者だよ」

 手を伸ばして、精霊さんの頭をそっと指で撫でる。

 藤の花に紛れているから、遠目からだとただ花を撫でているだけに見えるだろう。

 ……とはいえ、ノヴァ様ならここに精霊さんがいることも、何を話そうとしてくれているのかも、知っているんじゃないだろうかと思う。

 ノヴァ様はすべての精霊さんを統べる王様で、すべての精霊さんは繋がっている。だからノヴァ様とも繋がりがあるはずだ。実際、精霊さんが騒いだりするとわかる、と口にしていたことがあったし。

 恐らくバレて、ただ見逃されているだけ。それでもこうして隠れて話すことで、いつもよりもずっと、精霊さんのことを近しく感じた。


「えへへ」

「ふふふ」


 撫でられると、精霊さんは嬉しそうに笑う。今にも飛び回りたそうに羽根がムズムズと動いていた。

 それでもそんなことをしたら見つかってしまうので、頑張って我慢しているようだ。

 内緒話、だからね。


「あのね、イヅル」

「ほんとはイヅルはね」

「この世界に来るはずじゃなかったの」

「召喚された時ね」


「え……そう、なの?あの時、クラスメイトは全員いた……よね?」

 僕はあの時ぼんやりとしていたけど、みんなで確認し合って全員いることは確定していた。クラスメイトの中で一人でもいない人がいれば、その時誰がいない、と騒がれたはずだ。


「うん。でも、大人はいなかったでしょ?」


 言われて、はっとする。

 召喚されたのは、飛行機に乗っていた時だ。その飛行機に乗っていたのは、僕を含めクラスメイトだけではない。

 誰がどの席にどれくらい乗っていたかはわからないけれど、少なくとも僕の隣の席は先生だった。それに、客室乗務員さんもいたし、近くの通路を通っていたと思う。事故の時具体的にどこにいたかまでは覚えていないけれど。

 けれど実際に召喚され、この世界に来たのはクラスメイトだけだ。


「ほんとうは、召喚される条件を満たしていた人たちが弾かれて」

「ほんとうは、召喚される条件を満たしていないイヅルはこっちにきたの」

「召喚する時、あの国は悪いことをしたのよ」

「こどもだけ、こっちに来いって、ムリヤリそうしたの」


「僕は本当なら、この世界に来ることはなかったんだ?」


「うん」

「そう」

「イヅルはね」

「あっちの、元の世界にいたまま、死ぬはずだったのよ」


 漠然とした感覚だったけれど、不思議とどこかで納得もしていた。……どうしてだろう。

 僕にはその時の、事故の時の記憶でさえないのに、精霊さんの言葉が違和感なく、すうっと中に入ってくる。


「それがね、こっちのせいでイヅルは来て」

「それでね、ぼくたちヒトメボレしたの」


「ん?」

 ヒトメボレ。一目惚れ。話がズレたような……いや、ズレてはいないのだろうか。

 精霊さんはいたく真剣な様子だし、真面目な話なのかな。

 これまで精霊さんに聞いた話を要約すると、召喚したあの国が子供だけを召喚するように手配をしたせいで、召喚される条件とやらを本来満たしていたはずの人はここには来ないで、満たしていなかった僕は来た、ということか。それで偶然、と言っていいのかは微妙だけど、やって来た僕を精霊さんが気に入って愛し子になったと。


「そんなわけで、今回はいれぎゅらーとやらで」

「ちょっといろいろ、違うのよ」

「だからね、あっちの世界のこれなかった人たちも」

「ケガはしてても生きてるの」

「ほんとはこっちに来て助かるはずの命だったから」

「とくべつ」


「そっか……それは良かった」

 あの飛行機事故で、死者は出ないということか。それは一安心だ。


「イヅルもね、とくべつ」

「ほんとはね、あっちの世界ですぐに死ねるはずだったのに」

「こっちにきて、すごく痛い思いをさせちゃったから」


「……?」

 僕がこの世界に来てから、痛い思いをした記憶はない。

 むしろ幸運というスキルがあるおかげか、精霊さんが守ってくれているからか、とても穏やかに過ごしているけれど。

 精霊さんがとても悲しげにしているから、僕が覚えていなくても何かがあったのだろうか。例えばあの事故と後、精霊さんに出会う以前に、とか。


「とにかくね、イヅルはとくべつだから」

「ぜったいに、悪いようにはしないの」

「ぜったいに、イヅルを悲しませない」

「そのことを、わすれないで」

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